亀戸町のお為さん(嘉永七年)
18 八代目団十郎、大坂へ
「ばぁや、お前の言うなぁ重々もっともだ。おいらだとて、そりぁ、お為さんや親父へ迷惑がかかるのを知らないわけじゃあない。しかし、どうにも外に仕方がないんだよ。お前だって家の様子は知っているだろう。いつかお前にも手助けを頼んだ心願の事やら、いろいろ男の意地から、おいらも湯水のように金を使ったので、借金に借金が重なって四苦八苦のところへ今度の一件じゃあ、二進も三進も全く動きが取れなくなっちまった。先刻も言ったように、この大家内共倒れになるのを避けようと思やあ、どうでもそうするより外に思案はなかろうじゃあないか」
八代目が言う今度の一件というのは、この五月に市村座で「黒田騒動」の新作を出すことになっていたところ、急に黒田から人が来て、当家の芝居をするようならお前の生命も危いぞと脅かされた件だ。八代目が自分一存では決められぬと断ると、黒田は無頼漢を頼んで、八代目が往来を通る時に石を投げさせたり木場宅の屋根に上って瓦を剥いだりした。このままじゃ八代目が殺されかねないと市村座はお蔵を決め、代わりに「忠臣蔵」を出すことにした。
衣装は座頭役者が用意する。「黒田騒動」の衣裳がすっかりふいになってしまった上に、忠臣蔵の衣裳を再度工面しなければならなくなった八代目は、この件でさらに貧乏になってしまった。

嘉永七年五月 市村座にて
(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)

嘉永七年五月 市村座にて
(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)

嘉永七年五月 市村座にて
(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)

嘉永七年五月 市村座にて
(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)
まだ何か言おうとする加納に、為は言った。
「ばぁや、なんにもお言いでない。折角、親方がわたしを見込んで、これだけ親身になって頼んでくだすったんじゃないか。わたしさえ悪者になりゃあそれですむんだから」
為は腹を決めた。江戸を出るならまず、権之助の借金を返済しなければならない。為は海老蔵の時に世話になった大坂の金主をまた呼ぶことにした。そしてその日のうちに海老蔵へ手紙を書き、八代目の受け入れについて相談した。六日目には返事の飛脚が来た。
「よかろう。そうなりゃあ、ちっとでも早く来るがいい」
世間の思惑に無頓着な海老蔵らしいあっさりとした返事を見て、為は笑った。そして、この人がいるから、辛いことがあってもやっていけるのだとつくづく思った。
大坂行きが決まり、八代目団十郎は肩の荷が下りたような気持ちがした。江戸歌舞伎総本家の長として虚勢を張る毎日に、団十郎はほとほと疲れ果てていた。上方役者に金を使って見栄を張るのは、自分の芸に自信がないからだということも自覚していた。
(親父も衣装にゃ金を惜しまないが、それは客を喜ばせようとしてのことだ。俺とは根本が違う)
団十郎は先輩役者に蔑ろにされるたび、海老蔵との格の違いを思い知らされてきた。海老蔵から上方の富十郎を送られ同座させられた時は、父からも芸の幅がないことを指摘されたようで苦しかった。そのとどめが、富十郎に渡された海老蔵の狂歌だった。
菜と蕪根の種は持っても瓜茄子 大根は大根 下手は下手なれ
(俺はこれまで、市川宗家としての誇りと意地で芝居を頑張ってきた。しかしもう疲れた。今はただ、全てが虚しい)
八代目は、もはや自分が何のために芝居をしているのかわからなくなっていた。
それから間もなく、大坂から金主の植久(植木屋久兵衛)が八百両を持ってやってきた。権之助に返す金だ。その晩から為と八代目と植久は夜な夜な話し合いを進め、市村座が夏の芝居休みに入るまでは普段通りに出勤し、休みに入ったらすぐ湯治の体で江戸を出ること、騒ぎになるので権之助と芝居関係者へは上方の芝居へ出る直前まで隠し通すことを決めた。
そして嘉永七年六月二十九日の夜、八代目は八百両と手紙を権之助の留守を狙って河原崎家に届け、ドロン同様に江戸を出立した。
海老蔵と八代目は名古屋で落ち合い、若宮座で久々の親子共演を果たした。舞台納めの翌七月二十四日、二人は名古屋を出て大坂へ向かった。道頓堀へは舟を使い、着いたのは二十八日の夜だった。天満宮から道頓堀までの川筋は納涼の舟で賑わっていた。提灯の灯りが川と岸を一面に照らしている。海老蔵と八代目は団扇をあおぎながら、その光景を楽しんだ。

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