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【5分で分かる中学社会】人類の誕生と四大文明⑤ ギリシャ・ローマ文明 中1歴史

前回は中国文明について学びました。

今回は古代ギリシャ・ローマ文明について学びましょう。

1:古代ギリシャ文明のおこり

 紀元前8世紀ごろに地中海のギリシャを中心に文明が起こりました。これをギリシャ文明と呼びます。


 当時のギリシャはいくつかの都市が国のように機能して、それぞれ生活をしていました。このような都市をポリス(都市国家)と呼びます。

ポリスの様子

 ポリス(都市国家)は、現在では警察という意味ですね。都市を守る機能から警察という意味に派生していったようです。


 有名なポリスとしてアテネスパルタがあります。アテネは現在でもギリシャの首都ですね。

 スパルタはスパルタ教育で聞いたことがあるかもしれません。
 スパルタは厳しい軍事国家でした。戦士として戦えない者は即切り捨てられてしまう、そんなポリスだったのです。おかげでスパルタは当時、最強のポリスの一つでした。

2:ポリスの生活


 ポリスの人々はどのような生活をしていたのでしょうか。

 当時の人々は市民奴隷の二つの階級に分かれていました。奴隷は家事や農業など、生活に必要なことをする仕事に従事していました。

 一方、市民の主な役割は政治と戦争でした。自分たちのポリスは自分たちで守るという決まりがあったのです。

 ただ、戦争は毎日あるわけではありません。ですから、平常時の市民は暇です。

 そこで、市民はアゴラと呼ばれる広場に集まって、世界の様々なことについて議論していました。そこから、古代ギリシャ文明では学問が発達します。

 例えば、哲学という学問が生まれます。これは世界の真理を探究しようとする学問です。有名な哲学者として、ソクラテスプラトンがいます。

 他にも数学ではピタゴラスが活躍しました。ピタゴラスイッチのピタゴラスですね。三平方の定理でも有名です。

 市民の仕事は戦争と政治でしたね。政治では直接民主制という方法を採用していました。これは18歳以上の男子が集まり、話し合いで政治を進めるという方法です。

 この政治の仕組みは画期的なことでした。王が自分の思うがままに政治をするのではなく、みんなで意見を出し合って政治を進めていたのは先進的ですね。ただ、政治に女性が参加することはできませんでした。もちろん、奴隷も参加できませんでした。


3:アレクサンドロス大王の活躍

 こうして文化的に成熟していったギリシャのポリスですが、北方のマケドニアという国に敗れてしまいます。

 マケドニアにはアレクサンドロス大王という戦いに秀でた王がいたのです。アレクサンドロス大王は東方のペルシャも滅ぼし、巨大な帝国を作り上げました。

アレクサンドロス大王の帝国

 アレクサンドロス大王が大きな国を作ったことにより、古代ギリシャ世界とオリエント世界(オリエントはエジプト文明とメソポタミア文明があった地域のこと)が混ざり合うことになります。

 こうして、新しい文化が誕生しました。この文化をヘレニズムとよびます。有名なのはミロのヴィーナスですね。

ミロのヴィーナス

 アレクサンドロス大王の国はどんどん拡大していきました。しかし、アレクサンドロス大王は32歳の若さで死んでしまいます。

 その後、マケドニアでは後継者争いが起こり、国は分裂してしまいました。ただ、ヘレニズムの文化的な要素はその後もヨーロッパ世界に残ることになります。

4:ローマ文明

 アレクサンドロス大王が活躍したころ、イタリアではローマというポリスが徐々に力をつけていました。

 マケドニアが滅亡したあと、ローマは徐々に勢力を拡大し、やがて巨大な国へと成長していきます。

 最初は王が政治を行う王政だったのですが、貴族たちが王を追放しました。その後は貴族たちが政治を行う共和政の国として発展していきます。

 共和政は紀元前509年~紀元前27年までの間続きました。(約500年間)


 共和政の末期には強いリーダーたちが現れ、新たな政治のスタイルが登場します。それが帝政です。帝政とは皇帝が行う政治のことをさします。

 ローマは共和政から皇帝が治める帝政の国へと姿を変えていきました。皇帝が治める国を帝国というので、ローマ帝国が誕生したというわけです。


 そして、ローマ帝国はヨーロッパ世界の覇権を握りました。巨大な領域を支配し、「すべての道はローマに通ず」と言われたほどです。

ローマ帝国の最大領域

 ローマ帝国では水道土木の技術が発達します。コロッセオ(闘技場)が有名ですね。また、公衆浴場なども整備されました。(テルマエ・ロマエという漫画でその様子が描かれています。)

コロッセオ

 また、ローマ帝国ではユダヤ教に反発する形でキリスト教が生まれました。最初、キリスト教は迫害されていたのですが、4世紀になると皇帝のコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認するようになります。


 絶大な力をもっていたローマ帝国ですが、やがて勢力を失っていきます。領域が巨大すぎて、きちんと支配できなくなっていたのです。


 395年にはローマ帝国は東西に分裂してしまいます。こうして、西ローマ帝国東ローマ帝国の2つの帝国が生まれました。


 西ローマ帝国は476年に滅亡してしまい、その後、西ヨーロッパ世界では小さな国が出来ては消えるという混乱状態になります。

 一方、東ローマ帝国はその後、ビザンツ帝国と呼ばれ、強い力を発揮していきました。結局、ビザンツ帝国は1453年に滅亡するまで、約1000年間も続くことになります。


5:まとめ

<古代ギリシャ世界>
 ポリスを中心に文明が発展
  例:アテネ、スパルタ

 ・人々は市民と奴隷に分かれていた
 ・哲学や数学など学問の発達
 ・18歳以上の男子による直接民主制

<アレクサンドロス大王の活躍>
 マケドニア王として各地を征服
 →巨大な帝国を築く
 →古代ギリシャ世界とヘレニズムの融合
 =ヘレニズム文化

<ローマ文明>
 ローマが発展し、巨大な国へ成長
 王政→共和政→帝政と政治の仕組みが変化した。

 ・土木や水道の技術が発展
   →コロッセオ、公衆浴場など

 ・キリスト教が生まれる
  →最初は迫害、やがて公認

 ・395年に東西に分裂
  →西ローマ帝国は476年に滅亡
  →東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は
   約1000年持続(1453年滅亡)

次回は縄文時代について学びましょう。


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