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連載#02│依存心の成り立ちと“愛”のつもりで壊していたもの~薬物使用が明るみになるまで


少しづつお腹の膨らみが目立ち始めた頃、
わたしたちは結婚式を挙げました。

司にとっては初めての結婚で、どうしても
結婚式を体験させてあげたかった。

その提案に、
「お金が出せないからいい」と言った
司の言葉を、またしても聞き流してしまい
話し合うことすらしないまま、

共依存特有の”自分の存在意義”を見出す
ことができる絶好の機会が訪れることに
なったのです。

そのときにはまだ、それ事態が共依存で
あることは知る由もなく、

しっかり者の自分でいようとする
ことが、だんだんと表面化する
きっかけとなるのでした。


子ども時分、
両親の仲は良く、”いつも家族一緒”の
家庭ではあったけど、父は口うるさい
人でした。

そんな父は、わたしが幼少期の頃から
入退院を繰り返す暮らしで、家計を
支えるのは母。

そして、平日休みだった母の知らない
休日の、父との時間が大嫌いだった。

厳格だった父の機嫌を損ねないよう、
顔色をうかがい、怒られないように、
いつもいい子のふりをして、

物心ついた頃から、自分の気持ちを
抑えこみ、いつの間にか父の感情の
世話をするようになっていました。

母が仕事から戻ると、
張り詰めた気持ちが少し和らぎ、
安堵はするけど上手に甘えることは
できず、

「お姉ちゃんだから」の両親の言葉に
応えようと、しっかりした自分を演じ
ることでしか存在することを許されない
と思っていました。

いい子のふり。
しっかりした娘のふり。

でも、その”ふり”の裏側には、
いつも父の意に反することは言えない、
できない。

もしそうしたなら、また叩かれると
いう恐怖。

そして、母のいないさみしさ。

父に叱られてるとき、いつも母に
言いたくてのみ込んできた
「助けて」の叫び。

子ども心にパンパンに溜まった
「我慢」を、不機嫌な態度をとることで

気づいて!
わかって!
察してよ!と、

これが人間関係づくりにおける
パターンになったのでした。


こうして幼少期の両親との
かかわりから、

無意識に自分の中に立てた
「決まり」がいくつも出来上がり、
外側は大人になっていったのです。

・いい子でいなければいけない
・しっかりしてないといけない
・自分の気持ちは重要ではない
・泣いてはいけない
・甘えてはいけない
・頼ってはいけない
・自分のことは自分でしなくてはいけない
・欲しがってはいけない
・嫌われないようにしないといけない
・言うことはきかないといけない
・いつも我慢してないといけない
・嫌なことでもNOを言ってはいけない
・わたしは愛されてない
・がんばり続けなければならない

これが、
わたしが立てた「決まり」です。

この「決まり」が、
わたしの共依存、恋愛依存の源。

両親との感情的なつながりの感じ方や
受け取り方が、自分の望んだ度合いと
違っていたことで思い込んだこと。

両親と育む、親密さの不足でした。

もし、わたしと同じように

「頼ってはいけない」
「NOと言ってはいけない」
「がんばり続けなければならない」

といった、
そんな“自分の中の決まりごと”が
心に浮かんできたら、

まずは、
「これはわたしが子どもの頃に、
生き延びるために身につけたもの」と、

やさしく自分に
語りかけてあげてください。

それだけでも、少し、
自分を責める気持ちが和らぎます。


司との結婚式は、
この「決まり」によって、
まさに“自分の存在価値”を証明する
ための舞台でした。

さすがに、二回目の式の費用を
両親に負担させるわけにはいかないと、
すべて自分で段取りをして、当日を
迎えました。

そして、両親には一切の費用負担を
かけることなく、来客者からのご祝儀で
すべて賄うことのできた結婚式は、
我ながらあっぱれと思うほど。

友人からも、
全部自分でやったということの賞賛と、

司の親戚からも、しっかりした人で安心、
などと言ってもらえることに鼻が高かった。

でも、そんなふうに全てを一人で
取り仕切り、なにもかもを決め、
交換した二人分の指輪の代金まで
支払いを済ますわたし。

当然、司にとって面白いことなど、
あるはずはなかったのです。

ただ、当時司には借金があり、
彼自身もわたしの収入を当てにし、

わたし自身もまた、
そのことを疑うことなく
「わたしがやらなきゃ」と、

自分がすべてやることを当たり前のこと
だと思い込んでいました。

要するに、いつの間にか勝手に、
司の「しっかり者の親役」をはじめて
しまっていたのです。

その後しばらくは、結婚式や二次会の
写真を何度も眺めながら、幸せの絶頂を
噛みしめる毎日でした。

自分で敷金も払い、家電製品を揃え、
愛の巣として手に入れた新築のアパート。

その部屋のあちこちに写真を飾り、
そこに目をやっては幸せに酔いしれ、
満足感に浸る日々。

でもそれは、わたしだけがその満足を
感じているにすぎないだけでした。

司の気持ちなど、考えたり察してあげる
ことなどまったくせず、

考えてもらうべきはわたしで、
察してもらうべきはいつもわたし。

そんなふうに思っていました。

そうなると当然、
幸せを感じる日々は長く続きません。

しばらくすると、
司は仕事からの帰りが遅くなりはじめ、
なにか隠してるいとすぐに気づきました。

彼の外出はどんどんエスカレートして
いき、無断外泊も当たり前になり、

別の女性の影がちらつき始めると、
司の顔を見れば責めるばかりのわたし。

それでもたまに居れば、

本当はもっと居て欲しい。
居てくれてすごく嬉しい。

そう思っている気持ちをひた隠しに
しながら、本音とはうらはらな、
不機嫌な態度でしか接することが
できずにいました。

不機嫌で、素直ではない態度を
とることしか知らなかったわたし。

自分のとる態度自体に、居心地の悪さを
感じているにもかかわらず、

その居心地の悪さの原因は、すべて司に
あるとばかり思っていました。

本当は、
自分の思い方こそが無意識にある癖で、
それこそが問題だとは思いもしないで。


司との関係の中で、
わたしの当時見えていたもの。

それは、自分の思い通りにならない
「自分以外」のことばかりでした。

司をコントロールして
変えようとすること。

彼への支配欲。

自分の在り方にはなんの疑問も
持たず、彼の言動や行動こそが間違いで、

常に正しいのはわたし、という
スタンスでしか、かかわろうとして
いませんでした。

当然、どんなに「好き」だとか
「愛してる」と口で言おうとも、

彼の目に写るわたしの在り方に、
心からの、思いやりや温かさを
感じなければ、

彼なりに自分の自尊心を守るために、
どこかで、なにかで、生き辛さを解消しようと
することは、人として当然のことだったのです。

そしてわたしは、
彼に薬物の耐性があったことなど、
もうすっかり忘れていました。

そんな中、
想像したこともなかったあの
「ある日」が、やってきたのでした。


次は

『ある日のリアル~深層心理が及ぼす影響と
無意識に操られる関係』

について書いていきます。

※本記事は、許可なく複製・複写・転載・流用することを固く禁じます。



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