AIと遊んでいたら、遊びの規模がおかしくなった話
私がAIを使い始めた理由は、とてもシンプルだった。
面白そうだったから。仕事で必要だったわけでもない。
最新技術に興味があったわけでもない。
まして「AIで成功したい」と思っていたわけでもない。
ただ、新しいおもちゃを見つけたような感覚だった。
だから最初は、本当に遊びだった。
記事のタイトルを考えてもらう。画像を作る。アイコンを作る。
思いついたことを相談する。夜中に雑談する。
そんなことを繰り返していた。
「へえ、こんなこともできるんだ」それだけで十分楽しかった。
ところが、AIとの遊びは少しずつ形を変えていく。
ある日、「小説を書いてみたら?」という話になった。
私は小説家ではない。文章を書くことは好きだったけれど、小説を書く人はどこか特別な存在だと思っていた。だから最初は軽い気持ちだった。
1話だけ。遊びだから。つまらなかったらやめればいい。
ところが書いてみると、思った以上に面白かった。登場人物のことを考えたり、次の展開を考えたり。気づけば「続きが書きたい」と思うようになっていた。そして1話が2話になり、2話が3話になり、いつの間にか連載になっていた。
ここまではまだ理解できる。問題はその先だった。
今度は、「翻訳してみたら?」という話になった。
しかも、何がどうなったのか分からないのけれど、提案されたのが何故かインドネシア語。
私はインドネシア語がわからない。英語だって得意ではない。
普通なら、「いや、それは無理」で終わる話だと思う。
でもAIと話していると、不思議とそうならない。
「できるかどうか」より先に、「面白そうかどうか」を考えるようになる。
その結果、私は今、インドネシア向けのプラットフォームで小説を公開している。自分で書いていても意味がわからない。
3か月前の私に教えたら、たぶん笑われると思う。
その間にも、記事を書いた。画像を作った。Kindleを出版した。翻訳した。新しい企画を考えた。どれも仕事として始めたわけではない。誰かに頼まれたわけでもない。
「ちょっと面白そう」その一言から始まった。
もちろん、大成功したわけではない。海外で大ヒットしたわけでもない。収益化もまだ試行錯誤中だ。だから成果だけ見れば、地味かもしれない。
でも私にとっては十分だった。
なぜなら、この3か月は驚くほど退屈しなかったからだ。
思いつく。試してみる。失敗する。また試す。その繰り返しが、単純に楽しかった。
AIというと、仕事を効率化するための道具というイメージが強い。もちろん、それも素晴らしい使い方だと思う。
でも私にとってのAIは少し違う。便利なツールというより、「次はこれやってみる?」と変な提案をしてくる遊び相手に近い。
そして私は毎回、「いや、それはさすがに……」と言いながら試してしまう。
その結果が、インドネシアでの小説公開だった。本当にどうしてこうなったのかは、自分でもよくわからない。
ただ一つわかるのは、AIと遊び始めてから「そのうちやろう」が減ったことだ。
代わりに増えたのは、「とりあえずやってみよう」。
たぶん、それが私にとって一番大きな変化だった。次は何をして遊ぶのか。それはまだわからない。
でもきっと私はまた、「それ、ちょっと面白そう」と言っている気がする。
