【5分で分かる中学社会】人類の誕生と四大文明④ 中国文明 中1歴史
前回は、四大文明の特徴について学びました。
今回は中国文明について考えていきましょう。
1:中国文明のはじまり
中国文明は黄河の流域で発生します。
紀元前1500年ごろに殷(いん)という国がおこりました。
殷では占いで政治を行っていたようです。
当時、まだ紙はなかったので、占いの結果は亀の甲羅や動物の骨に書かれました。
こうして書かれた文字を甲骨文字(こうこつもじ)とよびます。漢字のもとになった文字ですね。
また、殷では青銅器(せいどうき)が作られました。青銅器とは銅にスズ(錫)を混ぜて作った金属製の道具のことをいいます。
銅はやわらかい素材なのですが、スズを混ぜると丈夫になるのですね。
青銅器は政治などの儀式で使われたと考えられています。

2:周の時代と春秋・戦国時代
殷が滅ぶと次に周(しゅう)という国が中国に登場しました。
周は紀元前11世紀ごろに殷を倒して成立し、なんと約800年も続きました。
周では封建制度(ほうけんせいど)とよばれる仕組みが生まれます。
周は広い領土を直接支配できなかったため、親族や家来に土地を与えて統治させました。この仕組みを封建制度とよぶのです。
また、周では天命思想(てんめいしそう)という考え方も登場します。これは、王が国を治めるときの正統性に関する考え方です。のちの中国にも大きな影響を与えました。
天というのは神様のような存在です。その天が国を治める権利を認めた者が天子となり、国を治めます。(天使ではないので注意)
しかし、天子の政治が悪いと天は怒り、別の王朝に交代します。ですから天子は常によい政治を意識する必要があるのです。(実際はそうならないことも多いのですが…)
天という神様のような存在は中国で長い間、信じられてきました。日本でも「天罰」という言葉がありますね。
このように中国に大きな影響を与えた周ですが、やがて力が衰えていきます。原因は封建制度でした。
地方で支配を担当していた有力者たちが、次第に周の言うことを聞かなくなり、独自の政治を始めていったのです。
その結果、周は滅んでしまいます。
そして、周という大きな存在を失った中国では、各地で小さな国が生まれ、互いに争う混乱した時代になりました。
この時代を春秋・戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)と言います。
余談ですが、この争いの時代を描いた漫画が『キングダム』です。
※正確には春秋時代と戦国時代の2つに分かれるのですが、ここでは「春秋・戦国時代」と一つにまとめて紹介します。

春秋・戦国時代は戦争がおこり、国をどのように治めればよいのか考える必要が出てきました。そこで、政治のあり方を考える思想家が登場します。この思想家たちを諸子百家(しょしひゃっか)といいます。
代表的な人物は孔子(こうし)です。孔子は仁(おもいやり)と礼(礼儀やマナー)により国を治めるべきだと考えました。
孔子の教えは弟子たちによってまとめられ『論語』(ろんご)になりました。「子曰く~」から始まる漢文を聞いたことがあるかもしれませんね。
論語はその後の東アジア世界に大きく影響します。孔子の教えを研究する学問はやがて儒教(じゅきょう)として広まり、日本でも政治の基本となっていきます。
ほかの諸子百家としては孫子(そんし)が有名でしょうか。
孫子は戦いの基本となる兵法を考えたことで有名です。
日本では戦国武将の武田信玄が孫子を参考にして、「風林火山」を掲げていました。
春秋・戦国時代には諸子百家に加えて、もう一つ大事なことがあります。それは鉄製農具が開発されたことです。これにより各地の農作物の生産力は上がり、国は力を蓄えていきました。
3:秦の統一
戦国時代の中国では7つの国(秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙)が互いに争っていましたが、ついに中国を統一する国が登場します。
それが秦(しん)です。秦は紀元前221年に中国を統一します。
秦の王は自らを始皇帝(しこうてい)と名乗りました。始まりの皇帝という意味ですね。これ以降、中国の王は皇帝と名乗ることになります。ちなみに皇帝は英語でエンペラーと言います。
始皇帝は様々な改革を行います。
その一つが文字や貨幣の統一です。
今まで7つの国があったので、文字や貨幣がバラバラでした。それを始皇帝は統一します。
また、長さや重さ、体積などの「単位」も統一しました。これにより商業や税の徴収が便利になりました。
ちなみに長さ、体積、重さのことをまとめて度量衡(どりょうこう)というので、「度量衡を統一した」と表現する場合もあります。
また、始皇帝は万里の長城を作ったことでも有名です。当時の中国は北方からの異民族の侵入に悩まされていました。そこで万里の長城を建設し、異民族の侵入を防いだのです。
始皇帝の権力は絶大だったようで、始皇帝の墓の周辺では兵馬俑(へいばよう)と呼ばれる等身大の兵士や馬をかたどった大量の土の人形が発見されています。その数はなんと数千体にものぼります。

このように強力な権力を振るった始皇帝でしたが、厳しい法律や重い税に対して人々の不満は高まっていました。そして始皇帝の死後に反乱がおこり、秦はわずか15年で滅んでしまいました。
4:漢の統一
秦のあとに起こった国は漢(かん)です。
漢も秦のように中国を支配する巨大な国に成長しました。前漢と後漢の2つに分かれますが、合わせて約400年の間、中国を支配します。
漢は中国の基礎を作った国ですね。「漢字」の「漢」です。また、現在の中国人の大多数は漢民族ですが、この名前も漢の国からきています。
漢は武帝という皇帝のときに勢力を拡大し、ヨーロッパのローマ帝国まで続くシルクロードを整備しました。
シルクというのは絹(きぬ)という意味です。中国からローマ帝国へシルクが運ばれたので、この名前が付きました。
また、ローマ帝国からは馬やブドウが中国へ運ばれました。途中のインドからは仏教が中国へ伝わりました。
このようにシルクロードはユーラシア大陸をつなぐ道としての役割を果してきました。
また、漢は朝鮮半島も支配下に入れます。
朝鮮半島に楽浪郡(らくろうぐん)という役所を設置し、現地の支配を進めていきました。
今後学習しますが、日本もこの楽浪郡に使いを送ったりしています。
5:まとめ
・はじめに殷が起こる
→甲骨文字、青銅器
・次に周が起こる
→封建制度、天命思想
・春秋・戦国時代のはじまり
→鉄製農具の使用、諸子百家の活躍(孔子、孫子など)
・秦の統一
→始皇帝、万里の長城、度量衡の統一
・漢の統一
→シルクロードの整備、楽浪郡の設置
次回はギリシャ・ローマ文明について学びましょう。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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