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亀戸の中川で網漁を楽しんでいた五代目岩井半四郎親子

三代目中村仲蔵著「手前味噌」


 歌舞伎の町亀戸は、川に囲まれているという点でも魅力的な町です。横十間川、北十間川、旧中川、竪川。どの川にもイチオシポイントがありますが、特におすすめなのは、川幅が広い旧中川です。

 休日になるとカヌーやSUP、ボート、釣り、土手沿いRUNなどを楽しむ人で賑わいます。私は平日の昼間にふらっと散歩しに出かけ、江戸に思いを馳せるのが好きです。

旧中川(2024年5月撮影)


 現在の用途は様々ですが、江戸時代、川はもっぱら水路として活用されました。正月や藤の時期になると、横十間川は亀戸天神への行楽客を乗せた舟でいっぱいになりました。竪川には毎朝水舟が乗りつけていました。

 荒川放水路(現荒川)により中川は「旧中川」と「中川」に分断されましたが、亀戸自慢の旧中川は江戸時代から形を変えず今も残っています。

赤で囲んであるのが旧中川


さて、本題です。


 先日、いつものように国立国会図書館デジタルコレクションで江戸時代の亀戸について調べていたら、女形の名優五代目岩井半四郎が中川で網漁をしていた記述を発見しました。

 書かれていたのは、文化6年1809年生まれの三代目中村仲蔵が書いた「手前味噌」です。速攻で古本屋の在庫を確認し、雨の中神保町まで買いに行ってきました。

神保町の古本屋 手塚書房


 国立国会図書館デジタルコレクションでも読めるのですが、江戸時代、歌舞伎役者が亀戸を訪れていた記録が記されているものは出来るだけ現物を手に入れるようにしています。

手に入れたにゃ


 当時刊行されたものではなく、大正生まれの郡司正勝さんによって校註された再版ものですが、それでも最後の一冊でした。間に合ってよかったです。


亀戸の土手に住んでいた網の名人


「手前味噌」に書かれていたのは、文政6年の秋、中村仲蔵含む若手俳優たちが、五代目岩井半四郎と岩井紫若親子の網漁に誘われた時の様子です。

文政6年の五代目岩井半四郎
ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより
文政6年の岩井紫若
ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベース
より


 著者の三代目中村仲蔵によると、五代目岩井半四郎は亀戸の土手に住んでいた網の名人、栄次えいじとその息子のかねを贔屓にし、たびたび雇っては中川で網漁を楽しんでいたそうです。

 この記述を見つけた時、思わず奇声でました。これこそ私が探し求めていた


歌舞伎役者が亀戸で遊んでいたリアルな記述


だったからです。

 これまで歌舞伎役者が鶴屋南北宅や歌川国貞宅、亀戸天神、梅屋敷を訪れていた記録などは確認できていましたが、この半四郎の網漁のように、完全に私的な日常を書いたものはなかなか見つけられずにいました。しかもこれには、栄次と兼という亀戸住民情報まで載っています。

なんて貴重な本なのでしょう


 中川の土手に住む網の名人、栄次えいじかねは、徳川家慶(当時33歳)の御遊漁にも雇われるほどの名人で、半四郎親子も贔屓にしていたと仲蔵は語っています。

 この網打ち親子のエピソードが面白いので、簡単に要約したものを載せておきます↓

 家慶に雇われた網打名人は15人ほど。網船に乗り網打ちをする彼らは、家慶の御乗船を意識し座ったまま打っていた。手応えがあっても立ち上がっては失礼と、なかなか成果を挙げられない網打名人たち。
 そんな中、兼だけは「後で咎められても構わない」と立ちあがって網を手繰り寄せた。
 結果、引き上げた網には2尺余りある大すずきが2本入っていて家慶大喜び。兼だけは立打ち御免となった。

 この栄次と兼のエピソードも、亀戸の歴史として語り継いでいこうと思います。



 因みに亀戸町の越前屋の養女お為さんは、小松川村から中川を渡って亀戸にきました。その時に半四郎の網船とすれ違っていたら面白いなあ。

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