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八尾の玄関口、井田川・天満宮・八幡社を巡る〜おわら楽しむ3つのコース③An English version is also available.

エイサーの国、沖縄からやってきて驚愕。

富山市八尾(やつお)の恒例行事「おわら風の盆」に心をつかまれ、おわら探求をする沖縄民がついに!

現地の11町内それぞれの方にインタビューできました👏

こちらは、おわら愛だけは本物のど素人24歳男子が、おわらを調べ、語り尽くすnoteです。

さて、インタビューの結果、膨大な量の興味深い情報が得られたので、3つのエリアに分け、エリアごとに各町内の魅力をご紹介していきたいと思います。

今回は、八尾発祥の地コースと題し、
の3町内の特色や魅力についてお届けします!

※この連載は、おわらオタクの個人的見解で書いています。

👉Read the English version here


<福島〜八尾の玄関口にして最大勢力>

越中八尾駅のあたり一帯が福島(ふくじま)。
電車で訪れる方にとっては、玄関口となる町です。

photo by 後藤

11の支部で最大のおわら人口を誇り、旧町全てを合わせたより人口が多い町です。そのため、おわらも1町内1チームがふつうですが、A・Bの2チームあります。

そんな福島でお話を伺ったのは、松崎さん。おわらでは三味線を弾かれています。

松崎さん

町の人に聞いて判明!①とにかく人数が多い

とにかく大きな福島。7区に分かれており、当然自治会長も7名いるそうで、全員が集まるのもなかなか大変とのこと。

おわらでは、A班とB班に分かれて踊ります。それぞれが下の画像のような規模になります。

参考動画

おわらでは、地方(楽器と歌)だけでも50〜60人ほどになります。ただし、その4割ほどが60代以上になるといい、若手を増やす必要を感じているとのことでした。

町の人に聞いて判明!②見送りおわらを巡る攻防

福島のおわらといえば、見送りおわらも有名です。こちらはコロナ禍前の動画。

松崎さんによれば、この見送りおわらがJRの方針で行えなくなってしまったとのこと。

しかし、町の若者は諦めず、おわら9月2日〜9月4日の早朝は始発電車に合わせて駅の外の方で踊りを披露しているそうです。

というわけで、今年も朝までおわらを追いかければ、この見送りおわらを見て帰ることができます。

町の人に聞いて判明!③2つの橋の上での踊り

八尾繁栄の歴史は、井田川とともにあり。かつては物流を担っていた井田川には、橋がいくつもかけられています。

そのうち、十三石橋と坂のまち大橋での踊りが福島の見どころの一つとなっています。流れる水の音とともにおわらが味わえる名スポットなのです。

後ほど調べると、十三石橋にはかなりの歴史がありました。1891年に最初の橋がかけられ、交通量が多くその後何度も拡張、また老朽化が激しく架け替え工事を行い、2019年に生まれ変わっています。たくさんの先人がこの道を通って井田川を超えていたんですね。

ちなみに、坂のまち大橋の方はかなり新しく、2007年のおわら前日に開通しています。

十三石橋での踊りはYouTubeショートにだけ動画が上がっていたのでこちらご紹介します。

<下新町〜通り過ぎないで!八幡社の舞台>

勾配のある坂道と、坂の中腹にある八幡社が特徴の下新町。

八幡社は、八尾のもう一つの名物、春季祭礼の曳山祭においても重要な場所で、曳山が奉納されるメイン会場となっています。

おわらの際には、この神社の境内に舞台が設けられ、夜は特にこの舞台での踊りを中心に行われます。

また、朱色を基調とした女性の浴衣が特徴的です。

下新町でお話を伺ったのは、福村さんです。

曳山会館にて取材

八尾坂道別れてくれば 露か時雨か オワラ はらはらと  
小杉放庵「八尾四季」秋

下新町の地方の浴衣袖に染められた歌

町の人に聞いて判明!①特殊な住宅事情で人口減少?

八尾は坂の街と呼ばれますが、下新町は特に急勾配。両脇が崖になっている地域です。

なので、家の半分が崖の上にあるようなところがたくさんあります。

下の方から見るとわかるのですが、家の一階部分がのっぺりと長くなっているのは、崖の下に向かって家をムリやり伸ばしているからです。

今の建築基準法では、こういうところに家を建てるのは困難で、設計や施工に工夫がいるそうです

こんな事情もあって、人口の流出が止めにくいとのことでした。

町の人に聞いて判明!②八幡社に舞台がある理由

下新町は、観光客が降り立つ越中八尾駅と、最も有名なおわらスポットである諏訪町やおたや階段などがある坂の上の方の中間にあります。

下へ上へと向かう人の往来が激しく、道幅も狭いため、おわらの時は町流しが非常にやりにくい。

そんな事情もあり、メインの踊り場は八幡社。境内の石段の上にステージを組み立て演技します。鳥居の前の舞台は、息を呑む美しさです。

また、舞台の高さがかなりあるので八幡社の境内にいれば踊りが見えないことはないのが魅力的です。

<天満町〜見落としたくないコクボおわら>

天満町は、最近まで天満宮のある通りが表通りで、八尾旧町への入り口的な場所でもありました。

これが、2011年3月に主要地方道「富山八尾線」が開通したことで、天満宮前の通行量がいっきに減少しました。

この影響もあり、風の盆当日も天満町のおわらに気づかず坂を上がって行き、他の旧町の踊りを見てそのまま帰られてしまうことが増えたようです。

しかし、今回天満町のレジェンド、御年80歳になる吉川さんに話を伺って、それがいかにもったいないか伝えたい!と思うようになりました。

天満社横の天満町公民館にて

町の人に聞いて判明!①他にはない囃子「コラしょっと」

旧十町の中では最後に町建てされた天満町。東西北を川に囲まれており、かつては川窪新町と呼ばれていました。

他とはちょっと違った歴史を歩んでおり、「天満町おわら」には、「コクボ(川窪)おわら」の名残があります。

「聞名寺おわら」は上句・下句をそれぞれ一息で優美に歌いますが、「天満町おわら」は上句の途中で中断、「こらしょっと」と囃子が入り、音程を下げて力強く歌います。

旧おどりの際には、「こらしょっと」が入るこの独特の節回しで歌われます。

しかし、新おどりはあわせるのが難しいので、普通の節で歌っているようです。

町の人に聞いて判明!②雨の日のおもてなしがすごかった

天満町は天満宮の隣に広い公民館を持っており、ふだんは、ここでおわらの練習が行われます。本番では、天満宮前での踊りが見ものです。

しかし、雨の日は踊れません。おわらは使う楽器が繊細なため、基本雨天中止になります。

そんな時、天満町では、公民館で演舞を行います。天満宮に面する側がすべて窓ガラスなので、観光客の方はそちらから眺めることができます。

ちなみに、過去雨天にて公民館でやった際には、公民館の中、入り口付近の一帯を観光客の方に無料で開放したんだそう。

機転とおもてなしが素敵ですね。
その時の映像がYouTube上に残っています。

町の人に聞いて判明!③歴60年の吉川さんがすごかった

天満町には、80歳を超える三味線奏者の吉川さんがいらっしゃいます。

小さな頃からおわらを踊り、20歳の頃から60年三味線を続けているそうです。彼の三味線の師匠は、おわら資料館でも大きく展示されている松永由太郎さん。おわらの歴史の中の偉人中の偉人です。

そんな吉川さんが若い頃の八尾は、今とはかなり違った雰囲気だったようで、その話も大変興味深いものでした。

半世紀以上前は、観光客も少なく、今多くの方の八尾のイメージとなっている石畳もありません。踊り方も、現在のように町内でまとまって踊るというより、いろんな町内に出向いて、好きに誰かと演奏するものだったそうです。

そのため、吉川さんは町内の違う伯育男さんや桐谷さん、杉崎さんなど、僕もおわらの歴史資料で見たことがあるような方と町流しをしたことがあると言います。

他にも、吉川さんは昭和天皇の御前で踊った経験や、国体、1970年の万博で踊った経験もおありとのことで、まさに生きる伝説。

おわらで80代以上の地方の方を見かけたら、おそらくこのような経験をされた方だと思って良いと思います。

<最後に>

おわらを書き残すプロジェクト、
16本目の記事はいかがだったでしょうか?

最後にお知らせです。
この連載、何せ素人が作っております!

ですので、おわらが好きなあなたと、おわらをこれから知るみなさんと一緒に作りあげたいと思っております。

今回も、皆さんが特に気になった町内を教えていただきたいです!

感想や応援コメントも大歓迎です!

ヘッダー画像:photo by キムラヒロシ


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