亀戸町のお為さん(安政二年〜)
26 再びの離別
安政二年一二月二六日、嘉永三年より森田座から出願されていた森田座再興問題に幕府が結論を出し、河原崎座は休座させられる事となった。そして翌安政三年三月五日、森田座は河原崎座に替わり、浅草猿若町で初の興行を開始した。これより新興行主十一代目森田勘彌(四代目坂東三津五郎)のお手並み拝見である。
権十郎は河原崎座の若太夫から平の役者となり、河原崎権之助と共に市村座へ入る事になった。
その年、海老蔵が米と呼びかわいがっている門人四代目市川小団次は千両役者に成長した。
小団次は四代目を襲名した三年後に江戸に下っていた。今は海老蔵の口利きで河原崎家に雇われ、役者のかたわら権十郎の指南役も勤めている。いずれ権十郎を九代目団十郎にしたい海老蔵が、高弟を河原崎家に送り込んだのだ。小団次には、権十郎に成田屋の芸を仕込むという重大な任務が与えられていた。
一方、大坂の幸蔵は舞台には出ていたものの目立って良い評価はされず、この年の給金も定まらなかった。あかん平も幸蔵と同様、芝居に対してあまり熱心ではなかった。しかし猿蔵の死から間もない今、海老蔵も為も、とにかく元気でいてくれればいいと、叱ることはしなかった。
とは言え、あかん平をいつまでも幼名にしてはおけない。安政四年、海老蔵は十二歳になったあかん平を連れて一旦江戸に戻り、市川壽蔵と改名させた。

幸蔵は下段の右から三番目
(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)

小団次は上段右端
(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)
安政五年二月二十五日八ツ時(午後二時頃)、角座から火が出た。葉村屋の男衆が足元を照らす灯りを落としたのが原因だった。坂町の家にも火の手が回り、出勤中だった海老蔵は鬘を被ったまま不動様の御尊像を取りに戻り、それを持って逃げた。
火の勢いは強く、為のいる別宅へも火の手が迫った。為は壽蔵を加納に任せ、幸蔵とひろを連れて海老蔵に言われた一心寺を目指して逃げた。
加納は着物類やその他の荷物を取りに二階へ上がった。しかしすでに火の手が回っていたため、出し切れないまま階下に下りた。そこに海老蔵の似顔を彫った勸進帳の弁慶の人形が立っていたので、咄嗟にそれも持って一心寺へ向かった。
海老蔵は加納を見るなり言った。
「おい、ばぁや、平はどうした」
加納はハッとした。
「はい。実は二階でお道具類を取り出すために働いておりましたので、つい坊ちゃんの事は」
「馬鹿め、道具が大事か、子供が大事か、お前の役目は何だッ」
壽蔵は来月で十三である。加納はもう幼いあかん平ではないからと、うっかり油断していた。しかしあくまで自分は壽蔵のお守役で雇われている。加納は荷物と人形を置いて駆け出した。申し訳ない思いで方々を訪ねてまわったが、壽蔵はどこにもいなかった。ひょっとしたら一心寺へ向かったのではと、加納は一筋の希望を抱いて引き返した。
一人で戻ってきた加納を見て、海老蔵は頭に血が上った。海老蔵は加納を掴み倒し、踏んだり蹴ったりした。加納は何をされようと、自分が悪いのだと思い耐えた。
「それよりあかん平を」
と叫ぶ為に海老蔵も加納もハッとした。
「わたしが探してきます」
と飛び出す為の腕を海老蔵が掴んだ。
「こういう時は皆で動かない方がいいのだ」
「そうです。わたしが行きますから、お為さんは幸蔵坊ちゃんとおひろちゃんをお願いいたします」
加納は言い、再び駆けていった。
(仕方がない。この上は神頼みだ)
加納は赤手拭稲荷神社へ参り、そこで早速心願を込めて裸足参りをした。

(これで見つからなかったら、火の中へ飛び込もう。大事な市川宗家の跡取りを、恩義のあるお為さんのお子を死なせてしまい、どうして生きていられようか)
裸足参りを続けながら、加納は覚悟を決めていた。その殺気立つ加納を見た神主が、何事かと加納を呼びとめた。加納は仔細を話した。
「どうしても見つからない時はわたくし、生きてはいません」
「まあまあお待ち。わたしが今お伺いを立ててあげるから」
神主は伺いを立て、おみくじをひき、
「命に別状なし、どこか外をさまよい居る、とあるから、心配しないがよい。これからわたしが呼び出してあげよう」
と言うと、水垢離をして祈り始めた。そこへひょっこりと、壽蔵が奴(武家の下僕)におぶさり、加納の前に現れた。
「平ぼっちゃん!」
加納は壽蔵を強く抱きしめ、神主と奴に深く礼を言い、赤手拭稲荷神社を出た。
海老蔵と為と幸蔵とひろは、姿を見るや大喜びで壽蔵に駆け寄った。加納が神社での事を話して聞かせると、海老蔵は涙を流さんばかりに喜び、
「ばぁや、先程は酷い事をしてすまなかった、勘弁してくれ。実にお前の忠義は忘れないよ」
と加納への暴力を詫びに詫びた。
火事は翌朝に鎮まった。住む家を焼け出された為たちは、海老蔵を殊更に贔屓にする歌俳諧仲間の世話で、谷町の亀屋という宿屋へ入った。大名の泊まる宿屋で、二百八十畳という広大な部屋のある家だった。
翌日海老蔵は為を連れ、赤手拭稲荷神社に提灯を奉納しに行った。不動明王よりほかに拝んだ事のない海老蔵が信心したのは、最初で最後、ここだけである。
角座も中座も焼け落ちたため、海老蔵は三月から京都の舞台に立つ事になった。
興行を終え四月に亀屋に戻ると、その帰りを待っていたかのように江戸三座の太夫元から使いの者がやってきた。八代目の残していった借金の後始末についての相談だった。
それは海老蔵が返せる額ではなかった。話し合いの末、海老蔵が江戸へ帰って、三座へ代わり代わり出て、返していくという結論になった。海老蔵は為を思い、唸った。
(まだ為を江戸には、連れていけない)
事の起こった場所とはいえ、大坂の八代目人気は一時的なもので、すでにほとぼりは冷めていた。しかし江戸ではそうもいかなかった。
(八代目の仇敵として未だ憎まれている為に、危害が及ばないとどうして言い切れよう)
海老蔵は再び、為と離れる覚悟を決めた。
その夜、海老蔵は為を自分の部屋に呼んだ。
「お為、しばらく大坂で待っていておくれ。そのうち様子を見て江戸に呼ぶか、それが出来なきゃ借金を片付けてから、俺がまたこっちへ来てもよし。それとも借金をすました後で少し稼ぎ貯め、役者をやめて隠退すりゃあ、もう誰を憚ることもねえから、お前たちを江戸へ引き取って残りの一生を暮らすことも出来らぁな。だから、それまでの辛抱だ。どうかお前も我慢をして、子供たちを無事に成人させながら待っていてくれろ」
海老蔵にしみじみこう頼まれ、為も腹を据えた。連れて行かないのは、自分と子どもたちを守るためだということは、よくわかっていた。
「必ず待っています。子供たちのことはどうぞご心配なく」
為は気丈に言った。
海老蔵は五月の始めにすみと雪を連れ、一句残して、谷町を出て行った。
谷町の 鶯を出て ほととぎす
為と加納、幸蔵、壽蔵、ひろの五人は亀屋を出、道頓堀に小さな家を借りた。
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