映画シナリオ「弾切りの一座」(2/4)
(1/4からのつづきです。
奪われた武士の身分。奪われた武士の刀。
だが魂は死んでいない。坂上一家は、興行師八染、槍使い十文字、若侍野末を巻き込んで、剣術を興行として見せる「撃剣興行」を始める。その初日の幕が開く……!)
〇瓜生神社内、撃剣場
T 『初日』
どん、ど、どん。
どん、ど、どん。
太鼓が鳴る。
立札 『撃剣興行 牛乗りの一座』
朝から集まる客。入口は押すな押すな
の大騒ぎだ。観客を捌くのは、八染の
手下の入れ墨若衆。
中央に勢ぞろいした剣士たち。
牛の背中に乗った坂上は、朱鞘の日本
刀を掲げ、抜く。
坂 上「天地神明に誓って、武士の魂を捧げ
ん! 我が名は坂上家当主坂上覚之進!
『牛乗りの一座』の座長でござります!」
× × ×
T 『下級剣士の試合』
激しい竹刀の打ち合い。
審判の坂上「白、面一本!」
紅白の旗で、勝った方を示す。
観客 「おおおおおおお!」
入れ墨の若衆、客から番号の入った赤
札を回収、白札と現金を交換。
次の試合も盛り上がる。
× × ×
T 『中級剣士の試合』
十文字が振り回す勇壮な槍に、観客は
圧倒される。
しづとの薙刀との試合に沸く。
弥二郎は相手の脇を取り、横にいなす
動きで変幻自在。
野 末「タイ捨流! 野末馬之助也!」
地面をトントンと叩く異様な構え。
相手の竹刀を巻いて地面につけさせ、
その上に飛び乗って膝蹴りを喰らわせ、
大喝采を浴びる。
× × ×
T 『上級剣士の試合』
弥一郎の構えは隙がなく、相手もなか
なか動かない。
観客はざわざわし始める。
相手がじれて動いた瞬間に弥一郎は小
さな動きで小手を決める。
坂 上「赤、小手一本!」
観客1「え? 今打ったの?」
観客2「どっちの勝ち?」
観客3「赤だって」
観客1「え? 今打っとらんやろ」
観客3「バーン言うたやろ」
観客2「そうか? 気づかんかったで」
次の上級剣士の試合もにらみ合い。
観客1「……なんかつまらんな」
小競り合いをしたかと思えばすぐ離れ
る。
観客2「帰るか、そろそろ」
観客の中にいた八染、腕組みをする。
〇夜、八染の遊郭、客間
坂 上「剣とはそもそも動きが小さく、相手
に悟られぬように打つものだ。分りやすい
のはそもそも剣ではない」
八 染「だ、か、ら! それじゃあ見世物に
ならねえっつってんの! 派手に、大きく
やんねえと、お客は何やってっか分んねえ
だろ!」
坂 上「だからそれは剣ではない!」
八 染「だからそれは見世物じゃねえ!」
坂 上「……」
八 染「……」
八染、茶を飲み落ち着く。
八 染「よし。取引だ。今日の所は譲ろう。
明日はおめえさんの好きなようにやってみ
な。それで客が減ったら、言う事を聞け」
〇二日目、撃剣場
T 『二日目』
昨日より客が減っている。
坂 上「……(不安に駆られる)」
× × ×
初級剣士の試合。
盛り上がるが、客は少ない。
× × ×
中級剣士の試合。
野末が剣で地面を叩くと盛り上がる。
野 末「キエエエエエエエ!」
その奇声に観客は笑う。
だが鮮やかに奇声もろとも一本を取る。
弥二郎の試合。
竹刀で地面を叩き、野末の真似。
弥二郎「キエエエエエエエ!」
観客にどっと受ける。
× × ×
上級剣士の試合。
相変わらず弥一郎は地味なにらみ合い。
観客は帰りはじめる。
× × ×
興行終了の太鼓。観客は数えるほどだ。
坂 上「……」
〇夜、八染の遊郭、客間
八 染「これが昨日の上がり。これが今日の
上がり」
畳の上に、昨日の稼ぎと、その半分以
下になった今日の稼ぎを並べる。
八 染「約束だ。派手にやれ」
坂 上「……たとえば、野末がやった猿叫か」
八 染「エンキョウ?」
坂 上「キエエエエエと言った奴がおったろ」
八 染「いたな。あれは受けてた」
坂 上「あれは薩摩の野太刀自顕流の猿叫。
猿が叫ぶと書く。剣術はふつう声を出さぬ
が、薩摩は叫ぶ」
八 染「なんでだ。猿だからか」
坂 上「大声を出すと力が入るだろ。よっこ
いしょとか。その大袈裟なものだ」
八 染「変わったやり方だな」
坂 上「彼らは受けられてもその刀ごと肉体
を両断するつもりで打つ。だから初手から
叫ぶ」
八 染「そっちの方が分り易いな! 客は受
けるぞ!」
脇の花魁に確認。彼女はうなづく。
八 染「あと、勝敗がすごくわかりづれえな。
速すぎて、どこを打ったのか見えねえよ。
面打ったらメーン、胴打ったらドー、とか
言ってくんねえとよ」
坂 上「そんな剣、見たことない」
八 染「剣であり、見世物だ(睨む)」
坂 上「……」
八染、花魁のキセルを借りて剣代わり
に振る。
八 染「メーン! ドー! 乳ー!」
花 魁「(乳を押さえて)いやーん!」
八 染「ホラ、分り易いじゃねえか!」
坂上にキセルを渡す。
坂 上「(しぶしぶ小声で)メーン……」
八 染「メーン!!!!」
坂 上「メーン……」
八 染「メーン!!!!」
坂 上「(やけくそで)メーン!!!!」
八 染「そうだよ! それだ! メーン!」
坂 上「メーン!」
八 染「メーン!」
坂 上「ドー!」
八 染「コテー!」
坂 上「キエエエエエエエエ!」
八 染「キエエエエエエエエ!」
〇三日目、撃剣場
T 『三日目』
朝一の、剣士たちの打ち合わせ。
弥一郎「本気ですか父上! そんな色物みた
いな!……」
坂 上「撃剣は剣術ではあるが、見世物でも
ある。素人が達人の剣を見切れるか?」
弥一郎「無理でしょう。だから剣なのです」
坂 上「ならばメン、ドーと言え。見えない
ものが、見えたことになる」
弥一郎「……」
弥二郎「いいじゃん! 俺、やってみるよ!
昨日のキエエエも受けたし。何やってるか
分らないより、やった方が分るだろ!」
× × ×
剣士1「うおおおおメーン!」
面を打つ。防ぐ剣士2。
剣士2「ドー!」
胴が一本入る。拍手する観客。
審 判「白、胴一本!」
観客にまじって観察する坂上。
観客1「今、胴が入った! 見たか!」
観客2「ドー、言うてたもんな!」
× × ×
野 末「キエエエエエ!」
どっと沸く観客。いつの間にか客が増
えているのに坂上は気づく。
観客たち「キエエエエエ!」
観客1「あいつの試合は面白いな!」
観客2「昨日も面白かった!」
観客1「俺は初日から見とるで!」
相手の弥二郎も真似をする。
弥二郎「キエエエエエ!」
観客たち「キエエエエエ!」
弥二郎は皆の手を借り、手拍子を要求。
観客は乗る。手拍子はどんどん速くな
っていく。
弥二郎「メン!」
一本を取り、観客は大喝采。
× × ×
不動の弥一郎と相対する剣士3。
剣士3「うおりゃああああああ!」
弥一郎「……」
剣士3「おうおうおうおう!」
観 客「おうおうおうおう!」
剣士3「コテー!」
弥一郎、外して下段突き。
審 判「白……いや、発声不十分! 技あり
として続けよ!」
剣士3「メーン!」
弥一郎に入り、観客盛り上がる。
観 客「メーン!」
と次々に真似をする。
坂 上「……(観客席で観察する)」
〇夜、八染の遊郭、客間
八 染「しかし弥二郎どのの手拍子は、傑作
だったな!(真似をする)」
初日、二日目、三日目の上がり。
中、小、特大。
坂 上「今日は一日中客席にいて、理解した
よ。そもそも剣は速く、動きは小さい。歌
舞伎役者が大見得を切る理由がわかった
(歌舞伎役者の真似)」
八 染「ようやくわかりやがったか!」
坂 上「砂被りの桝席を作ろう。席料を高く
取るのだ」
八 染「お前天才か!」
坂 上「あと、花魁たちを借り出せると面白
くなる」
八 染「?」
坂 上「幕間に、剣舞をさせるのさ」
八 染「ウチの子にそんな芸はねえぞ」
坂 上「構わぬ。振りだけしてくれ。どうせ
客は太刀筋など分っていないことが分った。
乳や尻しか見ぬだろう」
八 染「お前天才か!」
坂 上「宣伝にも借り出せるか」
八 染「よし、まずは精算だ」
八染は三日分をまとめ、切り分ける。
八 染「これは剣士たちの分。三日で九十銭、
三十五名分だ」
半分ばかり取り分ける。
坂 上「これで皆、腹いっぱい食える」
八 染「寺銭、俺っちの取り分、宣伝費、
……アンタの取り分」
残りは二銭。
坂 上「(微笑む)そば二杯分。悪くない」
八 染「もっとやりてえ所だがよ、明日は神
社の縁日だし、大からくりキカイ、軽業師
と次々に予定が入ってる。やるとしたらひ
と月後だな!」
坂 上「……(うなづき、ふと腕を組む)」
八 染「どうした?」
坂 上「大からくりと言ったな。奇術か」
八 染「それが?」
坂 上「刀と鉄砲は、どっちが強い?」
八 染「そんなもん子供でも分かるわ。刀が
敵うわけないだろ」
坂 上「刀のほうが強い、って見せたら、お
もしろいよな?」
〇市中の広場
どん、ど、どんと太鼓隊。
花魁たちが竹刀で剣舞をしながら、太
腿をはだけ胸をチラ見せ、チラシを配
る。
坂 上「撃剣興行! 撃剣興行! 次の撃剣
は、明日より十五日間、瓜生神社撃剣場に
て開催!」
剣士の数が五十名に増えている。
軽業師たちがハシゴに乗り、空からチ
ラシをまく。
弥二郎「第二回は全国から剣士たちがやって
来た! 宝蔵院流槍術、直心影流薙刀、江
戸の一流柳生新陰流、長刀すね切り柳剛流、
薩摩からチェストー示現流、千葉は北辰
一刀流、京は壬生狼の天然理心流!」
しづ、鉄砲を構えて坂上に向ける。
坂上は朱鞘の日本刀を抜き、青眼に構
える。
鉄砲、打つ(空砲)。
坂 上「むん!」
切り下ろす。煙が二つに割れ、斬った
ように見える。
坂上、袖から出したまっぷたつの弾を
地面に落とし、すぐ拾って皆に見せる。
観 客「おおおおおお!」
坂 上「武士の剣は、弾より強し!」
木の札に書かれた『牛乗りの一座』は
裏返り、『弾切りの一座』に。
〇瓜生神社、撃剣場
大筒から放たれる煙。
坂上は真っ向切り。後方で二つの爆炎。
観客のボルテージは最高潮。
〇夜、十文字そば屋の打ち上げ
八 染「皆さん、第二回撃剣興行、十五日間
怪我もなくお疲れ様でした! 今夜は俺っ
ちのおごりだ! 朝まで飲もうぜ!」
うおおおとうなる剣士たち。
十文字「ウチのそばとつまみも、今夜はおご
りだ! 腹いっぱい食え!」
うおおおとうなる剣士たち。
八 染「あと、朝までウチの廓はやってっか
らいつでもどうぞ! 撃剣の剣士といえば
半額だぜ!」
うおおおとうなる、若い剣士たち。
坂上が乾杯の音頭を。
坂 上「皆にいい知らせがある。八染さんが、
中山道や東海道の興行師に話を通してくれ、
地方を巡行出来るように計らってくれた。
これから全国を廻るぞ!」
うおおおとうなる剣士たち。
坂 上「まだ見ぬ侍たちに会いに行こう。乾
杯!」
全 員「乾杯!」
〇同、外
中ではどんちゃん騒ぎが続いている。
弥一郎が待っている。
坂上が店から出て来る。
坂 上「なんだ?」
弥一郎「それは私の台詞です」
坂 上「……なんだ?」
弥一郎「……なんなんですか、あれは!」
坂 上「あれとは、どれだ」
弥一郎「全部です! 撃剣興行の全て! あ
れは剣でもなんでもない!」
坂 上「うん。そうだ。撃剣は、剣そのもの
ではない。剣と、興行の、いわば合いの子
だな」
弥一郎「剣の要素がどこにありますか! あ
んな大道芸まがいのことまでやって!」
坂 上「客が来れば金が集まる。腹いっぱい
食える事の、何が悪い」
弥一郎「間違った剣で、何が面白いか! メ
ーン、ドー、これから切る場所を言う愚か
者がどこにいますか! 客を驚かせたり、
騙すのは正しい剣ですか!」
坂 上「……では弥一郎。正しい剣とは何
だ?」
弥一郎「御奉公の為に振るい、敵を斬る剣で
す!」
坂 上「……いいか。我らが仕えた藩は、も
うない。小田原藩も荻野山中藩も六浦藩
も、全部神奈川県になった。殿も敵も、い
なくなったのだぞ?」
弥一郎「では、明治政府がなくなればいい」
坂 上「(周囲を見て)滅多なことを言うな」
弥一郎「……」
坂 上「撃剣はしょせん方便だ。竹刀だって
真剣の方便だろ。しばらくはこれで飯を食
いつなぐしかあるまい」
弥一郎「しばらく、とはいつまで?」
坂 上「……しばらくだ」
弥一郎「……父上の約束は、時々その場をや
りすごす為だけのことがあります。私はず
っと昔の約束でも覚えていて、父上がそれ
を叶えることを、今でも待っています」
坂 上「……何だそれは。あ、坂上家伝家の
宝刀を、いつかお前に譲る件か」
弥一郎「(首を振る)『剣は役に立つ』です」
坂 上「……」
〇地方巡業
どん、ど、どん。
どん、ど、どん。
チラシや日本地図がオーバーラップし、
一座が中山道や東海道を巡業する様。
チラシ『弾切りの一座 撃剣興行 於横浜』
チラシ『於静岡県』
チラシ『於長野県』
チラシ『於埼玉県』
弾を切り、喝采を浴びる坂上。
子供たちが「キエエエエ」や「メーン」
や「ドー」の真似をする。
剣士たちの激闘。
『満員御礼』の札止めが、連日続く。
〇東京、松尾米問屋、外観
T 『東京府・深川』
〇同、内
杏 「ちょっと権兵衛! そこはそれじゃ
ない!」
住み込みの丁稚に指示を飛ばす。
杏 「計算尺の赤と緑を合わせて! それ
で一々計算する手間が省けるでしょう?」
そこへ、しづが訪ねてくる。
し づ「……元気そうじゃない」
杏 「母上! あ、ちょっと待って、松尾
を連れて来ます! おーい、友則ー!」
奥へ走っていく。
× × ×
松 尾「あの……この度は、なんていえばい
いんですかね、駆け落ちして、申し訳あり
ません。いずれ、正式にご挨拶しようと思
っていました」
し づ「悪い人じゃあなさそうね。あんみつ
お好き?」
と、向いのあんみつ屋を示す。
〇向いのあんみつ屋
テーブルに置かれた計算尺。
松 尾「杏がつくったものです。彼女は頭が
よく、数字に強く、そして気が利く。私が
教えただけでめきめきと計算を覚え、複利
をたちどころに示す道具までつくってし
まいました」
杏 「だってこうしたほうが簡単じゃない。
私だけできても意味がないから、丁稚の子
でも使えるように沢山つくったの!」
松 尾「これで、松尾問屋は大坂より早く出
荷量を決められる」
杏 「女一人でも、ここ(頭)を使えば渡
っていける。それが明治時代よ!」
し づ「そう。(松尾に)……怒らないで頂戴
ね。杏の悪い所を教えて?」
杏 「は? 母上、何を言い出すのよ?」
しづ、手で杏を制する。
し づ「教えて下さる?」
松 尾「そう……ですね。……まず、頑固だ。
言っても聞かないところがある。でもたい
てい杏のほうが正しくて、だからますます
胸を張ることがある。私はそれを、良くな
いところだと思っています」
し づ「どうして?」
松 尾「世の中には間違った人のほうが多い
からです。商人は、全員に愛されなくては
ならない。正しいことが必ずしも通る世界
ではないです。しかし文句を言っても杏が
嫌われるだけで、何も生まれない。それを
利用しないといけない」
し づ「うん。……うん。御免なさいね。杏
が頑固なところは私に似てるのね。それは
御免なさいね」
松 尾「あ、いや、そんなつもりは」
し づ「いいのよ。あなたが正直な人かどう
か、試させてもらったんだから。良かった。
これで杏のいい所しか言わないのなら、力
づくでも連れて帰るつもりだったの」
松 尾「……」
杏 「母上も策士ね」
し づ「あなたが受け継いでくれてよかった
わ」
杏 「あ! そういえば、父上は撃剣興行
を始めたんですって?」
し づ「ええ! なんと、もうすぐ母屋を取
り戻せそうなの! やっと家族で、あの家
で暮らせるわ」
杏 「……あの、良くない評判のこと、御
存知?」
し づ「?」
松 尾「かつていろいろな撃剣の一座が大流
行したんです。でもその時の新聞は、決し
て好意的ではなかった」
〇問屋に戻って
奥から過去の新聞を持ってきた松尾。
新聞 『剣を見世物大道芸に堕とす』
新聞 『武は何処へ行ってしまったのか』
新聞 『鶏を絞め殺すが如き奇声を上げ』
杏 「この『鶏を絞め殺す』って?」
し づ「キエエエエエエ!」
杏 「何それ?」
し づ「薩摩の猿叫。気合の一種だけど、派
手で受けるし、みんな真似してる」
杏 「ジロ兄はよろこんでやりそう。イチ
兄も?」
し づ「あの子はやらない」
杏 「やっぱり!」
松 尾「この新聞の論調のおかげで、東京で
は撃剣興行は正しくない剣で、不当に人心
を煽る大道芸だと見なされてしまったんで
す。私もそんなものだと思っていました」
し づ「正直にありがとう。座長に言っとく
よ」
杏 「母上、いつでも遊びに来てください。
次はところてんおごります」
し づ「言うようになったね。今度は座長連
れてくるよ。二人を母屋に住ませたい、っ
て言うはずさ」
〇山梨県の興行
今日も満員札止め。
十文字の槍と、剣士の試合。
相撃ちのタイミングで槍と剣が交錯。
十文字「むっ」
行司の坂上は、相撃ちを取る。
十文字「坂上の。何を見ていた。向こうの打
ち込みが深く、俺は触っただけだ。真剣な
らば俺は斬られた。負けだ」
だが坂上は旗を交差したまま。
坂 上「規則では相打ちだ。開始線に戻って」
十文字「坂上!」
〇長野県の興行
軽い小手打ちで、弥一郎は一本を取ら
れる。
弥一郎「威力不十分でしょ! これしき、具
足で守れる!」
十文字も納得がいかず立ち上がる。
坂 上「そこまでは客も分らぬ。赤、一本!」
弥一郎「私が一番分かっているというのに!」
〇興行の撤収、夕
太鼓の音と、帰る客たち。
片付けをしている坂上に、十文字が。
十文字「坂上の、ちょっといいか」
坂 上「……審判の件か」
十文字「あれはもういい。従った。それで終
わりだ。それより、地方巡業のこの旅も今
日でおしまいだろ。俺は、今日限りでやめ
ようと思ってな」
坂 上「やめる?」
十文字「俺は一座を抜ける。俺一人なら勝手
にいなくなっただけかも知れんが、俺に賛
同する者が十人は下らぬので、座長に断り
を入れようと思ってな」
坂 上「……何か企んどるのか?」
十文字「(首を振る)この巡業で、ずいぶんと
地方の侍を仲間にできた。十人ごとき抜け
ても興行に響かんだろ。だから、ここらで
潮時よ」
坂 上「……大道芸剣法は、お前は反対か」
十文字「いや。剣術がこのまま廃れてしまう
のをお前は止めた。立派な侍の仕事だと思
う。賛否あれど、俺は評価する」
坂 上「では何故」
十文字「武士の本分を果たしに、鹿児島へ向
かいたい」
坂 上「鹿児島?」
十文字「……陸軍大将、西郷隆盛が挙兵する」
坂 上「なんと!……ついに……ついに!」
十文字「そうだ。明治政府を相手取る戦だ。
勝てば、武士の世を再び取り戻せるかもし
れん。俺はそこに参加したい」
坂 上「……」
十文字「俺はそば屋でも芸人でもない。武士
だ」
十文字のバックに、美しい夕日。
まるで落日を暗示しているような赤。
〇夜、宿
弥一郎「父上、お話があります」
坂 上「なんだ?」
弥一郎「私、十文字さんについて行きたいで
す」
布団を敷こうとしていた、坂上の手が
止まる。
弥一郎「お聞きになっているでしょう。鹿児
島の件。私も、兵として志願したく」
し づ「……」
弥二郎「兄上は、坂上家を継がなきゃいかん
だろ。俺が代わりに行く。戦に出るのは、
昔から次男からと決まってるだろ」
弥一郎「弥二郎」
弥二郎「俺も誘われたんだ、十文字さんに」
弥一郎「そうか……」
弥二郎「西国の武士たちが、続々と集まって
るらしい。今こそ、時代をひっくり返せる
ぜ」
し づ「いけません!」
坂 上「しづ」
し づ「あ、あなたたちは、一座の中でも人
気剣士です! 興行に支障が出ます!」
弥一郎「興行など! 私はもうメーンドーと
かもう嫌なんだ!」
弥二郎「俺は楽しかったよ? イチ兄、一つ
頼み事聞いてくれない?」
弥一郎「なんだ」
弥二郎「伝家の宝刀、貸してよ。どうせイチ
兄のものになるんだろ?」
坂 上「よかろう」
弥一郎「え?」
床の間に置いた朱鞘の宝刀。
その太刀を、弥二郎に渡す。
坂 上「本音を言えば私も向かいたい。だが
一座を守らねばならぬ。坂上家の魂を託
す」
弥一郎「貸すだけだぞ? 絶対返しに戻って
来るんだぞ?」
弥二郎、うやうやしく受け取る。
〇翌朝、朝もやの中、二股の道
東へ向かう一座。
西へ別れる十文字、弥二郎、野末たち。
弥二郎、飛び切りの笑顔で、父がいつ
もやるように朱の太刀を掲げる。
(3/4につづきます。
東と西へ二手に分かれた運命。いま私たちの中に武士はいない。それが答えなのだろうか?)
https://note.com/oooka_/n/n5a76dbbbefeb
