うつ病と怠惰の狭間で
「うつ病です。休職しましょう。」
病院で初めて診断を受けた時、全く実感が湧かなかった。僕が?うつ病?本当に?
現代社会において、多分あまり珍しくもなくなった"うつ病"。病院で診断を受けても、それどころか、主治医が言うには寛解に向かっており、この文章を公開できるようになった今日に至ってもなお、あまり実感が湧いていない。その理由をより正確に言語化するために、少しだけ、これまでの僕の人生を振り返りたい。
世界に僕だけしかいなかった幼少期、リリースされたばかりの[人生]はかなりイージーモードだった。主人公は僕。この世界には魔王も魔物も存在しない。平和な世界のドラクエは、頭の中で思い描いた大抵のことが叶った。勉強もスポーツも人間関係も、人より努力をしないまま、人並み以上の成果が出せた。この星の一等賞とまでは行かないが、松本大洋を知らずとも、本気を出せば空だって飛べたように思う。
しかし実際のところ、世界は僕中心には回っておらず、現実は小説よりも平凡だった。肉体的な成長が止まり、小さな挫折や失敗の積み重ねで、精神が成熟していった高校生1年生の冬、自己の客体化が急速に進んだ。これまで1人で好き放題していた世界に、ポツポツと他人が現れた。
厳密には、きっとみんな最初から存在していた。ただ僕にとってはそれまで、周囲の人間は僕の人生を盛り上げるためのNPCにすぎず、意思を持ったプレイヤーは僕だけだと、信じて疑わなかった。
精神の成熟によって、他人の感情を慮れるようになった。しかし同時に、自分以外のキャラクターも、各々が意思を持ったプレイヤーなのだと知っった。[人生]のMMORPGへのアップデートは、これまで自分の欲求に素直に従って生きてきた僕の辞書に、初めて、恥と外聞という文字を刻んだ。
MMORPG
...大規模多人数同時参加型オンラインRPGのこと。複数人のプレイヤーがインターネットを介して同じ仮想世界を共有し、冒険や交流、協力・対戦を楽しむオンラインゲーム等を指す。
事前予告も通知もない、今回のステルス大型アップデートによって始まった[人生ver.2.0]には、新たに”MPシステム”が追加されていた。
MPシステム
①各プレイヤーには予め”最大MP”が設定されている。
②生きていく上で選択するあらゆるコマンドでは、大なり小なり”MP”が消費される。
③自分の”残りMP”が、コマンド毎に設定されている”消費MP”を下回ると、当該コマンドが選択できなくなる。
④消費した”MP”は特定の行動によって回復する。
敬愛して止まない堀井雄二氏が(恐らく)考案したこのシステムは、現代においても数多くのゲームの根幹を為しているが、こと[人生ver.2.0]においては、その特徴として次の厄介な仕様が追加されている。
⑤社会や周囲のプレイヤーと密接に関わるようないくつかのコマンドでは、”最大MP”が減少することもある。
これらのコマンドは、孤独から逃れる為に必要不可欠な一方で、自分以外の他者の感情に触れることになる。敏感になればなるほど、その真偽に関わらず、消耗が激しい。
アニメパートどころか、ボイスのついていない会話パートのような、至って普通の生活の中でも、”最大MP”はすり減り、1日の中で実行できるコマンドが少なくなっていく。
普段ゲームを始める時ですらルールブックを読まない僕は、[人生ver.2.0]のメインシステムとも言えるこの”MPシステム”も、当然認識できていなかった。
自分でも気づかない内に、しかし確実に”最大MP”がすり減っていたある日、学校は休みだというのに、目が覚めても起き上がる気力が湧かなかった。全てのことが鬱陶しく感じられて、何をするか考えることすら億劫で、ほとんど全てのコマンドがグレーアウトしていた。
"MPが 足りない"
カーテンすら開けていない薄暗いベットの中で、YouTubeとTwitterを反復横飛びしていると、気づいた時には夜が来ていた。
無力感や虚無感、あるいは自己嫌悪といったあらゆる負の感情が、溶けずに混ざり合う。暗くて静かな感情の海の中で、溺れないように必死で藻掻いていると、一日中ベッドからほとんど動いていないのにも関わらず、瞼が重たくなってきた。
人知れず魔王を倒して世界を平和に導いている勇者にも、Googleにレコメンドされるがまま、対して興味もないYouTuberの、何番煎じかも分からない企画を垂れ流していただけの僕にも、睡魔は平等に襲ってくる。
ベタベタとした不快感と共に目が覚めた。
月曜日だ。学校に行く前にお風呂に入らなきゃ。
まるで風邪で寝込んでいた日のような気怠さがあったが、眠る前に抱えていたネガティブな感情はすっかりどこかに消えて、汗ばんだ身体と対照的に、頭の中はどこか冷静に自己を顧みていた。
僕は”怠惰”な人間なのだ。
人間は、限界まで追い詰められた時に本性が現れるらしい。これまで、勤勉とまでは行かずとも、周囲よりはエネルギーに満ちた人間だと自覚していた僕は、初めて”怠惰”を自覚した。
鋼の錬金術師で学んだ、読めるけど書けないこの2文字は、自分のことを指していると知った。
それからも折に触れて”怠惰”はやってきた。長い時は1日で終わらないこともあったが、2-3日続くと段々と動けるようになっていく。
何もしないまま浪費されていくだけに思える時間は、どうやら”怠惰”な僕にとっては、生きていく上で必要な時間らしい。自覚してからは随分と気が楽になった。
やがて月日が経ち、フリーターバンドマンから大学生、そして社会人へと"ジョブチェンジ"した僕は、”MPシステム”についても"自分"についても、徐々に解像度が上がっていた。
その一方で、あらゆるパラメータが上昇した僕にも、変わらず"怠惰"はやってきた。それどころか、仕事のストレスか、あるいは加齢によるものか、”怠惰”がやってくる頻度は増えていた。
大丈夫。
数日も経たずにグレーアウトされたコマンドは選べるようになる。解像度の上がった僕はこの[人生]というゲームの攻略法を知っている。起き上がれない僕にとってはあまりにも広すぎる、六畳一間のマップの中で、小さな画面をスワイプさせることが、僕の"最大MP"を回復させるのだ。
いつからだろう。
薬を飲んで眠るようになってから1年が過ぎて、とうとう薬を飲んでも眠れなくなった。
無論、仕事どころではない。パフォーマンスは著しく低下した。
ある日の午前中、冷房があまり効いていない会議室の中で、汗もかかずに真っ青な顔でクライアント会議を終えた僕は、上司から早退を勧められた。
当然だ、眠れていないのだから。
眠れるように、もっと強い薬を処方してもらわなきゃ。病院を変えよう。
友達に紹介された病院へ行き、案内されるがままに問診を受けた僕は、冒頭の通り”うつ病”と診断され、休職するに至った。
先生も会社も大袈裟だと思った。僕は”うつ病”ではなく、ただただ”怠惰”なのだ。僕のことは僕が一番よく知っている。大丈夫。眠れるようになったら仕事に戻ろう。
僕の主張は、カウンセリングの中で有耶無耶にされ、睡眠の薬は変えてもらえなかった。主治医からは、出来るだけ仕事のことは考えず、リフレッシュに努めるように言われた。
渋々仕事を休んで数日経つと、以前と同じように薬を飲めば眠れる日が増えた。体調がいい日は外出もして、友達と遊んだ。
思ったよりも早く戻れそうだ。大丈夫。やはり僕は”うつ病”ではない。
入れ替わる様に今度は”怠惰”がやって来たが、不安は特になかった。いつものことだ。大丈夫。
そんな中、僕の様子を心配してくれていた友達と遊ぶ約束をしていたある日、家を出る準備を進めている途中で、突然"MP"が足りなくなった。髪も乾かさないまま、底の見えないベッドの海に沈んでいく。
ごめんなさい。辛うじて最後のMPを振り絞って、"呪文"を唱える。
『リスケさせて』
本当にごめんなさい。でも大丈夫。きっと明日になれば、"ふっかつ"だから。
それから"怠惰"は何日も、何週間も続いた。
曜日感覚が消えた。寒い日が増えたので冬が来たのだと思う。相変わらず僕は”怠惰”の中にいた。
これまでよりも期間が長い。
数日”怠惰”に過ごしていると、約束を破ったあの日の友達が僕の家に遊びに来てくれた。恥ずかしげもなくパジャマのまま遊んだ。友達が帰るとまた、すぐに"怠惰"がやって来た。
僕はいまも”怠惰”から抜け出せていない。しかし果たしてこれは”うつ病”なのだろうか?
これまでより期間が長く、頻度が多いだけで、他は何も変わらない。
不安になって”うつ病”と診断された人が書いた記事やnoteを片っ端から読んだ。僕よりもずっと凄惨だ。明確に”うつ病”を自覚している。これまで出来ていたことが突然、できなくなっているらしい。
だが、僕は違う。
[人生ver.2.0]がリリースされてから10年間、ずっとこうだ。ステータス異常”怠惰”とは、もう何度も向き合ってきた。これが”うつ病”だとすると、今までの”怠惰”は何になるんだ。違いがよく分からない。調べても調べても、僕は”怠惰”なだけだった。
大丈夫。いつか元気だった自分に戻れる。はず。
僕はリハビリのように、そして自分が直面したこのもやもやが消えてしまわぬ様に。
限られた"MP"を使って、何日もかけて、今も少しずつこの文章を書き足している。
”うつ病”と”怠惰”の狭間で。
追記
記念すべき最初のnote。
この文章を書いてる間に”怠惰”の頻度は少しずつ減り、生活のために復職した。
全てを書き終えた今日は2026年2月19日。このもやもやを文章にしようと思い立ってからら4ヶ月近くが経っていた。
今も実感は湧いていない。
・うつ病と診断された日の話↓
・復職当日にやらかして辞表を出す話↓
社会不適合日記
毎週木曜20:00更新+不定期
うつ病と怠惰の狭間で、自身の社会不適合性を茶化しています。
次回は「復職した日のやらかし」についてです。
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