亀戸町のお為さん(弘化三年〜)
9為、大坂坂町から木場へ
弘化三年八月、為は初めて女の子を生んだ。跡取りにしか興味がない海老蔵は、性別がわかるや否や
「女の子は俺の子じゃねえ」
と言った。猿蔵、幸蔵、あかん平に対しては子煩悩ぶりを発揮していただけに、加納は驚いた。しかし為は動じない。家業を継げない子どもに興味がないのは仕方のないことだ。為は海老蔵を、歌舞伎の世界をよく理解していた。そして自分は、ひろと名付けられたその子を末の子として更にかわいがった。

海老蔵はこれで七男五女の父となり、自らを「壽海老人子福長者」と称した。この頃にはもう、八代目からの仕送りは要らなくなっていた。海老蔵が芝居で稼ぎ、為が家計を切り盛りし、加納があかん平、ひろの面倒をみた。海老蔵の身の回りの世話や食事は為の仕事だ。為は自分の給仕で食事をする海老蔵を見つめながら、ひとときの幸せを感じていた。
ひろが生まれた翌弘化四年四月六日、女形の名優五代目岩井半四郎が亡くなった。七十一歳だった。その二年後の嘉永二年閏四月二十四日には、三代目尾上菊五郎が五十九歳で亡くなった。大坂で菊五郎の知らせを聞いた海老蔵は、肩を落として呟いた。
「共に江戸歌舞伎を盛り上げてきた仲間(五代目松本幸四郎、三代目坂東三津五郎、五代目岩井半四郎、三代目尾上菊五郎)が、みな逝ってしまった」
葬式に行けない海老蔵は、共に刺激しあい、芸を競いあった頃の菊五郎を懐かしんだ。

「かさねが淵恋柵」弘化三年(一八四六) 絵師不明
(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)
江戸に海老蔵恩赦の空気が流れ始めた嘉永二年四月、八代目は贔屓連中から餞別として、豊国・国芳・其一の極彩色の摺物や『伊達茂夜雨』と題する狂歌絵本などをもらい、それを土産として江戸を立ち、五月二十四日に大坂の海老蔵と久々の再会を果たした。
「お父さん、そろそろ赦免になりそうですよ」
八代目は会うなりそう告げ、海老蔵を喜ばせた。八代目は大坂見物を楽しみ、二週間ほど坂町の家に泊まっていった。その間、終始上機嫌で、初対面の弟と妹をかわいがって為を喜ばせたり、加納に世辞を言ったりした。
「よし、ついでに京見物していくがいい」
海老蔵は江戸へ戻る八代目を送りがてら、京都まで出る事にした。兄を慕う猿蔵も名残を惜しんでついてきた。坂町から稽古に通っていた猿蔵は弘化二年から京大坂で舞台経験を積み、もう十五になっていた。
六月中旬に京都に着いた海老蔵は、息子二人と楽しい時間を過ごした。途中京役者らも呼び、四条河原で夕涼みをした。

(東京都立図書館デジタルアーカイブより)
京現物を楽しんだ八代目は、父と弟に
「江戸で待っています」
と言い、笑顔で別れた。

ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより
海老蔵が赦免の知らせを受けたのは、嘉永二年十二月下旬の事だった。ちょうど旅興行中で、旅先の岐阜に内々の沙汰が届いた。文恭院(十一代将軍徳川家斉)七回忌法要に伴っての恩赦と書かれてあるが、長男八代目の働きが大きかったと父海老蔵は思う。海老蔵はすぐに岐阜の宿を引き払い、大坂に引き返した。
坂町の生活が気に入っていた為も、海老蔵赦免の知らせは嬉しかった。早く幸蔵にあかん平とひろを会わせたかった。何より幸蔵を抱きしめたかった。
年が明けた正月四日、次男重兵衛が正式な赦免状を持って坂町の家にやってきた。お上より赦免状が下ったその日の晩に江戸を出たという。その道中が十日もかかっていない事に、海老蔵と為は感動した。
角座は二月五日から十日間、海老蔵の暇乞公演を打った。大坂市民は海老蔵の見納めに角座に殺到し、連日の大入りで三日間の延長となった。
大坂を発った後は、名古屋に立ち寄り六日間の暇乞公演をした。ここでも連日の大入りとなった。為も加納と子どもたちと、上方の人気役者、海老蔵の見納めをした。
江戸に着いたのは二月二十九日だった。海老蔵一行は芝の水茶屋に寄り、旅の疲れをとる事にした。そこへ八代目や門人、親戚、芝居関係者らが迎えにきた。海老蔵が茶屋の二階から外を見ると、どこから聞きつけたのかもう人の黒山ができている。
「隠居はしてもやっぱり日本一の海老蔵だ」
と海老蔵は大得意である。ところが八代目が所用で水茶屋を出たとたん、黒山が散り散りになってしまった。
「なんだ八代目が目当てだったのか」
海老蔵は呆れた。それでも海老蔵の自信は揺るがない。
「なあに、八年江戸を離れようが、舞台に立ちゃあ、こっちのものよ」
角座の大入り直後だったことも手伝い、どこまでも強気な海老蔵であった。
それより海老蔵が気がかりなのは、息子八代目のことである。黒山に若い女が多かったのが引っかかっていた。
(この八年、八代目の芝居は見ちゃあいないが、あれはどうも芝居に対する熱が足りないところがあった。この人気が実力に見合ったものなりゃいいが、若さゆえ、美貌ゆえのものであれば危うい)
八代目はこの時二十六歳。持って生まれた美貌に色気が加わり、そこへさらに孝行息子の美談も加わり、まさに今、人気絶頂の時を迎えていた。

(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)
海老蔵一行は一旦、猿若町一丁目の八代目の別宅に落ち着き、今後為と加納と子どもたちをどうするかを話し合った。
茶屋を廃業した和泉屋の世話にはもうなれない。かといって、八代目の猿若町の住居はすでに重兵衛と三男七代目高麗蔵(里の子)、門人らが住んでいて、為と加納と為の子らを迎えるには手狭すぎる。
結局、正妻たちと一緒にはなるが、広い木場の本宅に住むのが一番いいという結論になった。
加納はあかん平とひろの相手をしながら、この話し合いを居たたまれない気持ちで聞いていた。これから正妻と先輩妾に気を遣いながら暮らしていかなければならない主人為の心情を思うと、気の毒でならなかった。
木場の本宅に着くと、為たちは海老蔵について二階へ上がった。そこへ、すみや里、子どもたちが上ってきた。為はまず、木場の皆に長年の間幸蔵を育ててもらった礼を言った。それからすみ、里、為たちは互いに「これからどうぞよろしく」といった挨拶をした。
幸蔵は十歳になっていた。為は六年前の面影が残る幸蔵に、今月五歳となるあかん平と三歳のひろを会わせた。幸蔵は初めての弟妹とすぐに打ち解けて可愛がり、為を安心させた。
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