亀戸町のお為さん(天保元年〜)
3 五代目市川海老蔵との出合い
南北の死を悲しむかのように、翌年から悪天候が続くようになる。文政十二年は豊作だったが、翌天保元年、二年と作柄が悪く、徐々に米の価格が上がっていった。
節約のため歌舞伎の観劇を諦める江戸市民が増え、座元の収入も減った。
妾奉公中の為はその頃、経済的には恵まれていた。団十郎贔屓だった酒井忠誨に連れられ、歌舞伎も観に行くことができた。
前の奉公先だったこんにゃく屋の主人も、よく為を歌舞伎に連れて行った。中村座の金主をしていたこんにゃく屋の主人は三代目坂東三津五郎を贔屓にしていたが、天保二年十二月二十七日に三津五郎が五十六歳で病死した後は、四代目を継ぐ予定の二代目坂東蓑助を連れ、挨拶まわりに奔走していた。越前屋への挨拶には為も同行している。

東与四郎に扮した三代目坂東三津五郎(著者所蔵)
坂東家と市川家の芝居は全然趣が違った。忠誨に連れられ初めて七代目市川団十郎の舞台を観た為は、その声量と目力に強烈な印象を受けた。ただ声が通るというだけではない。抑揚をつけた団十郎の台詞回しは聞き心地が良く、自然、芝居にも引き込まれた。市川家は、歌舞伎界の宗家である。七代目には、宗家に相応しい芸と華があった。
しかし時代は、市川家が代々得意としてきた豪快な演技より、町人の生態をありのままに捉えた写実的な演技や演出を求めるようになっていた。
団十郎は生世話物を得意とする南北と組み世間の波にうまく乗ってはいたが、市川家を背負う身としては、代々のお家芸を蔑ろにはできない。
(自分の代で市川流の荒事の権威を失わせてはいけない)
そう思った団十郎は、亡き烏亭焉馬や太田南畝が残した三升連の後援を受け、八歳の長男に八代目団十郎を襲名させることにした。そして自身は五代目市川海老蔵を名乗って後見人となり、襲名の舞台を利用して、団十郎が代々伝承してきた荒事を中心とした演目を十八種制定した「歌舞伎狂言組十八番」を発表した。代々の当たり狂言を、市川家のお家芸として確立させるのが狙いだ。
その時上演したのは「助六」で、七代目団十郎が自身四度目となる助六、五代目岩井半四郎が揚巻、五代目松本幸四郎が意休、十二代目市村羽左衛門が白酒売り、八歳の長男が外郎売りを演じた。この夢のように豪華な配役と「歌舞伎狂言組十八番」の発表で、八代目襲名披露は大いに話題となった。天保三年三月十五日、市村座でのことである。

(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)
この襲名披露の時には、為は酒井家の奉公を終え、越前屋に戻ってきていた。
為が店に出ていると、七代目市川団十郎が入ってきた。江戸一番の歌舞伎役者の突然の来店に、為は驚いた。吉右衛門の対応を見ると、顔馴染みのようである。息子に団十郎を譲り、今は海老蔵を名乗っているのだという話が漏れ聞こえてくる。
為の視線を感じた吉右衛門は、海老蔵に為を紹介した。ひと仕事終えたからか、海老蔵の顔は為の目に、とても頼もしく、男らしく映った。
吉右衛門にあとを任された為は、手元が震えないよう、慎重に酒を注いだ。これまで名主やら大名やら偉い人にはたくさん接してきたが、緊張するのは初めてだった。
海老蔵は為の接客を好ましく感じた。美人だが気取ったところがまるでない。愛嬌があり、気品もある。海老蔵が酌をする為を見ていると、視線を感じた為が顔を上げ、はにかんだように笑った。海老蔵は不意を突かれ、どきりとした。
その日から、海老蔵の来店頻度が高くなった。為は最初、自分に会いに来たという海老蔵の言葉を真に受けなかった。妾奉公上がりの自分など、本気で相手にされるわけがない。しかも相手は、江戸一番の歌舞伎役者なのだ。
木場には海老蔵の邸宅がある。四代目団十郎が隠居後に暮らしていた場所を七代目団十郎が買い戻した。
海老蔵が為と出会った天保三年、そこには海老蔵と後妻のすみ(市村座茶屋菊屋福地善兵衛の娘)、その腹の子八代目団十郎、次男の重兵衛、奉公人たちの他、妾の里が住んでいた。里は海老蔵が大坂へ旅興行に出かけた際に出会い、身請けして連れ帰った元芸妓だ。
海老蔵は為をいきなり大所帯の本宅に連れて行きたくはなかった。そこで堺町の実家に住まわすことにした。
今回、二人の間に妾契約は交わされなかった。為と海老蔵、互いに想い合っての話である。相手は贔屓にしていた海老蔵とあって、吉右衛門は一も二もなく承諾した。

国貞画 三枚続きのうちの左端(著者所蔵)
海老蔵の実母は、五代目団十郎の次女すみである。親戚筋である堺町の芝居茶屋和泉屋勘十郎の養女となったすみが「笛吹き勝」と呼ばれていた囃子方といい仲になったため、和泉屋が勝を婿にして勘十郎を継がせ、寛政三年四月に海老蔵が生まれた。市川宗家五代目の孫である海老蔵は生後すぐ六代目の元へ養子に出され、それ以後木場で暮らしているが、そういうわけで実家は堺町の和泉屋なのである。海老蔵は為のために、和泉屋の奥座敷を空けさせた。
為は長い奉公生活から救ってくれた海老蔵にとても感謝していた。和泉屋の芝居茶屋を手伝う気でいたが、手は足りているみたいだった。海老蔵の母すみは婿勘十郎と離別後、文化十五年に亡くなっていたため、義両親の世話をする必要もなかった。為は海老蔵のために、何かをしていたかった。海老蔵はそんな為の想いに応えるかのように、和泉屋を出張所と呼び、門人を引き連れ本宅から足しげく通った。
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