石畳と蔵並みの美しい風景を巡る〜おわら楽しむ3つのコース①An English version is also available.
エイサーの国、沖縄からやってきて驚愕。
富山市八尾(やつお)の恒例行事「おわら風の盆」に心をつかまれ、おわら探求をする沖縄民がついに!
現地の11町内それぞれの方にインタビューできました👏
こちらは、おわら愛だけは本物のど素人24歳男子が、おわらを調べ、語り尽くすnoteです。
さて、インタビューの結果、膨大な量の興味深い情報が得られたので、3つのエリアに分け、エリアごとに各町内の魅力をご紹介していきたいと思います。
今回は、「石畳蔵並みコース」と題し、諏訪町・東新町・西新町・上新町の4町内の特色や魅力についてお届けします!
※この連載は、おわらオタクの個人的見解で書いています。
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<諏訪町〜平成に入ってできた景観>
「日本の道100選」に選ばれた町並みが有名な諏訪町。
昨年、僕は越中八尾駅前の案内所でお手伝いをしていたのですが、そこを訪れる方に最も聞かれたことの一つが「諏訪町はどこ?いつ踊るの?」でした。
八尾の写真、そしておわらの写真としても、諏訪町通りのものが有名なようです。見てください。この混雑っぷり。

今回、そんな諏訪町の山田誠さん(66)にお話を伺いました。

町の人に聞いて判明!①町並みができたのは、ごく最近!?

今回取材した山田誠さんによると、諏訪町通りが今の景色になったのは、平成に入ってからのこと。
調べてみると、平成の初期に石畳舗装、木製の街路灯や自然石の足元灯等のストリートファニチャー整備、電柱を裏側に回す無電柱化が一気に行われているのがわかります。
つまり、昔はけっこう違う景色だったんですね。
そのため、昭和おわらの記憶がある方々に取材してみると、諏訪町は特に人気のある町内というわけではなかったことがわかります。
この景観整備によって、八尾の町はおわらの舞台として視覚的にも強く訴えるものになったということでしょう。
ちなみに、山田さんいわく、この景観整備事業は「八尾が富山市に合併される2005年よりも前だったからできたこと」で、この町にとって最大の資産だと言います。
町の人に聞いて判明!②おわらに惚れ込み三味線弾きになった女性
誰に聞いても、「おわらはやりたい人だけでやっている」と言われるにもかかわらず、町の3割を超える人が参加している脅威の行事であるおわら。
魅了され、生き方まで変わっちゃう人の話がたくさんあります。
諏訪町にも、そんな方の話がありました。
おわらに惚れ込み、学生時代から毎年のようにお隣の高岡市から見に来ていた女性。
彼女は、何度目かのおわらで「私もやりたい」と諏訪町の方に伝え、以来練習に加わり、三味線を続けているんだそうです。今年のおわらでも、三味線を弾いているはずです。
<東新町〜ぼんぼりは手書きの唄入り!>
旧町でもっとも高台に位置する東新町。
富山市から電車で行くとなると、越中八尾駅を降り、そこから2.5kmほど歩くことになります。高低差は約70m。徒歩40分てところです。
そんな東新町は、観光パンフレットなどを見ると、この町の女の子だけが着る早乙女衣装、蚕を祀る若宮八幡社での踊りが特色として描かれています。
また、旧町でもっとも人口が少ないそうで、その影響がどれほどのものかは気になるところです。
パンフレットに載っていない、東新町の特色を探るべく、東新町の宮村政男さんにお話を伺いました。

町の人に聞いて判明!①全部手書きのぼんぼり
宮村さんいわく、他のほとんどの町内では、ぼんぼりに協賛企業名が入っており、それが運営資金にもなっているわけですが、東新町のものには企業名が入っていないそうです。
代わりに、おわらの歌詞が入っています。
しかも、歌詞は町内で達筆な方が筆で書いているらしく、ぼんぼりごとに歌詞が違うのだそうです。また、ぼんぼりはそれぞれ5、6年もすれば張り替えるとのこと。
かなり意図や思いを込めて歌を選定し、ぼんぼりに刻んでいるのだと思います。ぜひ、注目してみてください。

町の人に聞いて判明!②わずか16世帯
八尾はどこも町民が減り続けているのですが、東新町はとりわけ人が少なく、町内には16世帯しか家がありません。旧町の中で最少です。
そのため、婦人会も青年団もないのだそうです。
他の町と同じく、町を離れた親族の方や有志の方を巻き込んでおわらを維持していると言います。
町の人に聞いて判明!③鳴くなコオロギ
おわらにはたくさんの唄があり、関わる人は皆、自分の好きな一句がある。
「あぁ、これは亡くなったあの人が好きな歌だったな」と思いながらおわらを眺めることもあるんだそうです。なんとも文化水準の高い町です。
また、宮村さん曰く、「各町内がこの歌は自分の町のためにあるような歌詞だ」と思うものがあるのだという。
東新町は、他町より山に近く、一際静かなため、宮村さんにとっては次の唄がそれにあたるそう。
鳴くなこおろぎ 淋しゅうてならぬ お前一人の オワラ 秋じゃなし
この唄の時は心なしか三味線の所作も少し変わるのだそうです。注意深く観察すれば、違いを感じられるかも?
<西新町〜レジェンド達が生まれた町>
東新町のお隣、同じく高台に位置するのが西新町。
男踊りは勇壮、女踊りは艶やかなことで有名です。


ガイドマップの地図では少しわかりにくいですが、かなり広いエリアを占めています。
上新町の坂を登り切ったところから、西新町の通りが始まります。約100mのなだらかで、道幅が広い通りそのものが大きな舞台のような街並みです。
その通りの真ん中に公民館が位置し、その前での輪踊りで行事が締め括られます。生声・生演奏、ちょうど良い距離で輪踊りを堪能できます。
そんな西新町の羽間さんにお話を伺ってきました。

町の人に聞いて判明!①おわら偉人の生まれた町
おわらについて調べていると、たびたび名前が登場するレジェンドたちの存在に気付かされます。
羽間さんによれば、そのうち、小谷契月、長谷川剣星、伯育男は西新町の出身だと言います。
小谷契月(1902~71年)は、情感あふれる越中おわら節の歌詞を数多く残した旧八尾町の民謡詩人です。明治末期に呉服商の長男として生まれ、幼いころより画才と文才に秀でていました。おわらにとどまらず、俳句、民謡詩の他に、戯曲なども手がけ、文人として多彩な顔を持っていました。

長谷川剣星(1907~1987)は、おわらを今の形にした若き経営者集団、甚六会の一員で『八尾のかたりべ』という書籍を残しています。おわら保存会のホームページを見ていると、歴史的記述はけっこうこの本から引いています。

伯育男(1930~2009)は、今回取材した羽間さんと同じく、西新町の大工一家の生まれです。唄と胡弓の名手で、後進の指導にあたり、多くの後継者の育成に貢献しました。
彼らを知らないと言う方は、ぜひおわら資料館に足を運んでみてください。
町の人に聞いて判明!② 30年以上神戸から通う観客がいる
西新町のおわらを見るため、30年以上、毎年神戸から来られる方がいるんだそうです。
お話を伺った羽間さんによると、こういうことです。
阪神淡路大震災の前に西新町のおわらに来ていた方と知り合い、震災の時には米を送るなどして助け合うこともあり、以来ずっと付き合いが続いているんだとか。
おわらで出会い、おわらで結ばれ続ける遠方の知人、素敵な話ですね。
町の人に聞いて判明!③西新町のイメージ合った唄とは?
先ほど、東新町の紹介でもお伝えしたとおり、おわらにはたくさんの唄があり、関わる人は皆、自分の好きな一句があります。
また、町民の方はそれぞれ、自分の町の雰囲気を表していると感じられる唄を答えられるようです。
西新町の羽間さんに、「西新町のイメージに合う唄はなんでしょう?」と質問したところ、次の唄を教えてくださいました。
雁がねの 翼欲いや 海山越えて
妾(わたしゃ)ゃ逢いたい オワラ 人がある
この唄は、先ほど紹介した小谷契月の作品です。
最も山に近く、時に熊が出ることもあるという西新町でこその自然を色濃く感じる唄ですね。また、男女混合の踊りが情熱的なのも、「妾(わたしゃ)ゃ逢いたい」にキュッと詰まっている感じがします。
ちなみに、この唄を刻んだ歌碑が、最近西新町に設置されたそうです。西新町を訪れる際には、ぜひ探してみてください。

<上新町〜全長200mの大輪踊りに参加できる>
広い道幅を利用した大輪踊りが有名、というのは事前に調べていた上新町。
どんな特色があるのかお話を聞こうと伺ったのですが、最初に一つたしなめられました。
お話を聞かせていただいた上新町の城岸さんには、「それぞれの町のおわらというより、八尾全体として大事に守ってきたおわらを見てほしい」と告げられたのです。八尾という町全体としての誇りを感じる一言でした。

また、「シンプルなものほど誤魔化しが効かず、美しく見せるのが難しい。基本練習を繰り返し、洗練された八尾のおわらを見てほしい」とも述べておられ、一見素朴な踊りの美しさへの気づきも促されました。
とはいえ、上新町の特色はしっかり教えていただいのでご紹介します!
町の人に聞いて判明!①毎月「風の市」が大盛況!
ちょうど八尾にインタビューに伺った日の午前中、上新町のあたりが賑やかで、何かと思って町内の方に聞いてみました。
上新町は、現在、八尾最大の商店街で、広い道幅を利用して毎月「風の市」を開催しているそうです。これまでに、なんと176回開催。
子どもたちが楽しめるお店や装置が多様で、この日ばかりは八尾に子どもたちの楽しげな声があふれます。
僕は、130円の飛騨牛コロッケをキッチンカーで買って頬張りました。

町の人に聞いて判明!②有線を利用した大輪踊り
城岸さんによると、八尾最大の商店街がある上新町は、町内で有線放送ができる環境と広い道幅が特色の一つとのこと。
これらを最大限利用した「大輪踊り」が名物なのです。
観光客も参加できるこの輪踊り、おわらの期間中は毎日22:00~23:30に行われます。なんと、全長で200メートルにもなることもあるんだそうです。
もちろん、おわら初心者の方も参加できるので、ぜひ今年のおわらで参加してみてはいかがでしょうか?
町の人に聞いて判明!③林秋路
今回のインタビューで初知りだったのですが、上新町の男子の法被は、この町出身の芸術家、林秋路(1903~1974)によって描かれたものだと言います。
あとで資料を集め調べてみると、これが非常に面白い。
まず、林秋路という人物ですが、彼の生きた時代は日本が何度も戦争に巻き込まれていた頃です。
彼の人生も戦争とは無縁ではなく、幼い頃に日露戦争で父を亡くしています。しかし、若い頃から、第二次大戦を経た中年期以降も、ずっと一途におわらを題材に作品を作り続けました。
絵葉書やポスター、踊り方の図解などを描いて「おわら風の盆」の宣伝や普及に貢献したほか、おわら節の歌詞の制作も行うなど、生涯を通じておわらと深い関わりを持ちました。
そんな彼が描いた上新町の男子の衣装は、横山大観の「夜桜」を模写してデザインしたものだと言います。では、この「夜桜」はどんな意味合いのある作品なのか。
「夜桜」は、横山大観が円熟期に描いた六曲一双の屏風形式の大作です。1930年、大倉財閥の二代目総帥・大倉喜七郎の「日本美術を世界へ発信したい」という信念から実現したローマ日本美術展への出品作
おわらの衣装にこの絵を採用した意図は一体なんだったのか。想像が膨らみます。
<各町内の衣装をもっと詳しく知る>
おわらといえば、各町内で衣装が違うのも魅力の一つです。
各町内の衣装のデザインには、それぞれ意味が込められており、それを知るのも楽しいものです。
僕があれこれ見た感じだと、入り口に川崎順二像が立つ、「越中八尾観光会館(曳山展示館)」で売られている平成27年「おわら風の盆行事運営委員会」発行の『公式ガイドブック』を見るのがおすすめです。

各町内の男性・女性の踊り子、それから地方の人の衣装のデザイン、衣装に刻まれる歌まで載っています。
参考までに、今回紹介した上新町のページだけチラ見せ。
<最後に>
おわらを書き残すプロジェクト、
14本目の記事はいかがだったでしょうか?
最後にお知らせです。
この連載、何せ素人が作っております!
ですので、おわらが好きなあなたと、おわらをこれから知るみなさんと一緒に作りあげたいと思っております。
今回は、みなさんが特に気になった町内を教えていただきたいです!
感想や応援コメントも大歓迎です!
ヘッダー画像:photo by キムラヒロシ
