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えっ、それって解決策なの? 「もっと、もっと!」を求めてしまう私たち ~絵本『ありがたいこってす!』 SideA~

『ありがたいこってす!』、マーゴット・ツェマック 作、わたなべしげお 訳、童話館出版、1994年11月

[絵本《大人読み》談話室]


Ⅰ.《充足》の中で芽吹く《不満》のタネ

ずっと充足していると思っていたはずなのに、いつしか私たちの心に《不満》のタネが芽を出してくる。

例えば、これまで満足していた自分の部屋が、なぜか急に薄暗く、狭苦しい檻〔おり〕のように感じられる時だってある。

「階上の部屋や隣りの部屋から生活騒音の響いてこない、もっと静かな空間だったら!」「もっと、陽あたりのよい空間を!」「もっと、間取の多い、広い部屋であればいいのに!」「もっと好きなインテリアに囲まれたい!」もっと、もっともっと、もっともっともっと……。

そんなふうに《不満》が芽吹いてしまうと、本当に際限がない。とはいえ、経済的な、さらにそれへ割く時間的・労力的な問題さえサクッとクリアできるならば直ちに解決するのだろうが、なかなかそうも行かぬ現実が私たちの目の前に横たわっている。ちなみに、私は(地方公共団体の管理する)公営の団地暮らしである。

私たちはついつい、なにかを物理的に《足し算する》ことが更なる幸福に繋がると、どこかで信じ込んでしまっている。そんな私たちに気づきの冷や水を浴びせてくるのが、この絵本だ。

などと書いてはみたものの、初読後の私の感想は「いやいや、それは理不尽やろ!」「子どもの頃に見てたテレビアニメ『一休さん』の頓智〔とんち〕話かよ!」「単なる相対化やん!」と、なんとも腑に落ちないものだった。

Ⅱ.絵本『ありがたいこってす!』発端部

[1]出版社ホームページにある紹介文

今回は、ユダヤ民話を素材とする絵本『ありがたいこってす!』を取り上げたい。出版社のホームページを見ると、次のような紹介文がある。

昔、貧しい男が、母親とおかみさんと、6人の子どもたちと一緒に、ひと部屋しかない小さな家で暮らしていました。あまりに家が小さいので、男とおかみさんは言い争いばかり、子どもたちはけんかばかりで、そのうるさいこと! がまんならなくなった男は、とうとうラビのもとへ相談へ。ラビは、男が飼っているひなどりとおんどりとがちょうを家のなかに入れて、一緒に暮らすように言います。はたして、男の暮らしはよくなるのでしょうか?

絵本・本の詳細情報「ありがたいこってす!」、童話館出版

[2]《ことば》と《絵》から男の住まいを捉える

ここに書かれた通り、物語の主人公は〈まずしい不幸な男〉。9人家族が〈ひとへや しかない 小さな家〉で暮らしていた。〈あんまり せまいので〉と語られるものの、言語情報だけだと、この一家9人が暮らすスペースを直ちには想像できない。

だが、言葉(言語情報)の横にある挿画(絵画情報)が男の家の空間的状況を描き出す。家族がぎゅうぎゅうにひしめき合っていて、見ている私たち読者のほうが「寝る時はどうするのだろう?」と、思わず心配になってしまうほどの狭さである。

約6畳ほどの部屋の脇に暖炉があり、梁〔はり〕に設置した棚の上で1人の子どもが布団にくるまって眠っている。部屋の半分近くを占める大きなテーブルを(残る8人の)家族が取り囲む食事時のシーンのようだ。

手を伸ばせば直ちに誰かに届き、動けば誰かに必ずぶつかる空間。絵画情報は、男の家の喧噪と密度を息苦しいほどに伝えてくる。

この男の《不満》は、決して大げさなものではない。ただ、彼にとっての《狭い家》という現実は、彼が心のどこかで願う《理想の生活》とのギャップを彼自身に突きつける。いまの空間に、あと少しの金があって、あと少しの広さ、あと少しの自由を加えられれば、家族の幸せの構図は完成するのに!

[3]賢者への相談と、提示された解決策

しかし、いまは、食事も、睡眠も、屋内の仕事も、夫婦喧嘩や兄弟喧嘩も、すべて同じ空間での営為〔えいい〕だ。男はとうとう耐えかねて、ある日、ラビのもとへ相談に出かけた。ラビとは、ユダヤ教の宗教指導者だそうだ。絵本にも〈ユダヤの法律博士、先生〉という注記がある。

きっと何か現実的な解決策が示されるはず! 主人公とともに私たち読者もそれを期待する。ところが、ラビが授けた助言は、一同の予想を強烈に裏切っていく。男とラビの対話を引用しておこう。

「おまえは、どうぶつを かっているかね、ひなどりの 1わか 2わでも?」
「へぇ(中略)ひなどりが2、3ばと、おんどりが1わ、それから がちょうが1わ おりますんで」
「それはけっこう(中略)では、家にかえり、ひなどりと おんどりと がちょうを なかにいれて、いっしょに くらしなされ」

マーゴット・ツェマック作、わたなべしげお訳『ありがたいこってす!』童話館出版、1994年11月

この助言は、論理的に無理筋〔むりすじ〕であり、物語はまさに《一休さんの頓知話》の様相を呈してくる。ただでさえ9人がひしめき合って限界を迎えた部屋に、さらに家畜を招き入れろというのだ。状況を改善するために、あえて状況を悪化させてどうする!

男は当惑しつつも、ラビの言葉に従って鳥たちを家の中へ入れる。当然ながら、家の中は羽が舞い、糞が落ちて不潔になり、以前よりもずっと狭く、騒がしい場所へと変貌する。解決を求めて行動したのに〈じごく〉がワン・ランク深まったのだ。

[4]賢者が企図したもの ―基準の書き換え―

私たちの生活において、例えば、蛇口を捻〔ひね〕れば、いつだって水が出る。暖房器具のおかげで、冬でも部屋は暖かい。

先日、夕刻の人身事故の影響で3時間以上も電車が運休となった。長い待ち時間で弱ったが、通常であれば、電車はダイヤに従い、ほぼ定刻通りに運行している。

これらは、本来《ありがたいこと》のはずなのに、いまやただの《当たり前》である。そして《当たり前》が基準になると、そこに届かないわずかな欠乏や欠如ですら《不満》として立ちあがってくる。

まあ、言うなれば、ラビが企図したのは、部屋の物理的な拡張ではなく、幸福を感じる《基準》の強制的な書き換えであった。

鳥たちを家に入れたことで、男の生活は解決とは真逆の方向へ、むしろ確実に一歩ずつ破綻へと向かっていく。だが、この破綻こそ、男が失っていたものを取り戻すために不可欠なプロセスだったと、私たちは物語の終盤で気づかされることになる。

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