RADWIMPS 『もしも』―― もしもがくれた出会いと再会|あのころを振り返る #16
2008年、高校一年生の冬。
たばこの匂いが沁みついたカラオケで、今でも大切にしている曲と出会った。
まるで僕の心のうちを見透かされてるかのようだった。
「もしも、僕がかっこよかったら」
「もしも、僕にセンスがあったら」
「もしも、僕の運動神経が良かったら」
僕はいつも、もしもの世界に生きていた。
今でもこの曲を聴くと、当時のカラオケの匂い、自信のなかった自分のことを思い出す。
前々回は僕の青春と共にあったRADとBUMPについて、前回はBUMPの『Supernova』についてnoteを書いた。
今回はRADの『もしも』とその思い出について書きたいと思う。
よろしければ以前のnoteも併せてご覧頂きたい。
自転車とカラオケ
自転車を吹き抜ける風が冷たくなった12月。
クラスの友人4~5名とカラオケに足を運んだ。
普段はそれぞれが部活に忙しかったが、テストや行事が終わった後によくカラオケに行っていた。
高校生の僕らはどこに行くにも自転車を使っていた。
交通費を浮かすのはもちろんだが、僕が暮らす地域は自転車移動に最適な平地。
カラオケに行くにも国道沿いを自転車で連なっていた。
今となっては懐かしい青春の風景だ。
学校から一駅離れていたカラオケはチェーン店ではなかったが、とにかく安かった。
店内はカラオケとは思えないほど薄暗く、室内にはたばこの匂いが沁みついていた。なぜか壁には穴が開き、ソファも壊れ、お世辞にも綺麗とは言えなかったが、それでも安さに勝るものはなかった。
地元の学生には有名なのか、中学校の先輩に偶然トイレで遭遇したこともあった。
当時、カラオケに行くと誰かしらが必ずBUMPとRADを歌っていたのを覚えている。
僕もよく聴いていたし、カラオケで歌っていたが、『もしも』を聴いたのはその12月のカラオケが初めてだった。
もしも… 本当にもしも… 君が僕の事を思ってくれてたら
なんて考えてる僕をどうか叱ってやってくれないか
僕の願いと、それを自嘲するかのような思いがストレートに歌われていた。だからこそ友人がこの曲を歌った時、脳天を打たれたような感覚だった。
当時のRADと言えば、「もしも」を願うというより、付き合っている対象がいる前提の曲が多いと思っていたので、なおのこと衝撃を受けた。
この曲はインディーズで発売されていた1stアルバムの収録曲ということもあり、レンタル未対応。そのため、音源も持っていなかった。
どうしても聴きたかったので、数日後に冷たい風に吹かれながら、近所のタワレコに自転車を走らせたのを覚えている。
部活や学校に行く途中、寒空の下で自分を奮い立たせるかのように繰り返し聴いていたのを思い出す。
*当時はサブスクもなく、CDを買うか、レンタルするのが一般的だった。ちなみに2025年現在もRADのインディーズ作品はサブスク解禁には至っていない。
「もしも」の世界に生きていた僕
振り返ってみると、当時の僕といえば本当に自信がなかった。
自信がないのがデフォルトすぎて、そうとも思ってなかった。
むしろ少しずつ自信を持てている実感があったので、「自信過剰なんじゃないか」と的外れな不安を抱いていたくらいだ。
そんな僕はよく空想の世界に浸っていた。
空想というよりも”妄想”に近いかもしれない。
そんな思考だったので、人を好きになることはなかった。
厳密には好きにならないよう、諦めていた。
「告白しても振られるのが確定」という自信には満ちていた。
もしも自分がかっこいい陽キャだったら――そんな世界線の自分を詳細に妄想し、現実逃避していた。
「もしも」を歌った友人との出会い
「もしも」を歌っていた友人は、入学当時から輝いて見えた。
彼の髪の毛はつんつんで、当時の「イケメンパラダイス」をイメージしてもらえると分かりやすいと思う。
2000年代後半はその髪型が流行しており、男子高校生の基本フォーマットだった。今となっては不思議なくらいだ。
そんな見た目への偏見と嫉妬もあってか「きっと仲良くなれない」と思っていたが、彼が話しかけてくれた機会があった。
シャツの袖をまくり始める季節の放課後。僕が教室で残っていると、彼が彼と同じ部活の女子から問い詰められていた。
「やっぱりモテる世界の人は色々あるんだな」と空気として遠くから眺めていた。
女子が教室から出ていった後、彼は「女子って怖いね」と話しかけてくれた。
「僕に話しかけてくれるの?」と非常に驚いたのを覚えている。
何て返答したのかは覚えていないが、きっと挙動不審だったはずだ。
大げさなようだが、「この人も同じ人間なんだ」と思え、なんだか嬉しかったのを覚えている。
以降、気軽に話す仲になり、友だちの輪も徐々に拡がった。
青春の定番の恋バナに花を咲かせては、「モテないけど彼女は欲しい」とか、そんな話を延々とするようになった。
周りのみんなは君を顔で選んだって言うけれど
そんなんじゃなくて そんなんじゃなくて 君の人間好きになった
「見た目ではなく中身が大事」と信じていたので、自分の気持ちを代弁してくれているように思えた。
その一方で、無性に恥ずかしくなった。
彼の外見に偏見を抱いていた自分こそ”見た目”で人を判断してたのではないか。
見た目が良ければ全て解決する――そんな空想にふけて、妬み嫉み、現実逃避ばかりをしていた。
振り返ってみると、そんな僕に人間同士の関りとして成長させてくれた出会いだった。
彼がカラオケで「もしも」を歌ったのは偶然のはずだ。
それでも、僕に「頑張ろうぜ」と背中を叩いてくれているような気がした。
僕がこの曲に惹かれ、励まされてきたのは必然なのかもしれない。
思わぬ”再会”と青春の追体験
時を経て、今から数年前。
職場で新たに同世代の同僚ができた。
当然のようにRADの話題があがり、「いいんですか?」「有心論」と数々の名曲が挙がった流れで、彼の青春にも「もしも」があったことを教えてくれた。
その後カラオケに行く機会があり、僕は「もしも」をリクエストされたので久々に歌った。
違う場所で青春時代を過ごしていたが、どこか「青春」を追体験しているようだった。
彼とは年齢のみならず、地元も近い。
軽い気持ちで例の激安カラオケの話をしたところ「聞いたことがある…!行ってたかも…!」と目を丸くして驚いてくれた。
少なからず同じ駅のカラオケには足を運んでいたようなので、どこかでニアミスしていたのかもしれない。
もしも、じゃない。
もしかしたら、あの暗いカラオケのどこかですれ違っていて、別の部屋で同じように「もしも」を歌っていたかもしれない。
それはあのころの自分には想像もできなかった現実世界の豊かさだ。
「もしも」を通じて、思わぬ”再会”を果たしたようだった。
どうか時が戻るならば 純粋そのものだった君にまた出会いたい
どうか時が動かぬなら 素晴らしかった君に恋してた 僕のままで
時間が戻ることも、止めることも叶わない。時間が経てば景色も人も変わる。
ただ、音楽を通してあのころに戻ったり、違う場所で過ごしていた人と分かち合うことはできる。
そんなことを気づかせてくれた。
変わるもの、残るもの
高校を卒業して数年後、あのカラオケは運営がビックエコーに変わり見違えるほど綺麗になった。
GoogleMapで調べたところ、今は閉店したようで「テナント募集中」の張り紙が出ていた。
当時のカラオケの店名も検索してみたところ、mixiのコミュニティがヒットした。
最終更新は2009年で、このコミュニティ自体も何か活動があったわけではないようだ。
それでも、在りし日のSNSにひっそりと残っていた。
姿は変わり、やがて消えていく。それでも、記憶には残る。
あのカラオケはもうないが、過ごした時間、聴いた音楽、出会った友人――その事実はたしかに残っている。
あの時「もしも」を歌っていた友人とは、高校卒業後も時折連絡を取っている。
数年前に結婚したと聞いた時は、心から喜んだ。
そして先日、子供が生まれたことをインスタで知った。
嬉しくなり、久々に連絡を取ったが彼も変わらず元気そうだった。
高校生の時に「彼女が欲しい」なんて話していた友人の幸せそうな姿が、僕は何よりも嬉しかった。
あのころの「もしも」では想像もしていなかった未来に僕たちは立っている。
今の僕も自信に溢れているなんてことはないし、未だに妄想しがちだ。
それでも、それは空想の世界に逃避しているのではなく、遊びにいくような感覚でいる。
空想の世界が楽しくても、現実が変わらないのが悲しかった。
そう気づいてから、少しずつ現実に目が向くようになった。
友人が父になったり、新たな友人と再会したり――未来は想像以上だ。
そう思うと、僕は確かに前に進んできたようだ。
これからも、時々「もしも」の世界に行きながら、気づいた時に前に進んでいれたらいいと思っている。
前述の通り「もしも」はストリーミングでも配信されておらず、公式でもYouTubeにあがっていない。
アカペラグループ「よかろうもん」のカバーを紹介させて欲しい。
YouTubeには文化祭で披露された多くのカバー動画もあがっている。
当時の空気感が溢れているこの動画たちも僕は大好きなので、興味がある方は調べてみて欲しい。
他の記事でも懐かしの名曲と共にあのころを振り返っているので、よろしければどうぞ。
