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「楠」第一章

(あらすじ:令和元年七月に横浜で起きた二歳女児放置餓死事件の裁判員裁判が横浜地裁で開かれた。被告人である女児の母夏川梨沙は、殺人の罪で起訴されるが、弁護側は殺人の容疑はあり得ないと主張。センセーショナルな事件なだけにテレビ局も特集を組む。視聴する高齢者夫婦の事件及びワイドショーのコメンテータに対する感想も織り込んで物語は展開するが、殺人罪適用に関して、出廷した検察側及び弁護側双方の医師の被告人に対する精神鑑定結果の証言は真っ向から対立する。果たして夏川梨沙の殺人罪適用は? 裁判の行方に対する興味が高まる中、夏川梨沙は思い掛けない行動に出る)

   裁判(第一回公判)

裁判長「開廷します―――。
では当該被告事件の審理を始めます。被告人は前に出て、証言席に着席を」
被告人「・・・」
裁判長「名前は?」
被告人「夏川梨沙」
裁判長「生年月日は?」
被告人「平成十一年四月二十日」
裁判長「本籍地は?」
被告人「神奈川県相模原市南区中里一―三―十二」
裁判長「現住所は?」
被告人「神奈川横浜市神奈川区北白楽三―十一―五 メゾンド北白楽二〇二」
裁判長「職業は?」
被告人「無職です」
裁判長「それでは検察官、起訴上の朗読を。被告人はそのままでよろしい」
検察官「起訴状を朗読します――。
『被告人、夏川梨沙・・・・・・・・・』
『公訴事実 被告人は平成二十八年七月頃から、相模原市内の県立高校に通うあいだに、アルバイト先で知り合った同市在住の大学生と恋仲になり、翌年、大学生の住むアパートで同棲生活を始める。数ヶ月程して妊娠が発覚し、高校中退を余儀なくされる。平成三十年六月三十日、長女真奈を出産し、入籍するも、翌年三月、学生から見放され離婚。已む無く上記現住所の横浜市内にアパートを借り、ファミリーレストランに勤めながらシングルマザーとしての生活を始めるも、生活苦からやがて市内繁華街のキャバクラに勤め先を変え、始めは子どもを託児所に預けつつ、夜の仕事に従事するうち、客との付き合いのため子どもを家に置き、アフター後の客との外泊を重ねるに至り、次第に子どもの養育を疎かにし、食事も一日置きから二、三日置きしか与えない育児放棄といった行いに走るようになる。令和元年六月、長女が二歳を迎える前後からは、客との旅行で数日間家を空けることも敢えてし、同年七月、鹿児島への十日間の旅行中、遂に子どもを飢餓と脱水症による死に追いやったものである。
  罪名罪状 保護責任者遺棄  刑法二百十八条 及び
       殺人       刑法百九十九条』
以上に付き審理をお願いします」
裁判長「ここで被告人に言うことがあります。これから被告人は裁判で質問を受けることがありますが、自分に都合の悪い内容については、発言を拒むことができます。これを黙秘権と言いますが、それは法律で守られています。その代わり被告人が本法定で発言した内容は証拠として扱われますから、被告人は自分の発言には十分留意をするように。
では被告人、今検察官が読み上げた起訴状の内容について、事実として間違ったことや、何か言いたいことはありますか」
被告人「・・・真奈を死なせてしまったことは申し訳なく思っていますが、殺すつもりでそうしたのではありません」
裁判長「弁護人の意見は?」
弁護人「同じく被告人の保護責任者遺棄については主張しませんが、殺人については明確に否認します。この点について、弁護側は争うつもりです」
裁判長「ではこれから証拠調べに移ります。被告人は被告席に戻ってよろしい。検察官、冒頭陳述を」
検察官「―――被告人夏川梨沙は、平成十一年四月二十日に、母親田上道子の長女として生まれるが(父親不詳)、当時高校生だった道子に養育は不可能で、相模原市の乳児院、及び児童養護施設に預けられ、育てられる。六歳の時、当時母親は結婚し、夫夏川浩介と相模原市内のアパートに居住していたが、その両親の許に施設から引き取られる。その後道子に新たに次女が生まれていたのが影響してか、次第に両親からの虐待を被ることが繁くなり、平成十八年八月、相模原市の養護施設「愛和子どもの家」に、虐待回避のため入所し、以降施設にて生活を続ける。なおこの時父夏川浩介及び母道子は、虐待による傷害罪でそれぞれ懲役五年の実刑判決を受け、服役した。平成二十七年、被告は相模原市内の県立上沼高校に入学し、翌年第二学年に進級と同時に、市内のコンビニエンスストアにアルバイトに就き、施設費用の自弁に努めるあいだ、同年七月月頃から、同じコンビニエンスストアにアルバイトに通っていた、同市内にある啓林大学一年在籍の大学生と恋仲になり、翌平成二十九年三月末、被告人が施設を出て、学生のアパートに引っ越す形で、同棲生活を始める。さらに同年秋、被告人は自身の妊娠を知ると、通学上の困難から卒業を待たずに高校中退を余儀なくされ、退学届けを学校に提出する。翌平成三十年六月、被告人は長女真奈を出産し、出生を市役所に届け出、受理されるが、同時に大学生との婚姻届けも提出し、入籍する。二人は新たに引っ越した相模原市内の別のアパートで当初は子どもの育児に努めるが、やがて学業の継続に支障を来たした学生の意思により、翌年三月被告は離婚を余儀なくされる。離婚と同時に、被告は横浜市内の現住所に引っ越し、同市内のファミリーレストラン「デイリー」に就職し、昼間は子どもを託児所に預け、シングルマザーとして働く生活を始める。しかし一定額の収入の中、住居費や光熱費及び託児所預け料を含めた諸生活費の支払いで生活は苦しく、被告は平成三十一年末、ファミリーレストランを退職し、新たにキャバクラ嬢に転職する(横浜市桜木町のキャバクラ「ミューズルーム」)。子どもは夜間、店に付随する託児所に預けるが、劣悪な環境に失望し、数日で契約を解消し、以後は子どもを一人家に残して出勤するようになる。やがて被告は付いた客に誘われるままに、アフター後に共に夜を過ごすようになり、夜明けとともに帰宅する生活が始まると、家に残した子どもにはコンビニの菓子パンやお握り、水等だけを与え、オムツも一日中付けたまま放置するといった、育児放棄に当たる行いに堕すようになる。やがて夜だけでなく、休日に昼も客と過ごすことも出て来て、子どもに与える食事は一日に一度、もしくは二、三日に一度と、幼児の生育に危険な程度を示すようになる。令和元年六月頃からは、客の男性の一人と旅行に出掛ける機会も持つようになり、ますます育児放棄が顕著になる。子どもを一人置いて家を空ける時は、被告は子どもを寝室に閉じ込め、ドアの外から粘着テープを貼って勝手に出られないようにした。また冷蔵庫に物は一切置かれず、幼児が口にできるものは、被告が家に戻った時与える僅かな菓子パンやお握り、水、ジュース類の他これなく、この頃子どもの飢餓状態は計り知れないものになっていたと推測される。令和元年七月十四日から、被告は客と鹿児島県に旅行に出掛け、十日間自宅を留守にした。この間子どもは出発前被告が置いて行った、数個の菓子パンとお握り、それに水、ジュースのみで過ごすことを余儀なくされ、すでにかなりの飢餓状態を示していた身体には持ち堪えられる筈もなく、検死結果によれば、七月二十日頃、飢餓と脱水症により、幼児は息絶えたと推定される。被告には出発前、子どもの状態が危機的状況にあり、そのまま放置すれば死に至ることは十分に予測できたと思われるにも拘わらず、僅かな食料を置いて出て行ったことには、未必の故意としての殺意があったことは必至と思われ、保護責任者遺棄のみならず、殺人の罪状を適用することを本件では妥当とし、以下証拠を持って立証するものである―――。
ではすでにお手元に届けてあります、証拠等関係カード記載の、甲第一号証から二十号証までを、証拠として提出します」                                              
裁判長「・・・・・・・・・・・・」
弁護人「・・・・・・・・・・・・」
裁判長「弁護人、意見は?」
弁護人「甲第一号証から五号証まで、並びに七、九、十一及び十五の各号については同意します。その他の証書は不同意です。甲第十六号証から二十号証までの証拠物については、すべて同意します」
裁判長「・・・・・・。それでは弁護人が同意をした、甲第一号証から五号証まで、及び七、九、十一及び十五の各号の証書、及び甲第十六号証から二十号証までの証拠物を、本法廷では証拠として採用します。
その他の、弁護人が不同意とした、甲第六、八、十及び第十二から十四号までの証書については、検察官、いかが計らいますか?」
弁護人「すべて供述調書であり、供述者を証人として申請します」
裁判長「弁護人、意見は?」
弁護人「異議ありません。弁護人からもすべて反対尋問を行いたく、時間の確保をお願いします」
裁判長「ではこれから検察官請求証拠の取り調べを行います。
まず書証について、弁護人が同意を示した、各号の書証を、検察官、順に要旨を朗読して下さい」
検察官「――朗読します。
甲第一号証、供述調書、供述日・令和元年八月十日、供述者・相模原市児童養護施設職員、・・・・・・・。
甲第二号証、判決書、平成十八年十一月二十五日、被告人の父夏川浩介及び母道子の裁判判決記録、・・・・・・。
―――――。―――――。――――――。――――――。―――――。―――――。―――――。」
裁判官「続いて検察官、甲第十六号証から二十号証までの証拠物を、展示して下さい。幼児が着ていた衣類、置かれていた布団等部屋の残留物の他は、すべて写真と映像ですね。被告人は証拠物がよく見えるところまで出向いて、確認するよう」
被告人「・・・・・・・・・・・・」
検察官「―――これらが部屋で撮った長女真奈さんの写真、こちらが遺体が置かれていた部屋の内、外の写真。こちらはその映像――」
被告人「・・・うっ、・・・・・・・・・・・・・・・」
裁判長「もういいでしょう、被告人は席に戻って」
被告人「・・・・・・・・・」
裁判長「ではこれらの衣類、布団等の部屋の残留物の他、写真と映像は、すべて本審理においては証拠として採用します。――続いて弁護人、証拠調べ請求をして下さい」
弁護人「弁護人からの証拠請求は以下の通りです。
一、被告人の精神鑑定書、
二、情状証人として、被告人が二度目に引き取られた、相模原の児童養護施設の職員、
三、同じく情状証人として、被告の相模原市立中学校在籍時代の元同級生、
四、同じく情状証人として、被告人が横浜に移り、最初に就職したファミリーレストラン「デイリー」の元同僚の一人、以上です」
裁判長「検察官、意見は?」
検察官「・・・一の精神鑑定書については、鑑定者の証人尋問を行いたく、申請します。
二から四については、すべて反対尋問の時間を頂戴したく。但しさほどの時間は必要としません」
裁判長「わかりました。では弁護人の証拠請求による証拠調べは、すべて弁護側要請の証人の尋問によることになります。
証人尋問はすべて次回公判でまとめて行うことでよいですか、検察官、意見は?」
検察官「結構です」
裁判長「弁護人は?」
弁護人「しかるべく」
裁判長「では次回公判における証人尋問についてまとめます。順番もこの順で実施したく。
一.検察官請求証拠甲第六号、横浜市中央児童相談所職員の供述に関する尋問、
二.同甲第八号、遺体を検案した、横浜市立総合病院の医師の供述に関する尋問、
三.同甲第十号、被告人の鑑定留置による精神鑑定を行った、医師に対する尋問、 
四.弁護人申請の、弁護人の依頼により精神鑑定を行った、医師に対する尋問、
五.検察官請求証拠甲第十二号、被告人の元夫である、当時啓林大学に在籍していた学生の供述に関する尋問、
六.弁護人申請の情状証人、元被告人が在籍し生活していた、相模原市の児童養護施設、「愛和子どもの家」の職員の一人に対する尋問、
七.同じく被告人が在籍していた、相模原市立中学校の、被告人の元同級生の一人に対する尋問、
八.同じく横浜市内のファミリーレストラン、「デイリー」の元同僚の一人に対する尋問、
以上ですので、検察官、弁護人双方とも各証人の招致を怠りなきよう。
次回公判は明後日の二月八日に行いますので、被告人は必ず出廷するよう。
では本日の審理はこれにて終了とします」
 

 (第二章に続く) https://note.com/oyoyo_note9096/n/n79d3125a0bfe

  (全体構成)
 「楠」第一章 https://note.com/oyoyo_note9096/n/nb3a7b1712ea9
 「楠」第二章 https://note.com/oyoyo_note9096/n/n79d3125a0bfe
 「楠」第三章 https://note.com/oyoyo_note9096/n/neb21d9b53bd3   
 「楠」第四章 https://note.com/oyoyo_note9096/n/ne73e0c58bf70
 「楠」第五章 https://note.com/oyoyo_note9096/n/nb8551009fee8
 「楠」第六章 https://note.com/oyoyo_note9096/n/n13944b04313c
 「楠」第七章 https://note.com/oyoyo_note9096/n/nd6752dcc2173
 「楠」第八章 https://note.com/oyoyo_note9096/n/nb9a042f45f37
 「楠」終章 https://note.com/oyoyo_note9096/n/n6eb261380152
 

 
 
 
 
 

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