異文化理解、その道筋について。「酒を主食とする人々」を読んだ感想
異文化らしさと、その異質さ
日本人は食にうるさいという。僕にもちょっとしたこだわりはある。日本から出たことがないせいか、食の最低ラインは日本に住んでいることで保証されているラインを下回ったことはない。
今僕が、食文化をしれっと上下のあるランキングのように表現したけれど、もしあなたならこのランキングのどこに「酒を主食とする」をおくだろうか。
僕なら、きっとランキングの外に置く。そうしないなら、きっとアルコール依存症を想起して下の方におくだろう。ランキングの外なんて考えない素直な読者の方もそうかもしれない。酒好きなら、上の方に置くかもしれない。しかしそれは日本人のものさしだ。酒を主食にするなんていうのは、日本人の尺度で測るには不適格だろう。普通の定規で球体を測るようなものだ。
食事は必要不可欠なものであるがゆえに、異文化に触れる上でこんなにわかりやすい素材もない。そして、本書のタイトルと書影からは強烈な「異文化さ」を感じた。一方で、この酒を主食にする人々がいるという話は聞いたことがなく、かなり疑わしいと思った。
僕は世界ふしぎ発見!であったり、世界の果てまでイッテQ!のような海外の変わったところを取材する番組が好きだ(本書はクレイジージャーニーの取材が絡む旅行記なのだが、僕は見たことがない。実家を出て以来テレビとは疎遠になっていたためだ)。なので、首長族と呼ばれる部族だったり、下唇に円形のものを差し込んでどんどん広げていく部族とか、そういう人々がいるらしいということは知っている。なので、これだけキャッチーな酒を主食にする人々がいるのに紹介されたことがなさそうなので、本当に?という疑いの目を向けた。でも、いるとしたらきっと面白い話に違いない。
タイトルに対する疑いの目
まず本書を読み進めるに当たって、タイトルを疑った。僕は疑り深い方なので、「主食」というのは一種の保険なのではないかと思ったのだ。確かに酒を大量に飲むが、それ以外も接種する。そういうことではないかと。
かつて中世の海を旅した人々は、樽に水だけではなくラム酒を大量に積み込んでいたという。なぜなら、水は腐るからだ。したがって彼らは、日常的にラム酒を飲んでいたと聞いた。そういうことではないか?単に、不衛生な環境にいるから酒で水分を取ったりする、という話では?と。そんな疑いを向けながら本書を読めるなら、きっとそれは良い読書体験になることだろう。なにせ、著者も「本当に?」というところからスタートしているからだ。
デラシャの人々との交流に向かう
本書でとりあげられる旅は、クレイジージャーニーの取材が兼ねられているのだが、本書にはその裏側のような部分も語られている。ほとんど常にカメラが向けられている旅路は、カメラの映した事象については濃厚に記録される。しかしバックグラウンドや、その事象の過去については、補足がないとわからない。
本書の最後で、著者はこの旅をクレイジージャーニー2本立てぐらいに出来るという目測を語っている。しかし、本書に書かれている内容をそのまま映像作品に落とし込むと6本ぐらいのシリーズになるんじゃないか、と僕は感じた。それぐらいワクワクさせられる、濃厚な旅行記だった。
デラシャというのは、まさに先に触れた「酒を主食にする人々」のことだ。大人はもちろん、子どもも、妊婦も、酒を主食として生きているという。彼らと出会うための苦労が本書のかなりの割合を占めている。旅行記の良いところはこれだと思う。
結果さえ知りたいなら、こういう旅行記や旅番組を見るかいがない。ただ苦労を語られるだけならつまらないが、こういう秘境を旅するがゆえの苦労がふんだんに語られていると、意外性に富んでおり退屈しない。
著者が「アレルギーのようななにか」に苦しめられた話や、本当の現地の村の姿を見るためにどういう苦労があるか、という話が語られる。
仮にあなたがもしそういった土地の村の住民だったとして、取材班をどう受け入れるだろうか。秘境の地じゃなくても、あなたの家に取材に来るならどうするだろう。部屋を片付け、いつもより小綺麗な格好をして、いい食事を用意するだろう。間違えても脱ぎ散らかした服をそのままにはしない。出来ないとも言える。デラシャのような少数民族もそうなのだ。
こうした土地を旅する場合、ガイドを付けるのが普通だ。部族間の抗争に巻き込まれても困るし、当然だ。ガイドには当然、報酬を支払うことになる。
こうなってくると、当然「良いガイド」になろうとするインセンティブが働いてしまう。現地の暮らしを体験してみたいと言ってもそのまま体験したい人は少数だ。口ではそう言っても、実際にそういう境遇に置かれたら文句ばかりだろう。
サバイバルに憧れ、自然に囲まれたいと思う人でもいきなりまともな装備も持たずに山に行ったりはしない。ガイドはいい環境を作ろうとする。楽しんで帰ってもらおうと思えばこそだが、著者にとってはそれは障害になる。これを取り除くための苦労なんてのはそう経験できないし、聞くこともない。もしそういう話に興味があるなら、すぐに本書を手に取るべきだと思う。
異文化と無意識の上下意識
本書には先に語ったような面白さだけではなくて、もちろんデラシャ、あるいはその周辺の部族を取り巻く環境についても楽しく語られている。それこそクレイジージャーニーが好きな人は読んでて楽しいと思うし、世界ふしぎ発見!とか好きな人も楽しいと思う。だけどそれをここで語ってしまうのは劣化コピーを生み出すことになりかねないので、この本を読んで僕が考えたことをちょっと書いて終わりにしたいと思う。
冒頭の食事のランキングを思い出してほしい。酒を主食にする、というのはあまりにインパクトが強いから、異文化度が高いと言えると思う。異文化度が高いおかげで、僕は「彼らは自分とは違う尺度で生きている」と気付ける。だけどしばしば、異文化に対して上下関係を見出してしまうのは人の常だと思う。違ったものを違ったもののまま、受け入れることは難しい。
本書を読み進めていると、デラシャの人々が酒を主食にして生きる合理的な理由も推測できる。推測する中で、彼らをどう解釈するだろうか。アルコールがあるおかげで、清潔でない水も少し安全に飲めるようになると説明し、彼らの生活環境を劣悪だと嘆くだろうか。それとも、これこそホモ・サピエンスの本来あるべき姿だと考えるだろうか。
これらはどれも異文化理解には足りない解釈だと考える。
その文化が生まれた背景を考えるのは、文化を理解するうえで重要な工程だ。しかし、それによって彼らを何らかのラベル付けの対象にするのは間違いなのだろう。彼らは彼らでしか無い。多様性については、以前ブログにも書いたが、一般の理解と思えるものが僕には受け入れがたいときもある。
多様性、という言葉で片付けるのは簡単だ。でも、自分とは違うところで生き、それでも自分とわかりあえたり、一緒に楽しく過ごせるはずの相手との間に線を引くことの愚かさやもったいなさを、感じ取るのはやっぱり難しい。線を引くことで自己を確立して、自分が同化されないための防衛本能なのかもしれない。過剰防衛として、相手を攻撃しているなんてこともきっとしばしばある。線を引かないというのは、恐らく相当に難しく、非合理な世界なのだろう。少なくとも、あえて多様性を叫ばないといけないぐらいには。
きっと僕はこれからも、そういう線を引き続けてしまう。だけど、ほんの少しでもその線を薄く、短く出来たなら、とも思う。
世界を旅したら見える世界が変わるなんていうのは、昨今インターネットで揶揄される意識高い系が言いがちな中身のない話として定番だ。僕もそういう話を揶揄するタイプだけど、本書を読むと少し印象が変わったようにおもう。表面的に撫でて世界を知った気になることへの嫌悪はある。しかし、著者のようにパワフルに異文化に入り込もうとする人もきっといるのだ。見たことがない世界を見ようとし、それによって自分が無意識に引き続けてきた線の濃淡に少しでも変化があるなら、その体験は代えがたいものになるのだろう。
僕自身は日本で本書を読んだだけに過ぎないが、それでも自分が引いてきた線に少し目を向けようという気になった一冊だった。
蛇足
ところで僕は瓢箪が大好きなのだが、本書には瓢箪がしょっちゅう登場するし、瓢箪に酒をいれる文化は日本にも当然あり、入れておくといい感じに水分が揮発したり瓢箪自体の呼吸でうまくなるみたいな話を聞いたのだがどうなのだろう。家にある瓢箪で試してみても良いかもしれない。
