noteの楽しみ方を忘れてしまいそうだから、忘れないようにここに書く
ちょっとだけ不穏なタイトルですが、どうしてもここにきて気持ちだけは原点に立ち返りたい願望が湧き出てしまいまして(笑)
最近、有料noteをちょこちょこ買うようになりまして、「新たなnoteの魅力」的なものに足を踏み入れた感があります。春は、新しいことを始めたくなる季節です。
前にも書いたとおり収益化の波が最近来ているような気がします。そんな波に素直に飲まれて、あわよくばnoteやってお金がもらえたらラッキー✨なんて思ってみたりして、有料noteの売り方とか収益化に関する記事も結構買って読んでみたりしてみました。
すごいなあといろいろ勉強になったので参考してみようと思ったこともたくさんあります。少なくとも自分が買った記事は価格に見合ってない、損だったなという購入はあまりなかったと思います。
実際購入して読んでみて、自分の中で変化がありました。
それは、「書いてあることの何が有料で、何が有料でないかを意識するようになったこと」です。
正直、以前記事に書いた通り、有料記事と無料記事の境界線は、人によって違うように見受けられ、はっきりとどこからが有料部分なのかはよくわかりません。ただ、自分の中で、これは有料にしたほうがいいのかなとか、これで有料にしちゃうのは値段に見合ってない状態になっちゃうのかな的なことをあれこれと想像するようになりました。
前は、あまり意識せず、割と、自分の書きたいことを書きたいように書いていました。この前、初めて書いた有料記事は本当はあまり知られたくない情報みたいなものを書いた記事(ツンデレ系)だったので、有料にしたほうがいいという判断に至ることにそこまで悩みませんでした。
収益化を意識することで、お金が入る、儲かることは、うれしいことです。悪いことではない。お金は欲しい、ないよりはあったほうがいい。
ただ、これまでは、なんとなく自分には縁遠い話のような気がしていて、とりあえず、この部分は有料にしたほうがいいのかみたいなことはあまり考えずに、自分の書きたいことを書きたいように書いていました。
この部分について、ちょっと意識が変わったというのが最近の感じです。
そうしたら、どうなったか。
正直なことをいいます。
無料記事が前より書きにくくなりました。
書いている途中で、あれ、これ無料で書いちゃう?みたいなことが頭をよぎるようになってきてしまいました。正確に言うと、有料にしたほうがいい内容はほとんどないと思います。ただ、一瞬だけ頭をよぎってしまう。
前よりなんとなくこのまま書きにくいなあと思うことが増えてきました。それで書くのをやめたり、言い回しを変えたりすることが増えました。
そんな中、池松潤さんが、以前私が書いた記事を踏まえて、「楽しいnoteの使い方」という記事を書いてくれました。私の記事を引用したうえで、とても示唆に富んだ内容の記事を書かれていました。
noteの楽しみ方は、ただ読み書きだけではない。
「読む・行動する・出会う・考える・書く」というサイクルにあるというところになるほど!と膝を打ちました。
池松さんが実践されている内容。確かに、楽しいnoteの使い方の実践としてとても示唆に富んだものばかりでした。
池松さん本当にありがとうございました。
ただ、逆に自分にはここまでの充実した楽しみ方はできるのだろうか、とちょっとだけ不安にもなってしまいました。もしかしたら、池松さんのように経験と知識と自信に裏打ちされたものがあって、初めて実践できることなのではなかろうか。
そもそも、自分ってなんでnoteを始めたんだったっけ。
そんなふうに思考がめぐってしまい、「本当に自分はnoteを楽しんでいるのだろうか」というような疑問が頭をよぎってしまいました。
そんなことを書いていたちょうどそのころ、相互フォローしている灯火さんから私の記事を引用している記事の通知が来ました。
それは、私が以前書いた記事を過剰考察して感想を書いてくれたnoteでした。
思いがけずこれを読んで、自分でも忘れかけていた気持ちを思い出したような気がしました。
あ、自分がnoteを始めたきっかけってもしかしてこれだったのかもしれない。
読んだ内容の感想を残して、伝えたい――
最初は、本の感想でした。本の感想を書いて、これ、ここがすごく良いよ!みんな知っておいたほうがいいよ!ということを伝えてみたい、そう思って初めての記事を書きました(その後2年以上放置しますが(笑))。基本的な願望は変わりません。
サムネイルの写真もない拙い記事だけど、この本のここが面白いから知ってほしいという基本的な願望は変わりませんでした。
その対象が、そのうち他のnoteクリエイターさんの記事の感想にもなった。この記事はすごい、もっと面白く読めるはず、それが知られていないのだとしたらあまりにももったいない、だから知ってほしい!それで、作者本人に喜んでいただけたらもっと嬉しい!
なんでそんなふうに思うことができたのか。それは、他のクリエイターさんのすてきな記事をたくさん読むことができたからです。
いつも更新を見ている他のクリエイターさんの悲喜こもごもがほぼリアルタイムで刻まれた文章を読むことができるからこそ、読書感想文だけじゃなくて、過剰考察や感想を書いてみたいと思うことができた。
忘れそうになっていた自分にとってのnoteの一番の楽しみ方。
それは、「他のクリエイターさんの記事を面白く読めること」でした。
だから、私にとって、noteは「読む」ことが基本。読書も他の方の記事も。
忘れそうだから、書いておくことにしました(笑)
しかし、そうはいっても最近は到底すべての記事を読めていません。本当は読んでおきたかったはずなのに、見逃してしまっている記事がたくさんあると思います。本で読みたいのもたくさんあります。到底時間が足りず、どんどん積読になっています。
それでも、素敵な記事は読んでみたい。
なので、せめてnoteに書いてある記事にはもっと面白く読める読み方があるんじゃないか。そんなことを知ってもらえたら、あの文章はもっと面白くなるし、逆にそういうのがあったら教えてもらいたいと思うようになりました。
灯火さんの上記の記事はこんなふうに終わっています。
そういう意味では、「声にならないさけび」や「こみあげるこの気持ち」というのは、正に自分や現実に向き合っている方にとっての共通項なのかもしれません。
ですが、わたしは思うのです。この歌の題名は「春に」です。
「枝の先のふくらんだ 新芽が 心を つつく」。その後、胸の内に巡る感情が描写されます。
不安と期待が入り混じった、それでも可能性や新しい展開が待っている。確かに色々な気持ちが渦巻いてはいますが、大枠としてはそんな春へのポジティブな歌であってほしいと願うばかりです。
なんて、ポジティブな解釈。
不安と期待が入り混じっていても、それでも可能性や新しい展開が待っている。
背中を押していただいたような気がします。
灯火さん、ありがとうございました。
そんなわけで、原点を思い出しつつ、書きたいことを書けるようにするための可能性や新しい展開を志向して、「今日一日を最高の一日に」
はじめはそのつもりはありませんでしたが、ちゃっかりエントリーすることにしました(笑)
