ひと夏のきみ(最終話)
第7話はこちら
次の日、火曜日の朝。久しぶりにまとまった量のお酒を飲んで、目が覚めてもまだ少し身体に残っている気がした。起き上がると、軽い頭痛がする。スマホを見ると、七時過ぎ。今日はとうもろこしのお店には出なくていいと、昨日の内に女将さんから言われていた。
一階に降りていくと、食堂には今日も朝食が用意されていた。台所に座っていた、岩渕さんと詩織さんに声をかける。
「おはようございます」
「あ、おはよう。吉田さん、昨日は大丈夫だった?思ったより、夜遅くなっちゃったね」
詩織さんはそう言いながら、急須で湯呑みに緑茶を注ぎ、僕に渡してくれる。
岩渕さんは、椅子に座って新聞を読んでいた。昨夜は随分酔っぱらっていたけれど、今は平然としている。新聞の上から顔を出して、僕に話しかける。
「おはようさん。九時頃になったら、一緒に出掛けるから。ゆっくり朝ごはん食べてください」
「分かりました」
食堂に戻り、朝ごはんを食べ始める。あまり食欲がないと思っていたけれど、しじみの味噌汁を一口飲むと少し元気になってきた。
食べ終えて部屋で少し休んだ後に、岩渕さんの軽トラに乗り込み、出発した。
岩渕さんは、どこに向かうか話さず、黙って軽トラを運転している。最初の日、バスターミナルに迎えに来てくれた時のことを思い出す。
今日は、最初の日に通ってきた道とは別のルートを進んでいるようだった。両脇をりんご畑に囲まれた、真っすぐ長い道をずっと進んでいく。延々と続くりんご畑の木々には、きれいな赤色に染まった実もあれば、まだ色づきはじめでグラデーションのようになっている実もある。あちらこちらの畑で、農作業をしている人の姿が見える。
やがて、軽トラは大きい道から左折して、細い坂道を登っていく。
岩渕さんが何も言わないので、僕も黙って軽トラに乗っていた。
―何となく、察していることがある。
僕が青森に来てから、神さんが一度も姿を現さないのは、やっぱりおかしい。最初は忙しい人だから、僕を岩渕さんの旅館に預けて、都合のつく時に登場するんだろうな、と思っていた。しかし、今日で僕が来て五日目になるのに、いくらなんでもおかしい。
昨夜の宴会だって、岩渕さんや藤井さんはみんな、神さんと関係が深い人ばかりだった。そこにも来なかった。今思うと、僕が神さんの話をしようとするとみんな、話題を変えようとしていた。
やがて、軽トラは苦しそうなエンジン音を鳴らして、急な坂道を上り切った。その先には、シンプルな門構えの広い駐車場が見えた。
門の手前には、霊園の看板が掲げられていた。
岩渕さんに連れられて、僕は墓の前に立った。墓石には、「神家」の文字が彫られている。
「去年の冬に、肺がんで死んだんだ」
岩渕さんはそう言いながら、ろうそくに火をつけ、カップの日本酒を供えた。
しばらく、二人でそのまま黙って立っていた。遠くから、かすかにセミの鳴き声が聞こえている。
何となく、もしかしたら神さんには会えないのかもしれない、ということは頭をよぎっていた。けれど、本当にそうだと知ると、やっぱりショックだった。何か言おうとするけれど、言葉が出てこない。
しばらくして、岩渕さんに尋ねてみる。
「どうして、僕には黙っていたんですか?神さんが亡くなったこと」
「それが、神さんの望みだったからな」
「え?」
「神さんは、最期まで吉田くんのことを気にかけていたよ。というより、気に入っていた、という感じかな」
初めて聞く話だった。怒られた記憶はあるけれど、自分のことを気にかけていたとは思っていなかった。それに、三年も前に会ったきりだ。
岩渕さんが続けた。
「去年の実習で来たとき、ずっと神さんと一緒だったべ?その時から、吉田くんのことは神さんから聞いていたんだよ。今年は出来の悪い学生が来た。これまで受け入れた学生の中でも特別不器用で、要領が悪いって。怒ってだけど、顔は笑って、楽しそうだった」
岩渕さんは懐かしそうに言った。
「実習が終わってからも、神さんは吉田くんのことを気にかけていた。その後も、木村教授にもよく電話をかけて、吉田くんの状況を聞いたりしていたんだ」
「そうなんですか?」
初めて知る話だった。
「それで神さんは、吉田くんが大学に来なくなっていることを、木村教授から聞いた」
岩渕さんは話しながら線香に火をつけ、墓に供えた。風に乗って、白檀の香りがしてくる。
「それを知って神さんは、自分がお願いしていることにして、吉田くんを青森に呼ぼうと、木村教授と計画し始めた」
「どうして、僕を青森に呼びたかったんでしょうか?」
「まあ、一言でいえば心配していたんだべ。大学に行けなくなったっていう吉田くんの話を聞いて、会って話をしようとしたんだと思う」
岩渕さんは話しながら、線香の箱を僕の方に差し出した。僕は箱から三本取り出し、ろうそくの火に近づけた。
僕が線香を供えた後、岩渕さんがまた話し出す。
「神さん自身も、十年以上前だけど、少し精神的に落ちこんでしまったことがあって。しばらくの間、仕事を休んで、あちこちの温泉を湯治して回ったことがあったらしい。その時に、うぢの旅館にも来たんだ。温泉に入って、昔の知り合いだの、色々な人と話している内に、元気になっていった。結局、それがあって東京の仕事を辞めて、神さんはこっちに戻ってきたんだ」
僕は、神さんのことを思い出していた。三年前、インタビュー先を回りながら車の中で話した時に、全国の有名な温泉は大体回った、と自慢していたのを覚えている。
「だから、吉田くんにもうぢの町にまた来てもらって、温泉に入ってもらって、元気になってほしかったんだと思う。でも、それを計画している時に自分の方に病気が見つかった。わはある日、急に病院に呼び出されて、その計画を聞かされたんだ。『木村教授と連絡を取り合って、吉田の面倒を見てやってほしい。自分が来いって言ってることにしてあるから、死んだことは言わなくていい』って言われて。あれには参ったな」
岩渕さんは、頭をかきながら苦笑いした。
そうだったんだ。僕が青森に来ることになったのも、神さんが最後に言い残したことだった。木村教授もそれを知った上で、調査実習の打ち合わせという理由を作って、僕が青森に行くように、仕向けてくれたんだ。全部、神さんが亡くなる前に、計画していたのか。
「そうだったんですね。皆さん、神さんの計画で、僕のために協力してくれたんですね」
「まあ、神さんの最後の頼みだったからな。昨日の宴会に来ていたメンバーには、あらかじめ伝えておいた。みんな、吉田くんが来てくれて、喜んでいたよ。神さんも、喜んでると思う」
岩渕さんはそう言って、何度か小さくうなずいた。
その後しばらく、岩渕さんと二人で、線香が灰になって崩れていくのを、ただずっと見つめていた。
*
そして、翌日。僕が仙台に帰る日になった。
昨日、神さんの墓参りを終えた後は、岩渕さんがよく行く食堂の中華そばを食べて、その後は旅館でゆっくり過ごした。何度か温泉に入って、火照った身体で部屋の布団に寝転がって、その間ずっと、神さんのことを考えた。
もう会えないことを知って、もちろん悲しい感情もあったけれど、それだけではなかった。僕のことを気にかけて、今回の旅を計画してくれたことに対する感謝の気持ちが湧き上がってくる。神さんも、ここの温泉で元気になったんだな、ということを考えた。
色んな感情が混ざり合って、昨日一日では消化できなかった。それでも、何度か繰り返し温泉に入って、ぐっすり眠って朝を迎えると、頭はすっきりしていた。
朝ご飯を食べて、帰り支度をする。布団と浴衣をできるだけきれいに畳んで、部屋を後にした。短い間の滞在だったけれど、すっかり自分の部屋のような錯覚がして、少し寂しい感じがする。
また必ず、この旅館に泊まりに来よう。今となっては、僕もすっかり、ここの温泉のファンになってしまった。いつになるか分からないけれど、またここに泊まって、神さんのところへ墓参りに行こう。また戻ってきたいと思える場所ができたことが、嬉しかった。
外へ出ると、岩渕さんが軽トラの荷台にバッグを積んでくれた。女将さんが玄関から出てきて見送りをしてくれる。
「吉田さん、気をつけて帰ってくださいね。来てくれてありがとう。これ、少ないけどバイト代です」
「えっ、受け取れないです。泊まって、ご飯まで食べさせてもらったのに」
「いえいえ、働いた分は、受け取ってください。それとこれ、きみのお土産。ちょっとかさばるけど、あっちで食べてね」
女将さんはそう言って封筒と、とうもろこしの入った袋を僕の手に握らせた。
「またいつでも泊まりにきてくださいね。きみの売り場も、いつでも手伝いに来て。待っていますから」
「はい、必ずまた来ます」
詩織さんにも挨拶をしようと思ったけれど、今日は朝から姿を見ていない。それに気づいたように女将さんが言った。
「詩織、今日は朝早くから用事があるって出かけたの」
「そうですか」
僕は残念に思っているのが顔に出ないように、できるだけ明るい顔で女将さんに向き合った。
「では、詩織さんにもよろしく言っておいてください。本当に、ありがとうございました」
女将さんに別れを告げて、軽トラの助手席に乗り込む。出発した後も、女将さんは見えなくなるまで手を振っていた。
初日と同じルートを戻って、弘前のバスターミナルへと向かった。途中で駅前のお土産屋さんに寄ってもらう。バイトの店長に言われていた、りんご一個が入ったお菓子も買うことができて、ほっとした。
そして、バスターミナルの付近に到着した。岩淵さんがハザードランプをつけて、道路脇に軽トラを停める。岩渕さんとも、ここでお別れだ。
荷台からバッグを降ろした後、岩渕さんが僕の方に右手を差し出してきた。
「吉田くん、まだ来いよ」
その手をしっかり握り返して、僕も答える。
「岩渕さん、本当にありがとうございました。必ず会いに来ます。また、お酒飲みましょうね」
「んだな。次は、わの馴染みの飲み屋さ行ぐべ」
岩渕さんはそう言って軽トラに乗り込み、クラクションを短く一回パッと鳴らしてから、颯爽と走り去っていった。
バッグを肩に担いで、バスターミナルの方へ歩いて向かう。岩渕さんと最初に出会った待合室のベンチに座って、バスが来るのを待った。
仙台からここに来たのが、五日前のこと。色々なことがあって、早かったのか遅かったのか、よく分からない。とうもろこしの売り場は大変だったけれど、今は心地よい疲れが残っている。
そして、神さんに会えない悲しさ、寂しさと、色々な人に思われていたんだという嬉しさや、優しさを感じる。ここに来る前は想像もしていなかったことばかりが起きて、まだ頭がふわふわしている。
ベンチに座ってしばらくそうしていると、乗る予定の高速バスが到着した。まだ出発までには少し時間があるけど、他にやることもないので、早めに乗り込むことにした。
バス乗り場には、三人ほど先に並んでいた。仙台から来た時よりも、乗客の数は少ないみたいだ。
バッグを預けて、バスへ乗り込む。座席は乗り口に近いところの窓側だ。席に座って、一つ息をついた。
仙台に戻ったら、まずは木村教授に会いにいかないと。最初から神さんの計画を知っていた教授が、いつもの笑顔で「吉田くん、青森はどうでしたか」と言ってくる姿が思い浮かぶ。想像しただけで、思わずにやけてしまう。
ぼんやりと窓から待合室の方を眺めていると、スーツケースを持って窓口に走ってくる女性の姿が見えた。何やら窓口で、僕が乗っているバスの方を指さしてやり取りをしている。
その後、乗車チケットを持って、こっちの方に歩いてくる。このバスに乗るようだ。何となく、目でその姿を追う。
スーツケースを乗り口で運転手に預けている。その面影に、見覚えがある気がした。
そして、その人が載り口からバスに乗り込んでくる。空いている車内を進んできて、僕の座っているシートのところまで、まっすぐの勢いよく歩いてくる。そして、僕の目の前で立ち止まった。その人の顔を見上げる。
くりっとした目と、軽いウェーブの黒髪。
詩織さんだ。
「隣、いいですか?」
僕の返答を聞く前に、詩織さんは隣の席に座った。手で顔をあおぎながら、ふぅーっと大きな息をつく。
「ああ、間に合った。時間ギリギリ、危ないところだった」
僕は状況が理解できずに、口をぱくぱくさせている。なんでここに詩織さんが?
そんな僕を横目に、詩織さんはペットボトルのお茶を勢いよく飲み始めた。
「はあ、疲れた。駅前のカフェで友達に会っていたら、つい盛り上がっちゃって。遅れるところだったよ」
「し、詩織さん。これ、仙台行きのバスですよ。何でいるんですか?」
「あ、私も今日、帰ることにしたの」
詩織さんは、何でもないことのようにそう話した。
「え、帰るって、詩織さんの家にですか?県内の大学だって言ってましたよね?」
「それについては謝らないといけないことがあるんだ。実は、嘘ついたの」
「嘘?」
「実は私も、同じ青葉大学なの。宴会の時、吉田さんから大学名を聞いた時にびっくりして、咄嗟に別の大学だっていうことにしちゃった」
「え?」
「あ、心理学の研究室にいるのは本当だよ。だから、文学部の吉田さんとキャンパスも同じ。まさか同じ大学とは思わずに、慌ててごまかしちゃった。すぐ本当のことを言おうと思ったんだけど、タイミングを逃しちゃって。申し訳ない」
詩織さんはそう言って、顔の前で両手を合わせた。申し訳ないと言いながら、表情は楽しんでいるように見える。
僕はまだ状況がよく呑み込めないまま、質問を続けた。
「それで、何で同じこのバスにいるんですか?今日は、朝から出かけたって女将さんに聞きましたけど」
「それはね、お父さんに言われたの。吉田さんが、神さんのことを知って落ち込んでいると思うから、帰りのバスで話し相手になってやれって。まあ、私もそろそろ仙台に帰る予定だったし、少し早めてもいいかなと思って。それで、どうしても会いたい友達が地元にいるから、急遽呼び出して、さっきまですぐ近くのカフェでお茶してたの」
詩織さんは、一息にそう言った。展開が急で、理解が追いつかない。僕は目を閉じて、ため息をつきながら背もたれに寄りかかった。
詩織さんが僕の顔色を伺う。
「ごめんね、怒りました?」
詩織さんが心配そうにこっちを見ている。僕は怒るというより、何だかおかしくなってしまって、つい笑ってしまう。
「いや、怒ってないです。それにしても、神さんといい、詩織さんといい、僕を騙して策略にはめるのが、皆さん上手ですね」
「策略っていうわけじゃないけど、ちょっとしたサプライズのつもりで。吉田さん、素直だから、ついつい仕掛けたくなるのかもね。でも、そういう性格が、みんなに好かれるんだと思いますよ」
詩織さんはそう言って、ふふっと笑った。褒められているのか微妙なところだけど、まあ悪いことではないか、と受け止めることにする。
その時、間もなく出発するというバスの発車アナウンスが流れた。バス乗り口の扉が閉まり、運転手が乗車人数を数え始める。
「じゃあ、仙台までの道中、よろしくお願いしますね」
詩織さんはそう言って、僕に笑いかけた。本当に色々なことがあった青森への旅だったけれど、最後まで退屈することはないらしい。
そして、バスがゆっくりと動き出した。
(ひと夏のきみ 終わり)
いいなと思ったら応援しよう!
サポートは温泉ソムリエとしての活動費に使わせていただきます!応援の気持ちをいただけたらとても嬉しいです。