「楠」終章
楠
判決からほぼ二年後、二歳児放置餓死事件の被告人、夏川梨沙の姿は、横浜市郊外のとある霊園の中にあった。
控訴をせず、懲役四年の刑が確定した夏川梨沙は、その後栃木県にある女子刑務所に送られ、服役すること二年足らず、四年のうちの公判前勾留期間、及び刑の約三分の一の仮釈放期間を差し引いた年月を、刑務所の中で模範囚として過ごし、出所した。
本堂を出て、プレート墓が碁盤の目のように縦横に配置された、広大な墓地の敷地に足を踏み入れた夏川梨沙は、先月出所と同時にそこの霊園に求めた、死なせてしまった娘の真奈の墓の方へと、歩を進めた。服役中に得た作業報奨金ではもちろん足りず、保護観察官に事情を説明し、前借りして用立てて墓を建てていた。
真奈の墓に着くと、夏川梨沙は携行した花をプレート墓の横の芝生の上に延べ、魔法瓶の水を墓一面に掛けた。
腰を屈め、合掌して祈った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
提げて来ていたトートバッグに魔法瓶を戻し、立ち上がった。
その時ふと、夏川梨沙の目に、向いの通りと墓地の敷地を限る、木立の垣のほぼ中央に、一段と高く立つ樹木の姿が視界に入った。
夏川梨沙は誘われるように、その樹の方へと、歩いて行った。
目の前で見ると、大木だった。
一メートルぐらいの高さのところでも、幹の太さは夏川梨沙の両手二抱えでは収まり切れないぐらいあった。
ほぼ根本から幹は二股に分かれていて、見上げると上の方でも、幾箇所か二股に分かれる枝振りが目立った。
灰褐色の木肌で、鱗状に縦に裂け目が続く樹皮を被っていた。
緑色をした葉々を手に載せて見ると、幹に比べ小振りで、それぞれが根元からしっかりと三方向に分かれる葉脈を付けていた。
木の名前を示す小さな名札プレートが、樹肌に張り付いていた。
「楠」とあった。
夏川梨沙は、しばらくその樹を見上げていた。
〈樹齢は何年ぐらいなのだろう。五十年、百年・・・?〉
夏川梨沙は踵を返した。
〈自分もおそらくあの楠のように生きて行くのだろう)
広い墓地の中を、夏川梨沙は、たった独りで、歩いて行った。
(了)
(「楠」第一章)https://note.com/oyoyo_note9096/n/nb3a7b1712ea9
