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【5分で分かる中学社会】縄文・弥生・古墳① 縄文時代 中1歴史

 前回は古代ギリシャ・ローマ文明を学びました。

今回から日本の歴史にスポットを当ててみましょう。


1:太古のくらしを知るには?

 太古の日本の生活について知るのは、実はとても難しいことです。なぜなら史料がないからです。日本は文字がありませんでした。ですから、当時の生活を知るには遺跡などから探るしかありません。


 人々のくらしを理解する重要な遺跡は何だと思いますか?

 実はゴミ捨て場です。当時のゴミを探れば、当時の人が何を食べていたか、またどんな道具を使っていたかある程度分かるようになります。

 こうして、ゴミ捨て場の研究などから太古の日本の姿が徐々に明らかになっていきました。

 このゴミ捨て場のことを貝塚(かいづか)と呼びます。有名なものに大森貝塚(東京)があります。これは明治時代に政府が海外から呼び寄せた学者(お雇い外国人)のモースという人が発見しました。

 このあと、貝塚が登場するので、覚えておいてくださいね。

2:日本の旧石器時代

 さて、一度人類史を復習してみましょう。人類史は旧石器時代からスタートするのでしたね。特徴を覚えているでしょうか?

①打製石器を使用
②狩猟・採集が生活の中心
③移動しながら生活

 この3つの特徴がありました。

 では、日本には旧石器時代はあったのでしょうか?

 実は長年、日本には旧石器時代は存在しなかったのではないか、と考えられていました。

 というのも、日本はユーラシア大陸の端に位置していますし、大部分の人類は中国などの大陸で生活していたのではないか、と考えられていたからです。

 ところが、この学説が覆る事件が発生します。

 考古学が趣味の相沢忠洋(あいざわただひろ)という青年が旧石器時代のものと思われる遺跡を関東ローム層から発見したのです。この遺跡を岩宿遺跡(群馬県)と言います。

 これは歴史的大発見でした。この発見により、日本にも旧石器時代があったことが証明されたのです。

 それにしてもすごいのは相沢さんです。専門的な研究者ではない一般の人が歴史的発見をするのは本当にすごいことです。


3:縄文時代

 では、次に新石器時代を振り返ってみましょう。

 新石器時代の特徴は何でしょうか?

 これは次の4つでしたね。

①定住化
②農耕・牧畜の開始
③土器の使用
④磨製石器の使用



 日本にも新石器時代は存在するのですが、奇妙なことに日本の新石器時代は長い間、農耕をほとんどしてこなかったようなのです。

 簡単な農業はしていたかもしれませんが、集団で規模感のある農業をしていたわけではなさそうなのです。
 これは世界的にみてもかなり珍しい例です。

 ですから日本の新石器時代は特殊なのですね。この日本の新石器時代を縄文時代と言います。

 ちなみに縄文時代は約1万年前に始まり、紀元前3世紀頃まで続いたと言われています。とてつもなく長いです。

 縄文時代という名前は縄文土器を使っていたことから名付けられました。縄文というのは縄目の文様のことです。土器に縄で模様をつけており、芸術的な感じがしますね。

縄文土器


 縄文土器の特徴は主に3つあります。

①縄目の模様がついている。
②厚くてもろい
③黒褐色(黒っぽい茶色)

 この3つが大きな特徴です。

 当時はまだ火を操る技術が低く、低温で土器を焼いたため、厚手でもろくなってしまったようですね。


4:縄文時代の生活

 縄文時代の生活は私たちとはだいぶ異なっていたようです。

 縄文時代の生活はある程度、貝塚から知ることができます。貝塚とはゴミ捨て場のことでしたね。

 縄文時代の人々はある程度まとまって集落をつくり定住化していました。当時の家は竪穴住居(たてあなじゅうきょ)と呼ばれます。これは地面を掘り下げて床にして、その中に掘立柱を建て、土や植物で屋根を作ったものです。どうやら竪穴住居は奈良時代くらいまで使われたようです。

 人々はまとまってくらしていましたが、王と奴隷のような明確な身分はなく、みんな平等な社会だったようです。

 また、どうやら村の人々は助け合って生活していたことも分かっています。例えば、身体に障害のある縄文人の人骨を調べるとちゃんと寿命まで生き延びているのです。これは、村の人が障害のある人をしっかりとお世話していたことを意味しています。

 縄文時代の風習はかなり独特でした。例えば、成人の通過儀礼として考えられているのが抜歯(ばっし)です。大人の証として歯を抜くのですね。今だと考えられません。また、死者を埋葬するときには手足をぎゅっと丸めて埋葬していました。この方法を屈葬(くっそう)といいます。当時の人々は死者の魂をおさえる効果があったと考えていたのかもしれません。

抜歯と屈葬

 さらに縄文人たちは土の人形を作って健康や安産などのお祈りを捧げていたようなのです。この土の人形を土偶(どぐう)と言います。

土偶

 このように当時の人々は自然をおそれながら、呪術的な暮らしをしていたようです。これをアニミズム(精霊崇拝)と呼んだりします。アニマ(霊魂、生命)+イズム(主義)でアニミズムです。


 また、面白いのは縄文時代の人々は一か所に定住して終わるのではなく、どうやら様々な集落同士で交流があったようなのです。

 陸路で移動したり、海を使って移動していたと考えられています。海を使う場合は木をくりぬいて作った丸木舟と呼ばれるシンプルな船が使われました。

 集落の交流があったことを示す遺跡があります。それが青森県の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)です。この遺跡には20mを超える巨大な掘立柱が建っており、交易の目印になっていたようです。

三内丸山遺跡

 三内丸山遺跡ではヒスイという石が見つかっています。ヒスイは新潟県の糸魚川という場所で採れるのですが、どうやらこの周辺の人々と三内丸山遺跡の人々の間で交流があったようです。

 ほかにも三内丸山遺跡では黒曜石という石も見つかっています。これは長野県の和田峠という場所で採れます。黒曜石が見つかったことから、長野の人々とも交流があったようです。

 こう考えると、縄文時代の人々は想像以上に活気のある生活を送っていたのかもしれませんね。


 次に、縄文時代の人々の食生活ですが、農耕は本格的に行っていないため、旧石器時代に引き続き狩猟・採集で獲得した食材がメインでした。弓矢を用いてイノシシを狩ったり、ドングリを縄文土器で煮て調理したりしていました。
 また、釣りもしていたようで、動物の骨を釣り針にして魚を獲って食べていたようです。


 縄文時代の末期ごろになると、どうやら大陸から米作りの方法が伝わり、日本でも稲作の文化が広まっていきます。縄文時代末期の稲作の様子を伝える遺跡としては佐賀県の菜畑遺跡(なばたけいせき)と福岡県の板付遺跡(いたづけいせき)があります。どちらも九州で朝鮮半島に近い場所にありますね。

5:まとめ

旧石器時代
→岩宿遺跡の発見
→日本の旧石器時代の証明

日本の新石器時代=縄文時代

由来:縄文土器の使用
 ①縄目の模様
 ②厚手でもろい
 ③黒褐色

当時の生活は貝塚から推測
 ・抜歯、屈葬の習慣
 ・土偶の使用
  →アニミズム的社会

 ・竪穴住居に住む
   →集落で生活
  例:三内丸山遺跡

 ・狩猟・採集生活が続く 
  ※縄文末期には稲作文化が伝わる
  例:菜畑遺跡、板付遺跡

次回は弥生時代について学びましょう。


ここまでお読みいただきありがとうございました。
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