亀戸町のお為さん(安政二年)
25 猿蔵の晴れ舞台
為は海老蔵と猿蔵が共演するのを観るのが好きだった。為が歌舞伎を好きになったのは、海老蔵が七代目団十郎だった頃の舞台がきっかけだった。団十郎の迫力ある演技に、為は心を奪われた。その時はまさか一緒になるとは思ってもいなかった。
迫力に円熟味が加わった今の海老蔵は、出てくるだけで強烈な存在感を放ち、あの時と変わらず為の心を高鳴らせた。そして、その海老蔵に気圧される事なく、堂々と舞台に立っている息子猿蔵が誇らしかった。

安政二年三月 中座にて
(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)
猿蔵の評判は日に日に上がっていった。九代目団十郎を狙っていると噂されるのも、裏を返せば世間が猿蔵を認めているからだった。八代目が亡くなった今、海老蔵も折を見て猿蔵を九代目にしようと考えていた。
安政二年九月、猿蔵は「絵本太功記の初菊と、「双蝶々曲輪日記」の主人公濡髪長五郎を角座で演じた。立役者の息子株を揃えた舞台で、始めの頃は大した入りもなかったが、評判が良く、中日すぎて初めて大入りとなった。海老蔵は息子の快挙に大喜びした。
「よし、一つ俺が後見に出てやろう」
海老蔵の声かけで、同じく息子(嵐和三郎)が出ている嵐璃寛と、門人の眼玉までが黒衣を着て後見に出た。これがまた評判を呼んだ。連日の大入りに猿蔵も大喜びだった。

安政二年九月 角座にて
(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)
千秋楽が近くなったある日の上演中、舞台袖に引いていた猿蔵が次の出番に出ようと振袖に兜を載せた初菊姿で立ちかかると、いきなりガクリと膝が折れ、そのままバッタリと倒れてしまった。すぐに幕を引き、猿蔵は部屋へ運ばれた。為が青ざめ駆けつけると、猿蔵は痙攣を起こしてガクガク震えていた。
代わり役を立て、為と海老蔵で猿蔵を家へ連れ帰り、布団に寝かせた。為が額に当てた手拭いは、猿蔵の高熱ですぐに温くなった。加納は何度も手拭いを絞って為に渡した。
「猿蔵。猿蔵。猿蔵」
為は猿蔵の手を握った。幸蔵、あかん平、ひろも本宅に集まり、寝ている猿蔵を家族で囲んだ。海老蔵は「医者はまだか」と繰り返しながら、部屋の中を行ったり来たりした。猿蔵は弱い力で為の手を握り返し、言った。
「お父っさん、おっ母さん、もしおいらが駄目でも、あんまり悲しまないでおくれ。おいらぁ、役者として、最高の時に逝けるんだからさ」
それを聞いた為の目から大粒の涙が溢れ落ちた。
「猿蔵坊ちゃん、弱気な事をお言いでないよ。お為さんの行末を引き受けるとおっしゃったではありませんか。それを聞いて、おっ母さんがどんなにお喜びになったか」
加納が泣きながら叱った。
医者は癇の病が悪化したのだと言った。猿蔵は高熱にうなされ続け、九月の二十八日に、二十一歳の若さで亡くなった。為はただ静かに、ぼろぼろと涙を流し続けた。
八代目を亡くした翌年の立て続けの不幸に、海老蔵はただただ驚いた。知らせを聞き次々とやってくる芝居関係者に、海老蔵は目を丸くしておろおろとした様子で、
「いやもう、この二つ玉には驚いた。いかに俺でも、この二つ玉には驚いた」
と言い続けた。
猿蔵が病死して数日後の安政二年十月二日、江戸で大地震がおきた。この地震で猿若町の三座は倒壊し、建て直しとなった。
猿蔵の訃報を聞いた豊国は、友海老蔵の心情を思い筆を取った。
出来上がった絵は、手前に八代目と猿蔵、奥に海老蔵がいる構図で、海老蔵は曽我ノ満江に扮し、仏壇の前で、曽我十郎祐成に扮した八代目と曽我五郎時致に扮した猿蔵をじっと見ている。
海老蔵の手には湯呑みがあり、まるで息子二人の舞台を、茶を飲みながら楽しんでいるかのようだ。

(左から)五代目海老蔵、初代猿蔵、八代目団十郎
(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)
猿蔵の骨は、八代目と同じ一心寺に納骨された。
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