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わたしが終わる場所、あなたが始まる場所│共依存の時間を通して気づいた家族との境界線と尊厳


こんばんは。
おさゆです。

今日は、
人とのあいだにある”距離”について、
ふと立ち止まって思い出していることを書いてみようと思います。

人を大切に思うほど、
どこまでかかわればいいのか
分からなくなることがあります。

近づきすぎて苦しくなったり、
離れすぎて寂しくなったり。

そんなふうに揺れながら、
わたしたちは、人と人との距離を
少しずつ覚えていくのかもしれません。


先日、長男の家にお泊まりで、
孫のお世話をする時間がありました。

まだ小さな手が、
ごはん粒を上手にすくい上げながら、
一生懸命スプーンを口に運んでいる。

テーブルの上には
いくつかのごはん粒。

椅子の下にも、
ぽつぽつと落ちていて、
微笑ましい時間でした。

仕事から戻った長男にそんな様子を
伝えると、笑いながら

「まぁ、そうなるよな」

そんな空気のまま、
ゆっくり流れる食卓の時間。

我が息子もさることながら、
孫たちの健やかな成長ぶりを
見ていて

遠い昔のことが、
ふと浮かんできたんです。


長男が学生の頃、
飲食店でアルバイトをしていたときのこと。

ある日、帰ってきて
こんな話をしてくれました。

「母さん、店でさ。
子どもがごはんこぼしただけで
めちゃくちゃ怒る親とかいるんよ」

「頭叩かれてる子とかもいてさ」

「なんであんな言い方するんだろうって
かなりびっくりした」

そう言いながら、
少し困ったような顔をしていたのを
覚えています。

そのときのわたしは、
ただ静かに話を聞いていただけだったけど

でも、いま振り返ると、
あの言葉の奥にあったものを
少しだけ感じ取れる気がしています。


わたしの子育ては、
決して穏やかな道ではありませんでした。

元夫の薬物問題。
家の中に流れる、言葉にならない緊張。

どうしていいのか分からないまま、
必死に日々を回していた時間もありました。

そんなとき出会ったのが、
依存症者を抱える家族の会。

そこは、
答えを教えてくれる場所というより、

自分の見ている景色を、少しだけ
違う角度から見せてもらうような場所でした。

その中で、
ふと耳に残った言葉があります。

人と人とのあいだには、
「自分が終わる場所」と
「相手が始まる場所」がある。

その言葉を聞いたとき、
胸の奥で何かが静かにほどけた気がしました。

それまでのわたしは、
「家族だから」という思いの中で、

どこまでが自分で、
どこからが相手なのかを
見失ってしまうことが多かったんだと
思います。

心配だから。
大事だから。
守りたいから。
愛しているから。

そう思うほど、
相手の気持ちの奥まで
手を伸ばそうとしてしまう。

でも、
もしかしたらそこは、

本当は踏み込まなくてもいい
場所だったのかもしれない。

そんなふうに思うようになりました。


子どもであっても、
わたしとは別のひとりの人。

それは頭ではわかっているつもりでも、
近い関係ほど見えなくなることがあります。

親だから。
家族だから。

そう思うと、
いつのまにか
「わかっているつもり」になってしまう。

でも本当は、
その人の内側には、

その人にしか触れられない
場所があります。

そこに気づきはじめてから、
かかわり方が少しだけ変わりました。

「どうしたの?」と聞く前に、
少し隣に座ってみる。

「こうした方がいいよ」と
言う前に、

その人が何を見ているのか、
しばらく眺めてみる。

そんな時間が少しずつ
増えていった気がします。


次男が学校へ行けなくなったときも、
同じような感覚がありました。

最初は、やっぱり戸惑いました。

親として
なにか間違えてしまったのだろうか。

そんな思いが
よぎらなかったわけではありません。

夜になるとうつむいて、
ぽろぽろと大粒の涙を流しながら、

「僕は外に出ない方がいいんよね」
「僕は死んだ方がいいんよね」

学校に行けなくなるきっかけに
なった場面。

夜になると起きるフラッシュバック。

そんな彼の様子を見ているうちに、
別の見方が静かに浮かんできたんです。

「ああ、この子はこの子なりに、
自分で自分のこころを守るために
立ち止まったのかもしれない。」

そんなふうに思えた瞬間がありました。


こころを透明の袋に例えて
考えてみました。

その袋には
小さなファスナーがついていて、

開けたり閉めたりしながら、
人は外の世界とかかわっています。

安心できる場所では
少し大きく開いて、

まだ怖い場所では
そっと閉じておく。

その動きは、
誰かに決められるんじゃなく、

自分で選べるときこそ、
こころは守られているのかもしれない。

そのファスナーの場所。

それが、
人と人のあいだにある境界線なのかも
しれません。


親子でも。
夫婦でも。
恋人でも。

その線は、どこかにある。

そしてきっと、
それは守るためにあるもの。

相手を守るためでもあり、
自分を守るためでもある。

その境目に
静かに立ち止まれるようになると、

不思議と人との関係は、
少し柔らかくなる気がします。


いま孫たちを見ていると、
子育てという時間は、なにかを完璧に
するためのものではなく、

ただ人と人として、一緒に暮らしていく
時間なのかもしれないと、そんなふうに
思うことがあります。

あの頃、
必死だった日々のなかで、

うまくできたことも、
できなかったことも、
たくさんありました。

それでも、

人にはそれぞれ
大切にしたい場所があって、

そこをむやみに踏み越えないこと。

そのことを
少しずつ学ばせてもらった
子育ての時間だったのかもしれません。


最近、
穏やかな日常のなかで
よく感じることがあります。

「幸せだな」と感じれるこころは、

なにかを手に入れたから
生まれるんじゃなく、

人とのあいだにある見えない線。

それを大切に扱えるように
なったとき、

静かに育っていくものなのかも
しれないと。

もしいま、誰かとの距離に
少しだけ疲れているときがあったら

今日はほんの少しだけ、
自分のこころの場所に立ち戻ってみても
いいのかもしれません。

人と人のあいだには、
それぞれの場所があります。

その場所を、
そっと守りながら生きていくこと。

もしかしたら、
それが互いの尊厳を大切にする
ということなのかもしれません。

今日も最後までお読みくださって
本当にありがとうございました。

こころからの感謝を込めて。

おさゆ



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