歌川国貞の浮世絵で見る五代目岩井半四郎の別荘
今日は柳島村にあった五代目岩井半四郎の別荘について詳しくみていきます。
「正本製」に描かれた柳島別荘の図
柳亭種彦が書き、歌川国貞が挿絵を担当した「正本製」という絵本の中に、岩井杜若(五代目岩井半四郎)の別荘の外観が描かれています。

たばこと塩の博物館発行(2020)
「浮世絵に見る名所と美人」71p(お瀧所蔵)より
一番上に「杜若 亀戸 別荘の図」と書かれています。当時の感覚でも、杜若は亀戸の人という扱いだったようです😁
柳島別荘雪見ノ図
次に、歌川国貞画「柳島別荘雪見ノ図」を見てみましょう。

たばこと塩の博物館発行(2020)
「浮世絵に見る名所と美人」65p(お瀧所蔵)より
部屋の手前に火鉢があり、岩井杜若(五代目半四郎)が部屋を温かくして来訪者を待っています。

半四郎の次男、岩井紫若に連れられてやってきたのは、七代目市川団十郎です。

七代目市川団十郎の右下に、市川三升と書かれています。
役者同士や文化人との交流では、このように芸名より俳名が使われるケースが多かったようです。江戸時代は教養として、社交に欠かせないものだったのでしょう。
ちなみに現在の十三代目市川団十郎さんも俳名を持っていらっしゃるので、興味がある方は飛んでみてください(Wikipediaのリンクです)。
田中庵奥の亭より杜若別荘を見る図
下の図は、亀戸側から見た半四郎の別荘です。別荘の前に田んぼ(畑かも)があるのがわかります。

「浮世絵に見る名所と美人」65p(お瀧所蔵)より
五代目半四郎の別荘の正確な場所は不明ですが、
横十間川沿い
柳島妙見山法性寺付近
亀戸の対岸
であることはわかっています。地図でいうと、赤丸部分になります。

大江戸今昔アプリより
この地図のお約束として、黄緑に塗られている箇所は町ではなく農地です。先程の田中庵の図でも、川の向こうに田んぼが描かれていました。こうやって答え合わせをしていきます。
東都名所 柳島妙見堂
下の図は、広重の東都名所シリーズの中の「柳島妙見堂」です。

ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより
手前が亀戸の最北を流れる北十間川で、左に分かれているのが横十間川です。合流地点に橋が架かっています。これが柳島橋です。橋を渡ったところに料亭があります。有名な高級料亭橋本屋です。当時は橋本屋の主人橋本又兵衛にちなんで又兵衛橋とも呼ばれていました。
橋本屋の左奥にあるのが柳島妙見山法性寺です。五代目岩井半四郎の別荘は、そのさらに左側にあったと思われます。
以上、五代目岩井半四郎の別荘について見ていきました。
役者は基本的に芝居小屋のある芝居町に住むよう幕府から指示されていましたが、立役者となり稼ぐようになった役者の中には、別荘の体で川沿いに家を建て、そこを本宅とし舟で通勤する者も多くいました。座頭は衣装代を持たなければいけないので、火事の多い芝居町の密集地で衣装が焼けてしまうのを避ける目的もあったかもしれません。
文化文政期の千両役者たちは川沿いに庭付きの家を持ち、互いに招き合って楽しんでいました。下の図で、彼らの川沿いの別荘地を確認できます。

「浮世絵に見る名所と美人」61P(お瀧所蔵)より
五代目松本幸四郎は今戸に
三代目坂東三津五郎は永木(富岡)に
五代目岩井半四郎は柳島(業平)に
三代目尾上菊五郎は寺島(東向島)
七代目市川団十郎は木場に
住んでいました。
女優の寺島しのぶさんは尾上家の家系ですが、尾上家の本名「寺島」はこの別荘地からきています。
三代目尾上菊五郎が住んでいた寺島は、今でいうと東向島にあたります。菊五郎は今も有名な向島百花園の西側にあった植木屋を買い取り、植木屋松五郎の名で植木屋を開き、そこを別宅にして住んでいました。文化文政期、陶磁器が流通したことで庭を持たない庶民も植木鉢で園芸を楽しむようになり、江戸では空前の園芸ブームが巻き起こりますが、菊五郎はその園芸にどハマりしてしまったわけです。
過去に文化文政期の園芸ブームについて書いています。よかったらこちらも読んでみてください↓
最後に、七代目市川団十郎の木場宅を訪れた五代目岩井半四郎をご覧ください。まずは、2人がどこにいるか、探してみてください。

たばこと塩の博物館発行(2020)
「浮世絵に見る名所と美人」68P(お瀧所蔵)より
正解は、右絵です。
右絵に、先輩役者五代目半四郎を自宅にお連れする団十郎の姿が描かれています。冬なのでたくさん重ね着しています。

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