【5分で分かる中学社会】縄文・弥生・古墳② 弥生時代 中1歴史
前回は縄文時代について学びました。
今回は弥生時代について学びましょう。
1:弥生時代の始まり
紀元前3世紀ごろになると大陸から日本に2つの重要なものが伝わります。それが稲作と金属器です。
稲作は米作りのことですね。稲作が伝わったことにより、日本でも本格的に農業が始まっていくことになります。
米というのはとても大事な作物です。なぜなら、米は乾燥させて保存することができるからです。米は保存できたので、やがて財産となっていきます。また、米作りには専門的な知識が必要になります。そこで、知識のある人が村のリーダーとなっていきました。
このように米は人々の間に富(財産)とリーダー(階級)という2つの要素を生み出していくことになります。
収穫された米は高床倉庫に保存されました。これは名前の通り、高床の設計がなされた倉庫です。倉庫の底面にはネズミ返しと呼ばれる板が取り付けられており、ネズミに米が食べられないように工夫されていました。
また、米の収穫には石包丁と呼ばれる磨製石器が使われました。その名の通り石で作った包丁ですね。稲の穂先を切り取る穂首狩りという方法で収穫していたようです。

弥生時代の稲作を伝える遺跡としては静岡県の登呂遺跡(とろいせき)があります。
次に金属器ですね。金属器という言葉は鉄器と青銅器を合わせて指す言葉です。鉄器は鉄ですね。主に武器として使われました。青銅器は中国文明で一度勉強しましたね。銅と錫(すず)を混ぜ合わせたもので、主に儀式に使われました。
こうして、大陸から稲作と金属器が伝わったことで、日本では新しい時代が始まりました。これを弥生時代(やよいじだい)とよびます。
弥生時代は紀元前3世紀ごろ~3世紀ごろまでの間であるとされています。
弥生時代という名前は弥生土器からきています。弥生土器は東京都文京区にある弥生町で発見されたのでこの名前になりました。
弥生土器は縄文土器とは違う特徴があります。それは次の3つです。
①装飾が少ない。(シンプル)
②薄くて固い。
③赤褐色(赤みがかった茶色)

縄文土器との違いを確認しておきましょう。縄文土器は次の3つの特徴がありましたね。
①縄目の模様がついている。
②厚くてもろい
③黒褐色(黒っぽい茶色)

2:弥生時代の変化
さて、弥生時代になると人々の生活に大きな変化が訪れることになります。その主な原因は稲作です。
米を育てるには田んぼが必要です。田んぼを作るためには水が得やすい場所が必要ですね。また、土の栄養素もなるべく豊富なところがいいですね。
そのような場所は多くはありません。ですから、土地の奪い合いが起こります。当時の人々は一定の人数が集まって小さな集落を形成していました。
この集落をムラといいます。この場合のムラはあえてカタカナを使います。現代の村と区別するためです。(ひらがなで「むら」と書く場合もあります。)
稲作に適した土地を奪い合いためにムラ同士で戦争が起こったのです。戦争に負けたムラは勝ったムラに支配されます。負けたムラの人々は奴隷として使われたのではないかと考えられています。米によって階級が発生したということですね。
また、強いムラは弱いムラを吸収してどんどん大きくなっていきます。そして、その地域を治める巨大なムラへと成長していくのです。
大きくなったムラは、もはやムラと表現するのには適しません。そこで、大きくなったムラをクニと呼びます。(これも現代の国と区別するためにクニと書きます。)
ですから、弥生時代には戦争によりムラが統合され、やがてクニになっていくのですね。これを「ムラからクニへ」と表現したりします。
弥生時代を代表する遺跡に佐賀の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)があります。
この遺跡は戦争に備えて周りを濠(ほり)で囲っていました。このような遺跡を環濠集落(かんごうしゅうらく)と呼んだりします。
吉野ヶ里遺跡では首から上のない人骨が見つかっています。これは戦争があったことの証だろうと考えられています。

3:まとめ
弥生時代
→紀元前3世紀~3世紀
大陸から稲作と金属器が伝わる
・稲作
→米は高床倉庫に保管
→石包丁で穂首狩りの収穫
例:登呂遺跡
・金属器
→鉄器と青銅器のこと
鉄器=武器用
青銅器=儀式用
弥生時代は土地や資源の争いが発生
→ムラからクニへ
例:吉野ヶ里遺跡
→大規模な環濠集落
次回は1世紀ごろの日本の様子を学びましょう。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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