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亀戸町のお為さん(文化文政期)

2 文化文政期の亀戸


 亀戸の最南を流れる堅川沿いには、役者絵で人気の浮世絵師歌川国貞が住んでいる。五ツ目に渡し舟の株を持つ材木問屋亀田屋の家に生まれたが、幼い頃から絵が好きで、十五歳で歌川豊国の門下に入った。
 芝居好きの国貞は、絵が上手いだけでなく役者への愛があった。役者それぞれの魅力や特徴を熟知していて、圧倒的な画力で彼らを描き分けた。表情豊かで今にも動き出しそうな国貞の役者絵には、まるで役者の魂が入っているかのような迫力があった。江戸のご婦人たちはもちろん、観劇のできない庶民までもが、国貞の役者絵を手に入れたがった。
 為が越前屋で働き始めた頃、国貞はすでに、歌舞伎の宣伝に欠かせない存在となっていた。座元らは、歌舞伎の興行が決まるとまず国貞に知らせ、配役に扮した役者たちを描かせた。

文政元年一八一八年に描かれた国貞画 
藝者おそのに扮した五代目岩井半四郎(著者所蔵)

 そんな国貞の元には、役者からの付け届けが絶えなかった。 その中でも特に国貞と親しく交流していたのが、木場(深川島田町)に住む七代目市川団十郎だ。今は亡き団十郎の祖父五代目団十郎と国貞の父五橋亭琴雷は狂歌仲間で、国貞と団十郎は幼い頃からよく顔を合わせていた。幼馴染みの二人が、今は互いの活躍を称え合い、酒を酌み交わす仲となっている。 
 五代目団十郎(狂歌名 花道のつらね)と五橋亭琴雷には他にも共通の狂歌仲間がいた。初代歌川豊国や大工の烏亭焉馬、幕臣の太田南畝だ。烏亭焉馬は五代目団十郎を応援するための組織「三升連」を結成するほどの団十郎贔屓で、五代目亡き後も太田南畝らと共に七代目を支援してくれている。

 そして亀戸にはもう一人、団十郎が世話になっている人物がいる。歌舞伎狂言作者の鶴屋南北だ。 宝暦五年一七五五年生まれの南北は二十代初めに狂言作者を志し、四十九歳で売れ始めた遅咲きの作者だ。文化元年一八〇四年七月に河原崎座で初演された「天竺徳兵衛韓噺」てんじくとくべえいこくばなしでの大胆な舞台演出が評判を呼び、一躍人気作者となった。
 南北は個々の魅力を最大限に引き出すため、先に役者を決めてから、彼らに当て書きする形で脚本を書いた。同じ演目でも、役者が変われば台詞も変えた。役者のための脚本と演出に徹し、団十郎の見せ場もたくさん作ってきた。そうやって子役時代から育て上げた団十郎は、南北にとって息子のような存在だ。

 南北が還暦を迎えた文化十二年一八一五年七月の夏狂言では、一人十役早変わりを売りとした「慙紅葉汗顔見勢」はじもみじあせのかおみせを上演し、河原崎座は大入りとなる。この十役を見事成功させたのが、当時二十四歳の団十郎だった。
 その翌年秋、南北は住み慣れた日本橋の芝居町を出、国貞のいる亀戸に越してきた。還暦を機にしての隠居だったが、この時歌舞伎界での南北の需要はむしろ高まっており、南北自身の気力も充実していた。まさに乗りに乗っている時の亀戸転宅であった。

南北が借地していた百姓地
(国立国会図書館デジタルコレクション 本所絵図より)

 亀戸天神前の通りを東へ二町ほど行くと右手に百姓地面がある。南北はそこの地主植木屋清五郎の隣に借地し、表に小門を建て「南北」と表札を出した。部屋は清五郎から買った松の木の盆栽で飾った。

 為が越前屋で働いていた文化文政期は、江戸の歌舞伎熱が最高潮を迎え、絵師と役者、作者が加わっての交流が、最も盛んな時期となる。文政十一年一八二八年一月には、坂東秀佳(三代目坂東三津五郎)、岩井杜若(五代目岩井半四郎)、岩井紫若(七代目岩井半四郎)らが亀戸の南北宅を訪れ、その様子を国貞が描いている。その絵は同月に出された南北自作の合巻「裾模様沖津白浪」の口絵に使われた。

南北作 国貞画「裾模様沖津白浪」口絵
早稲田大学図書館蔵

 同年、国貞は堅川沿いの生家から、亀戸天神正門の向かいに転宅した。前方に鳥居が見える最高の立地だ。国貞邸のある亀戸町の東には、南北の住む百姓地が広がっている。団十郎は木場の自宅から舟に乗り、国貞の新居へも、南北宅へも足を運んだ。そのうち舟着場近くの越前屋にも立ち寄るようになり、団十郎は為の義父吉右衛門に贔屓にされるようになる。

 南北が亡くなったのは、文政十二年一八二九年十一月二十七日、深川の黒船稲荷境内の自宅だった。亀戸の居宅を引き払い、息子直江重兵衛が住む富岡八幡宮(一の鳥居下付近)の近くに越して、間もなくのことである。   
 葬式は、翌年一月十三日に本所押上春慶寺で営まれた。その葬式が、普通ではなかった。
 まず参列者に「寂出門松後万歳しでのかどまつごまんざい」と題された台本が配られた。南北が死の間際に子弟に託したものを、摺って小冊子にしたものだ。読経が始まり参列者が神妙にしていると、棺桶の中から

「この世のお名残、今際いまわの際の死におくれ〜」

と、何やら歌舞伎の口上のようなものが聞こえてくる。そこで住僧が棺桶を叩き壊す。すると中から額に白い三角巾を巻いた南北役が飛び出し、死者が演じるドタバタ喜劇が始まった。
 参列者は「そういうことか」と先ほど渡された台本をめくりだす。芝居は演出家南北の指示書き通りに馬鹿真面目に演じられた。
 その日は亀戸妙義社の二の卯の日でもあった。元々人出が多かったところに、団十郎始め江戸三座の歌舞伎役者が皆参列するとあって、おびただしい数の見物人が集まった。南北らしい賑やかな最期だった。

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