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◆読書日記.《ジョン・ロック『統治二論』/後編「政治的統治について」(『市民政府論』)》

<2023年6月14日>


<概要>
イギリス社会が新興の中産階層の力で近代社会へと脱皮してゆくとき、その政治思想を代表したのがロック(1632-1704)であった。王権神授説を否定し、政治権力の起源を人びとの合意=社会契約によるとした本書は、アメリカ独立宣言の原理的核心となり、フランス革命にも影響を与えた。政治学史上屈指の古典の全訳。

(本書・表紙の内容紹介より引用)

<編著者略歴>
ジョン・ロック(英語: John Locke FRS、1632年8月29日 - 1704年10月28日)は、イギリスの哲学者。哲学者としては、イギリス経験論の父と呼ばれ、主著『人間悟性論』(『人間知性論』)において経験論的認識論を体系化した。また、「自由主義の父」とも呼ばれ、政治哲学者としての側面も非常に有名である。『統治二論(統治論二篇)』などにおける政治思想は名誉革命を理論的に正当化するものとなり、その中で示された社会契約や抵抗権についての考えはアメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。
著作の大部分は1687年から1693年の間に刊行されているが、明晰と精密、率直と的確がその特徴とされており、哲学においては、イギリス経験論の父であるだけでなく、政治学、法学においても、自然権論、社会契約の形成に、経済学においても、古典派経済学の形成に多大な影響力を与えた。

(Wikipediaより引用)

<『統治二論』後編「政治的統治について」の概要>

 ジョン・ロック『統治二論』読了。

ジョン・ロック『完訳・統治二論』(加藤節/訳・岩波書店)

 前回は前半部分の論文「統治について」まで読み終えて感想をまとめたが、今回は後半部分の一論「政治的統治について(『市民政府論』)」を読み終えた。

 この『統治二論』の全体の概要と、前半部分に相当する「統治について」の内容については、既にレビューを上げているので、そちらのほうをご参照願いたい(と言う事で本書の概要とロックについての紹介については前回をご参照頂くとして省略させて頂いた)。

 と言う事で、今回はこちらの後半部分にあたる「政治的統治について」について語っていきたいと思っている。

(……しかし、個人的な事を言わせていただくと、本書に関してはいろいろと書きたい事がたくさんありすぎた上に、執筆前にちょうどぎっくり腰をやってしまい、しばらく長時間の座り仕事が厳しい状態になっていたので、本稿を書くまでに随分と時間がかかってしまった)

 本書は前回も説明したとおり「長編論文をふたつぶん合わせたもの」となるので、分量も二冊分の分量になっている。しかも、その前篇と後篇ではかなり内容が違っているという事もあって、本書のレビューも前篇と後篇で二つに分けさせて頂いた。

 この判断は割と当たっていたようで、やはり後篇「政治的統治について」は、前編「統治について」とは全く違った内容について論じている。――もちろん、後篇は、前篇の内容を踏まえた上での内容と言う事になるのだが、確かに岩波文庫では後篇を独立して『市民政府論』という形で出版しているというのも分からないでもないと思わせられた。

 前回も説明したが、おさらいがてら、本書の前篇と後篇の内容について、もう一度説明しておこう。

<ジョン・ロック『統治二論』概略>
・前編『統治について』

⇒王権神授説の代表的な文献として、当時(チャールズ2世治下)の王党派のバイブル的な書籍であったロバート・フィルマー『パトリアーカ(家父長論)』と『考察』とを丁寧に読み込み、その内容を徹底的に論駁する。
・後編『政治的統治について』=岩波文庫『市民政府論』
⇒当時のヨーロッパの絶対王政体制を否定し、「王権神授説」の代替案としてロックの考える政治権力のあり方(=社会契約説/市民政府論……政治権力は君主の手の内にあるものではなく、人民から信託された政治的共同体(立法権力、執行権力、連合権力などの合わさった共同体)によって運用され、この共同体が人民の信託に背いた場合は統治する権力を喪失し、人民はこれに抵抗しても良い)を提示する。

 本書はその前半において、当時ロックとは政治的敵対関係にあったイングランド王党派のバイブルであったロバート・フィルマー『パトリアーカ(家父長論)』の徹底的な論駁が行われた。
 そして、後半では王権神授説の代替案として、ロックの社会契約説に基づく政治社会――人民からの信託を受けた政治的共同体の運営する統治――を考える内容になっている。

 こうして見てみると、基本的にこの本の意図は「論敵である王党派の理屈(絶対王政的スタンス)を否定し、自分たち(議会派)の立場を擁護する」という、かなり党派利益的スタンスで書かれたものだという事が分かる。

 だが、こういった「党派利益的スタンス」の意図を以て書かれた書という考え方は、本書の訳者である加藤節が言うには「一面的」であるというのだ。
 そこで加藤が主張しているのが、戦後ケンブリッジ大学を中心にして始まった研究によって注目されるようになった、ロック思想における「宗教的側面」の重要性であった。

 加藤はジョン・ロックの思想を解説した『ジョン・ロック――神と人間との間』にて「丸山以降、(※日本のロック研究における受け取り方は)ロックの政治思想を社会契約説、立憲主義、自由主義、「市民政治」論といった観点から分析するものが主流になったが、それらは、あきらかに丸山の問題核心を引きつぐ意味を持つものであった(加藤節『ジョン・ロック』P.213)」と指摘している。このために日本ではロックの「宗教性」という側面が見逃されてきたというのである。

 つまり、『統治二論』で主張されている「社会契約に基づく人民に信託された政治的共同体の運営する近代国家観」についても、「社会契約説、立憲主義、自由主義」といった純粋に政治思想的な考え方で組み立てられたものではなく、そのベースとなる部分は常に「宗教的な動機」が存在しているのだ、と言う事である。

 例えば、ロックが「公共善」としての政治的統治の目的が「個人の固有権(生命・健康・自由・財産の権利)を守る事」であると主張しているのも、その根拠は「宗教的」な思想がベースとなっているわけである。

 では、そのロックの宗教的な考え方とは、具体的に言ってどういったものだったのだろうか。
 本書の訳者である加藤節は、それを「解説」で簡潔に、以下のようにまとめている。

 ロックのにおける信仰の考え方である「神学的パラダイム」とは、次の二つの信条から成り立っている。

 一つは、「カオス」に満ちた人間の生の規範的な指針として「われわれにとって最善でありわれわれが黙従すべきもの」を示してくれる「神の手」の存在への揺るぎなき確信であり、もう一つは、人間を、「神の目的」に仕えるべき義務を負って創造された「神の作品」とみなす信念にほかならない。こうした二つの信念から、「人間存在の方向づけのための十全な規範の体系を提示してくれる慈悲深い神」との義務論的な関係において、「理性的被造物」の名に真に値する人間の生の条件を確証しようとする神学的パラダイムが、ロックの思考を根底で規定する枠組みとして成立することになる。

ジョン・ロック『統治二論』P.602-603/加藤節「解説」より

 神は人間を「理性的被造物」として創造された。故に、人間と人間との間に成立する規則も疑いなく「理性」に則って決められているに違いなく、そのルールを一方的に破って暴力的なやり方を正しいとするのは「獣のやり方」に過ぎない。
――だから、他者を暴力的に簒奪する「侵略」や、人民の信託を得ず他者に一方的な隷属を求める「絶対王政」といった政治のやり方が正しいわけがない。故に王権神授説は否定されねばならないというわけなのだ。

 もちろん、政治的統治の目的が「個人の固有権(=プロパティ=生命・健康・自由・財産の権利)を守る事」である事という考え方も、このロックの「神学的パラダイム」の考え方に基づいている。
 人間は「『神の目的』に仕えるべき義務を負って創造された」わけであるから、その義務を遂行するために自分自身を維持する必要がある。そうでなければ人間が神に対して負う義務を果たす事はできない。
 神が自殺を否定するのもそれが理由であるし、殺人が否定されるべきなのも、勝手に他者の生命を奪ってその者が神に対して負っていた義務の遂行を邪魔する事に他ならないからだ。

 ロックが「個人の固有権(生命・健康・自由・財産の権利)を守る事」を、政治思想の出発点として考えたのは、そういった宗教的な考え方があったためなのである。

 ロックの正当性論は、契約説に矛盾するかに見える一つの神学的前提を伴っていたからである。「いかなる国家においても、至高の統治権力は神に由来する」として、政治的統治の究極的な淵源を「神の意思」に求める視点がそれであった。この視点と契約説とを神学的パラダイムの枠内で接合した点に、政治的統治に関するロックの正当性論の独自性があった。

ジョン・ロック『統治二論』P.610-611/加藤節「解説」より

 驚くべきは、ロックも「いかなる国家においても、至高の統治権力は神に由来する」という考え方であったという点ではないだろうか。

 要は、フィルマーも、ロックも、統治権力の正当性の根拠は「神のご意志」によるものだ、と主張している点では変わりないのである。
 片方は「神のご意志は絶対王政が正しいとしている」と主張し、それに対してロックは「神のご意志は社会契約説のほうが正しいとしている」と主張しているわけなのだ。

 ただ、ロックのほうの考え方は、シンプルに「より多くの人が納得する考え方」だったからこそ、その後の歴史の中で「宗教性」の部分が徐々に薄らいでいって、「社会契約説、立憲主義、自由主義」といった政治思想へと洗練されて行く事となったのではないだろうか。

◆◆◆

『統治二論』の後篇「政治的統治について」の構成を説明するために、ここで後篇の目次を引用しておこう。

<政治的統治について>
第1章:序論
第2章:自然状態について
第3章:戦争状態について
第4章:隷属状態について
第5章:所有権について
第6章:父親の権力について
第7章:政治社会について
第8章:政治社会の起源について
第9章:政治社会と統治の目的について
第10章:政治的共同体の諸形態について
第11章:立法権力の範囲について
第12章:政治的共同体の立法権力、執行権力および連合権力について
第13章:政治的共同体の諸権力の従属関係について
第14章:大権について
第15章:父親の権力、政治権力および専制権力について――総括的考察
第16章:征服について
第17章:簒奪について
第18章:暴政について
第19章:統治の解体について

 後篇「政治的統治について」の内容については、大まかに第1章~6章と、7章~15章、そして16章~19章の三部に分けて良いかと思われる。

 第1章~6章では、人間の「自然状態」から考察を始めて後篇「政治的統治について」のベースとなる考え方を提示していくパートである。
 なぜ「自然状態」から考え始めるかと言えば、「政治的統治」が存在する社会である「政治社会」との対比によって、社会の根本的なあり方を考察するためだと言える。
 これによって「自然状態の人間」が、もともとどういうルールによって生きていたのか(自然法)、そして「自然状態の人間」がもともと持っていた権利(自然権)とは何なのか、という事を導き出す。

 第7章~15章では、1章~6章で考察した「自然状態」における人間の法や権利を踏まえて、それではそういった人間になぜ「政治社会(=国)」が必要になるのか、必要だとしたら、どういった統治形態が妥当なのか、そしてその「政治社会」の目的とは何なのかというところを考察していく。

 そして最後に16章~19章では、ロックが提示して来た社会契約説に基づく政治社会の形態が「解体される時」とは、どのような状態なのか、という点について「征服」「簒奪」「暴政」といった状況を提示し、そのような状態に陥った権力は人民からの信託に反して既に権力を喪失している状態にあるので、人民は新たな形態の統治を打ち立てる権利がある(いわゆる抵抗権)と主張して本書は締めくくられる事となる。

 さて、本書の大まかな内容は以上のようになっているが、本稿ではこれ以上の細部にはあまり踏み込んではいかないので、詳しい内容を知りたい方は横着をせず、直接ロックの『統治二論』あるいは『市民政府論』を通読するように。全く難しい本ではない、おそらく高校生でも通読できる程度の平易な文体の親切丁寧な本である。難解な専門用語も出さずに、ロックが一から懇切丁寧に説明してくれている。これはそんな本である。
 悪い事は言わない、内容を要約したWeb記事を読んだだけで分かった気にならずに、通読しなさい。

 というわけで本稿は内容要約を目的としているわけではないので以下、ぼくの調べた範囲での本書の背景情報やその他の思想史的、政治史的、歴史的な立ち位置などを踏まえて、ぼくなりに考えた事などをつらつらと綴らせていただこう。

◆◆◆

<自然状態、自然法、自然権について>

 ロックやホッブズなど、いわゆる17世紀の社会契約論者と呼ばれる政治思想家は「自然状態」「自然法」「自然権」といった考え方をベースに国家のあり方を考察するという方法が共通している。『統治二論』の場合、第2章から「自然状態について」というタイトルが付いている事からもその事が伺えるだろう。

 そのため、近代政治思想を語る上ではこれらの単語は重要語だと捉えても良いだろう。

 が、ロックもホッブズもこの「自然状態」等といった考え方を詳しく定義しようとはしていないので、これらの概念については多少の前知識は必要になるかもしれない(かといって知らないと本書に書かれている内容が理解できなくなるというほどのものでもない。文脈でなんとなく理解できる範囲のものではある)。
 なぜ詳しく定義していないかと言えば、これらの考え方はロックやホッブズの独創というわけではなく、古くは古代ギリシア時代には既に存在していた考え方だからだった(「社会契約」の考え方さえ、既に古代ギリシアには先例があった)。

 この「自然状態」というのは、人間がまだ「国家」のような集合となっていない状態での、人間たちの状況を想定して考える思考実験的な状態を指して言う。
 そういう状態を想定する事で、現在の社会状態と自然状態との対比を通じて、社会の根本的なあり方を考察する方法だと言えるだろう。

 そういう自然状態(まだ国家が成立していない状態)の人間たちの間には、どのようなルール(=人間の本能に根差したルール)が存在しているか想定すると「自然法」となり、国家などに定められた人々に保証されている権利などがまだ存在しない状態(=自然状態)での人間には、どんな権利が認められるか、という事を想定すると「自然権」となる。

 自然状態に対して、現在の国家が成立している状態を「社会状態」、あるいは『統治二論』では「政治社会」という風に表現している。
 また、「自然法」に対しては、人や国が定めて、実際に社会で実行されてる法を「実定法」といっている。
 そして、「自然権」は現在でも通じる言葉だが、現代ではあえて言うなら「実定的諸権利」であったり、あるいは「人権」「基本的人権」もっと単純に「権利」と言っても良いだろう。

 まとめると以下のようなイメージで考えられる。

<自然状態> ⇒ <社会状態>(『統治二論』では「政治社会」)
 <自然法> ⇒ <実定法>
 <自然権> ⇒ <実定的諸権利>(「人権」「基本的人権」あるいは単純に「権利」)

 この「自然状態」という事をどういった状態だと想定するかによって、思想家ごとのスタンスが微妙に変化したりもする。

 基本的に「自然状態」という状態は、人為的に決められた法律に縛られていない人々が、それぞれに連帯して生きているという状況が想定される。
 ここまでは、だいたいの思想家の意見は一致しているだろう。

 ホッブズは、これらの自然状態の人間たちは、有名な言葉にあるように「万人の万人に対する闘争」の状態にあると考えたわけだ。

 ホッブズは、「自然状態」はもともとは「平和」であるが、「人間の本性」は欲求の充足を求めるものであり、また身体や判断の能力において人間は平等であるから、そこに争いが起こる。ましてや災害その他の非常事態が起こると「生命の安全」を求めて争いが起こるという。

田中浩『ホッブズ リヴァイアサンの哲学者』P.42より

 ロックは「自然状態」について具体的にどういった状態なのかという点は詳しく定義してはいないが、各人が自然法の範囲内で「完全に自由な状態」であり、また「平等な状態」でもある状態であると説明している(P.296)。そして、ロックにとって人間とは神によって作られた「理性的被造物」であるから、自分たちにとってマイナスにしかならない闘争状態になる事はないだろうと考えるのである。

 こういった「自然状態」の捉え方の違いに、思想家それぞれのベースとする思想的相違が存在しているわけである。そして「政治」というものを根本から考える場合、17世紀の政治思想家らは「人間とはそもそもどういった存在なのか」といった事から考察しはじめた。だから、それぞれの「人間観」の違いによって、それぞれ微妙に作り上げられる国家観といったものも違ってくるのである(ちなみに、これが「人間とは生まれながらに自由ではなく、隷属状態にあるのが当然である」という考え方になると、ロバート・フィルマーの王権神授説のような国家観が作り上げられるわけだ)。

 ロックは、「自然状態」にある人間も「完全に自由な状態」ではあっても、それは「何をしても自由だ」という事ではないとしている。
「自由の状態」と「放縦の状態」とは、違う。
「自然状態」にある人間であっても、「自然法」に縛られているのが人間と言う生き物だ、と考えたわけである。

 ここでいう「自然法」とは、ロックにとっては「理性」であった。「理性的被造物」である人間だからこそ、人間は理性に縛られている。それがロックにとって、人間を生まれながらに縛っている「自然法」の正体であった。

 ロックは「理性」というものに絶対的な信頼を持っていたのだ。
 だからこそ、彼のによる社会契約説の「法」の考え方は人間の「理性」から、理性によって一つずつ積み重ねられて言ったロジックによって支えられている。

 だから、ロックは逆に「理性」を無くして感情を暴走させ、暴力を人間のルールとしている考え方を「獣のやり方」だと批判するわけである。
 私が他者に危害を加えれば、私も他者から危害を被る可能性が出てくる事は容易に理解できる。そうなれば、人間社会は暴力が荒れ狂う地獄の状態になるだろう……。

 故に、ロックの「自然状態」の考え方は「万人の万人に対する闘争」の状態とは逆に、人間それぞれが理性を働かせ、万人を抑制して互いが互いの存在を尊重し合う「自然法」が守られている状態だと考えたのである。
「自然状態」は「完全に自由な状態」であっても争いが起こらないのは、人間が本性的に「自然法(=理性)」に縛られているからである……ロックはそう考えたのだ。

 しかし、自由とは、普通に言われるように、誰でもが自分の欲するところをなす自由ではない(なぜならば、もし人が、他人の気まぐれによって支配されるのであれば、誰も自由ではありえないからである)。そうではなくて、自由とは、ある人がそれに服する法の許す範囲内で、自分の身体、行為、所有物、そしてその全固有権(プロパティ)を自らが好むままに処分し、処理し、しかも、その際に、他人の恣意的な意志に服従することなく、自分自身の意志に自由に従うことにあるのである。

ジョン・ロック『統治二論』P.359

◆◆◆

<自然権と人権について>

 では、「自然状態」にある人間が「自然法」に守られている状態だと、人間にはどういった権利が与えられているのか……と考えると「自然権」の考え方が発生する。

 ちなみに平凡社『哲学事典』の「自然権」の説明を引用しておくと「歴史的ないしは人間の定めた「実定的諸権利」が、時代、場所により可変的であるのに対して、いついかなる場所でも、人間として当然享受、主張すべきだと考えられる諸権利を自然権という」とある。

「自然権」の考え方は、『統治二論』においては「固有権(プロパティ)」という言葉で表現される事が多い。
「固有権(プロパティ)」というのは「生命・健康・自由・財産の権利」といったもので、これがおよそ「自然権」や「人権」の考え方と重なってくる。

 ロックが、人間は「固有権」が保全されるべきだと考えたのは、本性的な人間の姿(自然状態の人間の姿)が、「完全に自由な状態」で、また「平等な状態」でもある状態だからでもある。
 人間が本質的に「自由・平等」だから「自由・平等」は「自然権」のレベルで守られるるべき根源的な権利だと考えるのである。では、なぜ人間は「平等」なのか?

 なぜなら、同じ種、同じ等級に属する被造物が、すべて生まれながら差別なく同じ自然の便益を享受し、同じ能力を行使すること以上に明白なことはないのだから、それらすべての者の主であり支配者である神が、その意志の明確な宣言によってある者を他の者の上に置き、その者に、明示的な任命によって疑う余地のない支配権と主権とを与えるのでない限り、すべての者が従属や服従の関係をもたず、相互に平等であるべきだということはあきらかであるからである。

ジョン・ロック『統治二論』P.296

……と、ご覧の通り「神がそういう風に平等に作ったのだから」という宗教的な理由なのだ。

 人間とは、本性的に「自由・平等」であり、神の作った「理性的被造物」であるから、互いに理性を働かせて互いの存在を尊重している生き物である……ロックのそういう宗教性に根差した「人間観」があるから、ロックの「固有権(=生命・健康・自由・財産の権利)」の考え方が発生するわけである。

 現代のわれわれからしてみれば、「人権」の裏にこういった「宗教的」な根拠提示がある事は不思議な感覚もあると思うのだが、それでも本書はアメリカ独立宣言やフランス人権宣言に理論的影響を与えたのであり、その「自由・平等・人権(自己保存)」という近代政治思想の発端の一つは、確実にここにその萌芽が現れているわけである。

 実はロック『統治二論』に関連して、副読本として岩波文庫の『人権宣言集』を同時並行的に読み始めたのだが、その重要な柱の一つに『統治二論』の思想が大きな影響を与えているという事が分かる点、ロックを理解する上でもとても参考になるのでオススメである。

高木八尺・末延三次・宮沢俊義/変『人権宣言集』(岩波文庫)

 国連の世界人権宣言にまでその影響が刻印されている所など、感動的なほどだ。例えば世界人権宣言の第一条には「すべての人間は、生まれながらに自由で、尊厳と権利について平等である。人間は、理性と良心を授けられており、同胞の精神をもって互に行動しなくてはならない」とあるが、その「すべての人間は、生まれながらに自由」で「理性と良心を授けられて」いるという人間観は、まさにロックの今まで説明してきた人間観と共通している。

 ジョン・ロックは「自由主義の父」とも言われているそうなのだが、『統治二論』では「人間は生来的に自由なものだ」という事が幾度も強調されている。
 ロックから言わせれば、人間は本性的に「自由」だからこそ、「絶対王政」のような人間の隷属状態を恒常化する統治形態は否定されるべきだ――という事になるのである。

 ロックが攻撃すべきと考えた論敵は、王権神授説によってその地位を保証された絶対君主制であり、世襲制による権力層の固定化であり、多宗派への弾圧を行う国教であった。
 これらへの攻撃として、王権神授説における「全ての統治は絶対王政である」「人間は生まれながらに自由ではない」に代わる「人間の生来的な価値としての自由」という思想を掲げなければならなかったのだ。

 そういった党派利益への誘導がロックの目的としてはあったものの、この「人間の生来的な価値としての自由」というスタンスが、後にイギリスの名誉革命、アメリカの独立宣言、フランス革命による人権宣言といった近代国家の考え方に結実していくわけである。

「自然権」……あるいは「人権」は、国や人が定めた「実定法」で守らねばならないものとしての権利ではなく、「人間が生まれながらに持っている権利」だからこそ、多くの近代国家では、法律の上位法としてある成文憲法には、たいてい「権利宣言(または人権宣言)」の条文が記されるようになっているのである。

◆◆◆

<政治的共同体の成立プロセスについて>

 さて、ロックの『統治二論』では、上述した「自然状態」「自然法」「自然権」という考え方がベースとなり、その上で「政治的統治とは何か?どうあるべきか?」という問題を考察していく事となる。

 生来的に「自然法」によって個々人の「自然権」が守られている状態で、「政治的統治」が必要となってくるのは何故か?

 人間の数が増えて行って集団を成すようになると、どうしても自然権を守り切れない不都合な点が生じてくる。それをカバーするための「政治的統治」が必要になると考えたわけだ。

「自然権」の考え方が、法律以前に成文憲法の条文として記されなければならないのは、「自然状態」で保全されている権利が「政治社会」で保全されなければ、わざわざ国家など作る意味がないからである。「大前提」として、守らねばならない権利だという事なのだ。

 国家を作ったがために「自然状態」の人間たちよりも状態が悪くなる事などあってはならないからこそ、そういった政治的共同体の目的は「公共善」でなければならない……というのが、ロックの考える政治的共同体の目的である。

 政治的共同体がカバーしなければならない部分というのは、例えば自分で自分の裁判官にはなれないので、第三者的な公平な判決を行える「裁判官」であったり、その判決を執行するための「執行官」が必要になったり、または人民が固有権を安全に享受できるようにするために公平な立法を行う「立法機関」などが必要になってくる。……と、ここの辺りのロックが考えた政治的共同体の詳しい体制について直接『統治二論』にあたってもらう事としよう。

『統治二論』第8章「政治社会の起源について」では、「自然状態」の人間たちの状況から、「政治社会」という状態になるまでの中間の移行期間の状態を想定し、最終的に「社会契約説」を成立させるロジックを導き出している。

 要はこれは17世紀当時の絶対王政は「公共善」としての政治的共同体の目的が果たせておらず、また自然に成立する統治形態ではないために「不自然な、正統ではない政治形態だ」と批判するためのロジックでもあるのだ。

 ロックは、「自然状態」から集団が発展していき、政治的社会を作り始めた当初は、皆が代表者を決めていたはずだと考えた。
 人間の集団がまだ家族や親族といった小規模のものだった時期は、ロバート・フィルマーが『パトリアーカ(家父長論)』で主張しているように「父親権力」が幅を利かせていたというのは分からないでもないが、それが家族集団を束ねて、「集落」や「村」といったように更に大きな集団となってくれば「父親」ではなく、その集団を指導する立場の人間は何かしらの合議によって決められたはずだと。

 組織の代表が強い支配権を得るのは、他集団との戦争状態に突入した場合だ。その場合、指揮をする者が複数いると混乱を来すため、一時的にも集団の責任者が権力を得たであろう。
 これらの「政治的共同体の創始期」のモデルをロックはアメリカ・インディアンやアジアや西洋の初期の時代を想定して考えるのである。

 これらのいずれの事情で最初に一人の人間の手に支配権が置かれたにせよ、確かなことは、公共善および公共の安全以外のものを目的として支配権を信託された者はなかったということ、また、政治的共同体の創始期に支配権を手にした者は、そうした目的のためにそれを用いるのが普通であったということである。彼らがそうしなければ、若い社会は存続しえなかったに相違ない。公共の福祉を優しく気遣うそうした育ての父祖たちがうなかったならば、すべての統治体はその幼年期の弱さと脆弱さとのために倒れてしまったであろうし、君主も人民もともに遠からず滅びてしまったであろう。

ジョン・ロック『統治二論』P.424

――政治的共同体の創始期はその国土に対して人の数も資源も少なく、集団は今より脆弱なものであった。
 だからこそ、その当時の「支配者」というのが私利私欲に走った場合、そのような集団が長く存続するはずもない、とロックは考えたのである。

 故に「自然状態」にあった自由人らが「理性的」に共同社会を作っていくプロセスは「多数決に服する事の出来る自由人が社会へと結合し、一体化しようと合意する事にしか求められない」。
 普通の社会であったならば、皆が推薦する優れた者が社会の代表者に選ばれて指揮をとる事を任されたと考えるのが自然であろう……故に、正統な社会であれば、皆の信託を得た人物に一時的に権力を与える、いわゆる「社会契約説」の考え方が現れるであろう、というわけである。
「政治的共同体の起源」について残っているローマや聖書の記述を調べてみても、そのような「合意」による共同体の発生という事にしか起源は考えられないとロックは言う。

 だから、権力を持つ代表者が代々「血」で権力を継承するなどといった政治体制(絶対王政)のほうが「新しく出来た不合理な統治形態」だというわけである。そのために絶対王政は「正統」ではない。

 だからこそ「絶対王政」よりも、社会契約に基づいた政治的共同体のほうが正統であるというロックの結論が導かれるのである。
(ちなみに、ここまで見てくるとロックのロジックは、やや人間の理性を信頼しすぎているきらいは無きにしも非ずと思える)

◆◆◆

<抵抗権について>

『リヴァイアサン』のホッブズとロックは、同じ17世紀イギリスで社会契約説を唱えた政治思想家として比較される事も多いが、彼らは「抵抗権」の考え方で特徴的な違いを見せているという事はよく指摘されている点でもある。

 ホッブズもロックも、統治機関の目的は「公共善」であり、ホッブズが「生命の安全(自己保存)」を重要な目的としたのに対して、ロックも「固有権(生命・健康・自由・財産)を守る事」を重要視している点は似ている。

 が、よく言われるのは、ホッブズ政治学が非難される場合によく採り上げられる「人民から権力を信託された主権者に抵抗してはならない」という考え方であろう。ここが、ロックの政治学の特徴として良く言われる「抵抗権」との顕著な違いである。

 ホッブズは、人民に選ばれた代表者(=主権者)には大きな権力を与えるべきだと考えていた。
 ただし、ここでは「人民の"生命の安全"を守るために」大きな権力を与えるべきだという条件付きだという点が重要なのである。

 ホッブズの政治学の要点は、あくまで「生命の安全(自己保存)」という所であろう。

 だから「抵抗権」の代わりにホッブズは、人民が死刑を宣告されたら死刑囚は逃げる自由があり(ただし、逃げる事はできないだろうが、と言ってはいる)、徴兵についても金銭で免除されたり逃げたりといった自由は認められるべきだろうと考えていたようだ。

 つまり、ホッブズも「個人が統治権力に対して個人的に抵抗する権利はある」と考えていたわけである。
 ロックの抵抗権が「集団的抵抗権=革命権」である事に対して、ホッブズのそれは「個人的抵抗権」だという事なのである。

 重要なのは、両者とも17世紀イギリスという、様々な権力が入り乱れて内乱や国内紛争など権力争いを行っていた時代に生きた政治思想家だという事である。
 彼らはそういった時代に生きたからこそ、そのような闘争が国家存続さえ危うくするという事を理解していたのだろう。
 ホッブズは戦争や内紛を非常に恐れていたというし、ロックも青年期に起こった内紛を横目に、争いに明け暮れる同時代人に対する不信感と絶望感を募らせていったと言われている。

 ここで重要だと思うのは、両者に共通する「抵抗権」の契機が共に「戦争に対する嫌悪感」であったと言う事なのではないかと思うのである。
 そんな彼等にとって「戦争」というものは、例え暴走した権力を打倒する手段だとしても、軽々しく推奨できるものではなかったに違いない。

 ロックは『統治二論』のラストを「抵抗権」の考え方で締めくくりはしたものの、彼の意図は「名誉革命(1688年)」の擁護にあって、戦闘を推奨していたわけではない。何に対してもいきなり抵抗するのではなく、人民全体の固有権の危機があった「天に訴えるしか途がない戦争状態(P.588)」での最終的な手段として提示しているのである。

◆◆◆

……このようにざっとロックの『政治的統治について』を見てくると、その発想の根源にあるものはほとんど「党派利益への誘導」と「ロックの宗教観」をベースとしており、地道なロジックの積み重ねによって社会契約説を導き出していた。

 が、このロックの考え方は、その根元にある「宗教性」という部分はほぼ忘れ去られ、広く近代国家理論に影響を与えるまでに至った。

 どうもこういった非常に広く影響を与えた思想書というのは、根っこの部分にあった肝心の著者の意図と言うものは、広まっていく内にけっこうな割合で忘れ去られてしまう傾向にあるようなのだ。

 例えば『人権宣言集』の最初に記載されているイギリスの「マグナ・カルタ(1215年)」は17世紀以来「イギリス人の自由の守護神」として崇め立てられてきたそうだが、当初これは近代的な意味で言う「自由」や「人権」を保証する意図で作られたものではなかった。
 マグナ・カルタにおける「自由」というのは、国王に対して封建領主たちが制約を受けずに「自由」に領内の人々を支配するための「自由」であって、むしろ封建制度を温存するためのものでもあったのだ。

 だが、その後のイギリス史を見ていくと、まずこの「国王に対しての自由」という第一段階がなければ、現在のイギリスのように国王がいながら議会制民主主義を行うという体制にはなっていなかっただろうと思わせられる。

『統治二論』の訳者である加藤節のジョン・ロック解説書『ジョン・ロック――神と人間との間』にも、加藤はロックにも「植民地主義の正統かを含意するようなロックの思想の問題的な側面」などの否定的な側面があった事を指摘している。

 が、そういったロックの根っこの部分にある動機や党派意識といった部分とは別に、彼の思想が広く影響を受けたのは、それがある種の説得力を持ちえたからでもあるのだろう。
 何より、現代の世界秩序を考えてみても「自由・平等・健康・財産の保全」を人民の生来的な権利とし、政治的統治の目的が「公共善」にあるという点について、さほど拒否反応を示す人もいないはずだ。

 ぼくの個人的な考えとしては、ホッブズやロックに共通している「公共善」であり、「生命の保存(ホッブズ)」「固有権(ロック)」といった考え方は、彼らの生きた17世紀よりも、産業革命が起こった18世紀でより大きな影響を与えたという点が意味するところは大きいのではないかとも思うのである。
 いよいよ初期資本主義が始動し、マルクスの言ういわゆる「疎外情況」も起こりはじめ、社会は「群衆」という性格を強くしていくと同時に、教会権力が揺らぎ始めて宗教的な道徳が通用しなくなってくる。……そんな時代で「宗教」ではなく「理性」を通して「守られるべき権利」といった道徳的なものを提示し、あるべき国家の姿を示したという事の意味は大きかったのではないかと思うのである。


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