「楠」第四章
裁判(第二回公判)
裁判長「開廷します―――。
本日は前回予告の通り、八名の証人尋問を順に行います。最後に被告人質問がありますので、尋問は午前五名、午後三名で進めたく、検察官、弁護人、よろしいですか」
検察官「結構です」
弁護人「しかるべく」
裁判長「それでは最初の尋問者を――。
横浜市中央児童相談所の職員の方ですね。名前は何と言いますか?」
証人①「小平文彦と言います」
裁判長「それではまず、お渡ししてある紙に沿って、宣誓をしてください。立ったままでお願いします」
証人①「・・・宣誓、良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」
裁判長「座ってください。
今誓わられたように、真実を語ることを肝に命じて発言するようにお願いします。もし法廷で嘘偽りを述べると、偽証罪に問われることがあります。また、もし証言により証人自身や、証人の家族が罪に問われるような事柄に関しては、その理由を挙げて、証言を拒むことができますので、申し出てください。よろしいですね」
証人①「わかりました」
裁判長「では検察官の方から主尋問を」
検察官「はい――。
証人は被害者である二歳幼児の死亡を確認した、第一発見者ということになっています。令和元年七月二十二日のことですが、その時の模様を詳しく教えてください」
証人①「はい。その日午前中に同じアパートに住む別の一階の住人から、『それまでよく耳に入していた赤ん坊の泣き声が最近聞こえなくなった。変な腐ったような臭いもする』と児相に通報がありました。その住人は以前にも一度、『赤ん坊が激しく泣いている」と市の子ども家庭局に通報を寄せられた方で、その時は市の担当者と市から連絡を受けた児相の小職が駆け付けていたのですが、泣き声は止んでいて、結局二人はそのまま帰るしかなかったのですが、同じ場所だったので、今回は警察に連絡し、警察官と三人で部屋に向かいました。アパートの大家の居所を探し出し、マスターキーを使って、中に入りました」
検察官「普通に鍵を使って中に入った、ということですね。続けてください」
証人①「入るとむっとするような臭いが鼻を襲って来て、中の様子はちょっと信じられないぐらいのゴミの山でした。ティッシュペーパーや破れ紙などの紙類、空のプラスティックの弁当やカップ麺の容器、パンやスナック菓子の包装紙、汚いままのオムツなどが散乱し、足の踏み場もありませんでした。部屋に確かに何かが腐ったような臭いも混じっていました」
検察官「そこは寝室ではありませんね」
証人①「ええ、玄関から上がった先の、リビング兼キッチンの部屋で、奥にもう一部屋ありました」
検察官「そこが寝室ですね。入るための扉に粘着テープは貼られていましたか」
証人①「ええ、上下と中ほどの三ヶ所にきっちりと貼られていました。それを剥がして入ると、四畳半ほどの部屋でしたが、そちらにもゴミが散乱していましたが、布団が敷かれたままで、そこに幼児が俯せになっていました」
検察官「部屋にエアコンは付いていましたか」
証人①「付いていましたが止まっていました」
検察官「その時の幼児の様子を詳しく教えていただけますか」
弁護人「裁判長!」
裁判長「弁護人どうぞ」
弁護人「死亡時の幼児の様子は、検死結果報告書にも明らかですし、証拠となった写真でも明白ですので、これ以上証人の口を煩わせる必要はないかと思います」
裁判長「検察官の意見は?」
検察官「検死係でも医師でもない第三者からの見方は、重要かと思われます」
裁判長「弁護人の異議は却下します。証人は続けてください」
証人①「はい・・・。ガリガリに痩せていました。骨と皮ばかりと言ってもいいくらいに、肋骨が浮き出ていました。皮膚も赤茶けていて、飢餓が相当に進んでいる印象でした。後で死因に脱水症もあったということを知りましたが、餓死だけでも十分成り立つのでは、と思われるぐらいの、痩せようでした」
検察官「終わります」
裁判長「弁護人、反対尋問を」
弁護人「・・・証人は先ほどその部屋を訪れたのは二度目だとおっしゃいましたね。一度目はいつだったのですか」
証人①「五月の中頃だったと思います」
弁護人「その時なぜもっと立ち入った対応をされなかったのですか」
証人①「・・・それはその時は初めての事案でしたし、他にも案件を抱えていたので、それ以上の時間を掛けられなかったということです」
弁護人「まさか唯だやって来て帰ったわけではありませよね。周囲に聞き込みはされなかったのですか。通報者には会いましたか」
証人①「通報を寄せた当の一階の住人も含め、アパートの他の住人はその時すべて留守でした。通報者はその朝出勤前に連絡をくれたようでした」
弁護人「アパート以外の住人には?」
証人①「アパートは公園のそばで、周囲の民家からは少し離れていたので、一番近い一軒の民家しか訪ねませんでした。そこの奥さんは特に泣き声は聞いていない、ということでした」
弁護人「それは、こういう場合の行政の対応としては、少しおざなりなのではありませんか」
証人①「一応児相の電話番号を書いた紙を郵便受けには入れて帰りました。相談事があればいつでも連絡するようにとも、書いておきました」
弁護人「その時もう少し深く対応していれば、今回の事件は防げたかも知れないんですよね」
検察官「異議あり!」
裁判長「検察官どうぞ」
検察官「弁護人は仮定の事態を想定して証人を追い込もうとしています」
裁判長「異議を認めます。弁護人は事実に沿った質問に切り替えてください」
弁護人「証人はその時他の案件も抱えていたと述べられましたが、それはどういうものでしたか」
証人①「前日に学校から連絡のあった、生徒の家出です。それと、別の学校ですが、不登校の生徒一人の対応も受け持っていました」
弁護人「終わります」
―――・―――・―――
裁判長「続いて次の証人に移ります――。〈宣誓問答〉
では検察官から尋問をどうぞ」
検察官「横浜市立総合病院にお勤めですね。今回の幼児の死因についてお聞かせください」
証人②「はい。飢餓と脱水症による死亡と考えられます」
検察官「先ほどの、死亡した幼児の第一発見者である、横浜市の児童相談所の職員からは、飢餓が相当に進んでいたように見えたとの証言がありました。飢餓のみが死因ということにはならないのですね」
証人②「はい、『羸痩(るいそう)』は相当に進んでいましたが、それが死因に繋がったとまでは言えないのでは、と考えます。ましてや『拘縮(こうしゅく)』などの筋骨の異常の症状は一切見られませんでしたので、これは通常の生命維持機能の停止、血液中の酸素濃度や、水分の枯渇が死に繋がったと考えるのが適当かと思います」
検察官「今回の場合は水分の枯渇ということですね」
証人②「はい。酸素濃度に関しては肺炎等の痕も見られませんでしたし、正常だったかと思われます。幼児の場合、体重の70から75パーセントが水分から成っていて、5パーセント程度の水分の喪失でも死に至る場合があることが、報告されています」
検察官「当日の気温は30度を優に越えていましたね」
証人②「はい。暑かったことが、体内の水分の喪失に繋がったと考えられます」
検察官「終わります」
裁判長「弁護人、反対尋問をどうぞ」
弁護人「一点だけお聞きします。今回の死因には脱水症が欠かせない、というお話ですが、もし季節が夏でなく、気温の低い冬の季節だったとしたら、幼児はあとどの程度の日数で死に至ったとお考えですか。数日ですか、一週間程度ですか」
証人②「そうですねえ・・・。冬でも脱水症は起こり得ますから、死因がやはりそうなる可能性はありますが、気温が低い場合には、飢餓、すなわち栄養の不足による生命維持機能の停止の方が致命的になる可能性は高いような気がします。私見ですが、今回の幼児の場合、あと十日から二十日程度で、生命を異持出来なくなっていたのではないでしょうか」
弁護人「終わります」
―――・―――・―――
裁判長「・・・・・・では、三人目の証人尋問に移りますが、只今廷吏からの報告で、本日三人目に予定していた証人である、神奈川県立精神医療センターの中山教授の到着が遅れているようですから、順番を入れ替え、次の、弁護側請求の医師の証人の尋問を先に行いたいと思います。検察官、弁護人、いかがですか」
検察官「結構です」
弁護人「お受けします」
裁判長「では次の証人を―――。〈宣誓問答〉
今回は弁護人からの請求証人ですので、主尋問は弁護人からどうぞ」
弁護人「神奈川県立総合大学の精神科の大澤教授ですね。ご専門からお聞きします」
証人③「臨床心理学です」
弁護人「大澤教授には弁護人の方からの依頼で被告人の心理鑑定を行っていただきました。その鑑定結果をお願いします。被告人は犯行当時、正常な精神の状態だったと考えられるのでしょうか」
証人③「被告人を鑑定したのは事件後二ヶ月程経った頃ですから、犯行時そのものとは言えませんが、被告人の精神傾向はその程度の時間経過では変わらないと思いますので、それに沿って述べさせてもらいます。被告人には『解離性障害』の疑いが濃厚にあったと、言わざるを得ないかと思います」
弁護人「どういった病気のことでしょうか。詳しくお聞かせください」
証人③「厚生省のホームページにも詳しく載っていますが、解離性障害とは、過去のトラウマやストレスなどの精神的な圧迫によって、自分が自分であるという感覚が失われている状態を指します。自己の身体や感情、記憶、意識などの諸要素を正常に調整できなくなり、解離(分離)してしまう状態のことを指します。この解離状態になると、自己の身体や意識が現実感を失い、自分自身や、周囲の環境が夢のように感じられる状態になりますが、それは過去のトラウマ体験によって知覚した、恐怖や痛みから逃れる、一種の自己防衛策としての役割を果たすことになります。解離性障害の中には、解離性同一性障害と言って、これは以前は多重人格障害と呼ばれていたものですが、その時々で、別々の人格に自己を支配させ、その場に対処してしまう病のことですが、これも、過去の何らかのトラウマ状態を回避するための、一種の精神上の逃げ道と考えられます」
弁護人「よく分かりました。今回の被告人の例に当て嵌めますと、どういったことが考えられるでしょうか」
証人③「はい。被告人は幼い時、母親や父親から激しい虐待を受けています。大人になって自らの子どもを持ち、その養育の困難さにぶつかった場合、フラッシュバックし、目の前の幼児があたかも過去の自分自身のように見えてしまった、というふうに、解釈できるのかと思われます。過去の自分に対する虐待から逃れるようにして、目の前の幼児の育児から逃れ、安易な方向へと、自分を導いてしまったと、考えられます」
弁護人「よく分かりました。犯行時、被告は刑事責任を問われる精神状態にはなかったと言って、差し支えないわけですね」
証人③「はい。そう考えられます」
弁護人「ありがとうございました。尋問を終わります」
裁判長「検察官、反対尋問を」
検察官「――大澤氏の解釈は、なるほど被告人に『解離性障害』という病名を与えた場合、犯行時の行為はすんなりと説明できるかと思いますが、しかしながら、自らが幼い時虐待を受けたからと言って、全ての人間が『解離性障害』に陥るかと言えば、それはやはり一般的に否と判断するしかないのかと思われます。この点、証人はいかがお考えでしょうか」
証人③「もちろん幼い時虐待を受けた人間が、すべて『解離性障害』を発症するかと言えば、それはノーです。その後の当人の生育環境に応じて、正常な精神的成長を遂げることはあり、というか、そうした人間の方が圧倒的に多数とは思われますが、まれに、謂わば過去の虐待を引きずる形で、そうした精神的障害を発症する人間が皆無だとは、決して言えないのではないかと、私自身は考えます」
検察官「堂々巡りになってしまいますので、検察官からの尋問はこれで終わりますが、この後の検察側請求の医師の証人の尋問において、被告の犯行当時の精神状態についての、検察側の主張を明らかにしたいと考えます。終わります」
―――・―――・―――
裁判長「・・・・・・・・・。
予定の証人である、神奈川県立精神医療センターの中山教授が到着したようですから、では次の証人の尋問に移ります――。〈宣誓問答〉
検察側からどうぞ」
検察官「先ほど弁護側請求の、臨床心理学がご専門の医師の証人から、被告人は犯行時通常の精神状態にはなかった、との証言がありました。しかし被告人の留置鑑定を担当された、中山教授の鑑定結果では、被告人は犯行当時、精神障害の状態にはなかった、との結論でした。改めて鑑定の内容について、お聞かせください」
証人④「はい。二ヶ月ほど、鑑定留置による被告人の精神鑑定を行いましたが、多少の精神耗弱は見られたものの、日常生活で一定の判断を下すだけの精神状態は維持されていました。解離性健忘や、解離性障害といった精神疾患は、私の検知からは、認められませんでした」
検察官「では被告人は犯行当時、責任能力はあったと言って、差し支えないわけですね。もっともその鑑定に基づいて、我々は被告人を起訴したわけですけれども」
証人④「はい。責任能力はあったと、断定できるかと思います」
検察官「終わります」
裁判長「弁護人、反対尋問を」
弁護人「――先ほど弁護側請求の証人の大澤教授は、被告人は過去に著しい虐待を受けて来た結果、解離性障害へと精神的変調を来たすことになった、と述べられました。この点中山教授はどうお考えですか」
証人④「確かに、幼児期虐待を受けた人間が、その後異常な精神傾向に陥りやすい、ということは一般的に言えるかと思いますが、しかし、虐待を受けた人間がすべて、精神耗弱を起こし、精神障害を発症するかと言うと、そうではありません。日本の虐待を行ったことのある当事者に対する幾つかのアンケート調査では、過去に日常的に虐待を受けていたことがある、と答えた当事者は、四割程度といった例もあれば、六十パーセント近くといった例もあり、一定していませんが、アメリカなど諸外国の調査、研究も含めると、虐待の連鎖は三十パーセント程度、というのが今では定説になっているかと思います。被虐待イコール精神疾患、という図式が成り立たないことも明らかですから、幼児期虐待を受けた人間が、必ず精神上の疾患を起こすという帰結に至らないことは、明白と考えます」
弁護人「分かりました。先ほど検察官が大澤教授に対する尋問の際に述べた、堂々巡りという感想を、弁護側としても持たざるを得ませんが、これは人間の精神上の事象に関しては未だ学問上明確に数値化され、科学的に解明されていないわけで、致し方ないところかと思われます。結局被告人の犯行当時の精神状態に関しては、これは法廷に委ねられるしかないと、考えます。終わります」
―――・―――・―――
裁判長「では五人目の証人尋問に移ります。午前中はこれが最後になります――。〈宣誓問答〉
検察側請求証人ですから、検察官から主尋問をどうぞ」
検察官「証人は被告人の元夫であり、死亡した幼児の父親ですね。今のお気持ちは?」
証人⑤「梨沙に対して、怒りが一杯です。こんなことになるなら、離婚などせず、休学してでも、真奈を育てれば良かったと思っています」
検察官「離婚は証人から言い出したことですね」
証人⑤「はい。元々梨沙の妊娠が分かった時、私は産むのに強く反対したのです。梨沙はまだ高校生でしたし、私も学生の身で子どもなど育てられないと思いました。私の両親を含め、周囲は皆反対で、しかしそれを聞かず、梨沙は子どもを産んでしまったのです。最初のうちはもちろん産んでしまった以上、親としても責任があるし、両親にせっついて仕送りを多くしてもらい、新しいアパートに引っ越して、一生懸命育てました。夜中に泣き出すと、私が起きてミルクを与えたこともあります」
検察官「でも、続かなかった?」
証人⑤「はい。新しい年に入ると、私は卒業の年ですから、就職活動に入らなければなりません。それで踏ん切りを付けました」
検察官「被告人に反対はされなかったのですか」
証人⑤「強くは反対されませんでした。元々梨沙は私の言うことには従順で、同棲を始めた際もごくあっさりと受け入れていました。なので、子どもを堕ろすことにはなぜあれほど反対するのか、不思議に思ったほどでした」
検察官「平成三十一年三月に離婚届を出されていますね。その後引っ越しをされている」
証人⑤「ええ。一人になったので、また間数の少ないアパートでよくなりましたので」
検察官「今の被告人に言いたいことがあれば、どうぞ」
証人⑤「もう真奈は戻らないんだから、真面目に刑期を勤め、二度とこのような過ちを起さないようにと、言いたいです」
検察官「終わります」
裁判長「続いて弁護人、反対尋問を」
弁護人「証人の現在の職業を教えてください」
証人⑤「会社員です」
弁護人「差し支えなければ勤め先を」
証人⑤「・・・、M商事です」
弁護人「一流会社ですね。さぞ就職活動にご専念されたのでしょうね」
検察官「異議あり! 弁護人は事件に関わりのないところで不当に証人を貶めようとしています」
裁判長「異議を認めます。弁護人は質問をあくまで当事件の範囲内で行ってください」
弁護人「・・・それはつまり、証人が離婚後どれだけ被告人や子どもを気遣っていたかということを聞きたかったのです―――。質問を変えます。離婚後証人は被告人と会いましたか」
証人⑤「いいえ」
弁護人「連絡を取ったことは?」
証人⑤「二、三度ありました。児童手当の継続などで市役所から問合せがあり、その都度、LINEで遣り取りをしました」
弁護人「赤ん坊のことは気にならなかったのですか」
証人⑤「いや・・・もちろん気にならないことはありませんでしたが、何しろ就職活動で手一杯でしたので・・・」
弁護人「尋問を終わります」
裁判長「では午前中の予定分が終了しましたので一旦休廷し、午後から再開します」
―――・―――・―――
裁判長「六人目の証人尋問を始めます――。〈宣誓問答〉
弁護側請求の情状証人ですから、主尋問は弁護人からどうぞ」
弁護人「相模原市の児童養護施設「愛和子どもの家」の職員の方ですね。梨沙さんが最初に連れて来られた時の様子を話してください」
証人⑥「はい。平成十八年八月のことでした。梨沙さんは虐待を受けた当日に警察に保護され、児童相談所の一時保護所に預けられ、一週間ほど経ってから、私たちの施設に移ってきたのですが、まだ腕に包丁で切りつけられた痕が、残っていました。顔にも、背中にも、殴られたようなアザが至るところに見受けられました。両親はその時警察に逮捕されたということでしたが、梨沙さんはまだ怯えたような表情をしていました」
弁護人「それからずっと、小、中学校、高校まで、施設で暮らしながら学校に通っていたわけですが、施設での生活の様子は、いかがでしたか」
証人⑥「はい。最初はまだ怯えたような表情が消えませんでしたが、周りに同じ年頃の、同様に両親から離れて暮らす子どもたちがいたので、徐々に怯える様子はなくなって行きました。当初は学校にも毎日は通えなかったのですが、翌年進級する頃からは、あまり休むこともなくなりました」
弁護人「対人関係はどうでしたか。同級生、上、下級生、施設の職員などとの交流は活発でしたか」
証人⑥「いえ、決して活発とは言えないものだったと思います。いつも一緒にいたのはやはり同じ年齢の子たちとでした。それも自分から皆を誘って何かすると言うよりは、誘われて初めて仲間に入る、といったふうでした。唯だ、時々施設にはそういう子どもが見受けられるのですが、他の子たちとの仲間に一切入らずに、いつも一人ぼっちでいる、ということもありませんでした」
弁護人「施設の職員の皆さんとはどうでした。心を開いて向き合っていましたか」
証人⑥「いえ、心を開いて、といった感じでは決してありませんでした。もっとうち解けてくれればいいのに、とはいつも思っていました。自分から壁を作っている、というのではありませんでしたが、他の子たちのように職員の皆さんと心の底から笑い転げる、といったことがありませんでした。本当には信頼されていないのだな、と思ったことも度々でした。唯だ、本人がそのことを自分で意識していたのかどうかという点については、よく分かりませんでした。生まれて直ぐに、こことは別のところですが、施設に入って過ごし、小学校に入って親に引き取られ、そこで壮絶な虐待に遭っていたことを思うと、ああいうふうになってしまうのは仕方ないのかな、という態度で私たちも接していたような気もします。もっともっと、当時の私たちも彼女を受け入れ、愛情を注ぐべきだったのでは、と今は後悔しています」
弁護人「実の子どもでもない施設の子たちにそこまでして上げようとする、職員の皆さんには頭が下がる思いです。では、もう一つお伺いします。梨沙さんは高校二年生の時に施設を出て当時交際をしていた大学生の許に移ったわけですが、その辺の経緯についてお伺いできますか」
証人⑥「高校二年生になって、コンビニでアルバイトをするようになったのですが、始めた当初は、おそらく生まれて初めて自分でお金を稼ぐという、励みのようなものを得て、少し明るくなった様子にも見えたので、私たちも喜んでいました。そうしたらいつの間にか、大学生と暮らすから施設を出たい、と言って来たのですが、もう梨沙さんも大人の仲間入りを果たす年齢ですし、施設にもあと二年足らずしかいられないわけですから、快くというわけでは決してありませんでしたが、送り出しました。でも後で聞くと、大学生の方から同棲を強要されたということで、梨沙さんからはそういうふうには聞いていなかったので、もしかしたらそのことについても、施設側の配慮が足りなかったのではないかと、これも今は反省をしているところです」
弁護人「終わります」
裁判長「検察官、反対尋問をどうぞ」
検察官「被告人の学校での成績についてお聞きします。被告人が通学していた県立上沼高校は決して入試の偏差値が高い高校とは言えない学校かと思いますが、一応県立ですので、小学校はともかく、中学校時代の被告人の成績は、決して最低ランクではなかったと考えられるのですが、この点施設ではどのように把握していましたか」
証人⑥「梨沙さんの中学時代の成績は中の下といったところだったかと思います。ただ美術に関しては、クラブにも入っていて、他の科目よりは良かったと、記憶しています」
検察官「終わります」
―――・―――・―――
裁判長「では、次の尋問に移ります――。〈宣誓問答〉
被告人の中学時代の同級生、ということですね。弁護人、主尋問を」
弁護人「被告人と最も仲の良かった同級生、ということで来てもらいました。中学時代の理沙さんの様子はいかがでしたか。学校での友だち付き合いは良い方でしたか」
証人⑦「クラスでの友だち付き合いは悪くはなかったと思います。私も梨沙さんと一緒で施設から通っていたのですが、施設育ちだからといって、特に周りから苛められるということもありませんでした。とにかく梨沙さんは、私もどちらかというとそうでしたが、周りの生徒と争ったり、意見を言い合うということがなく、相手の言うことはなんでも聞いてしまう、といったところがありました。一度施設にあった漫画本を学校に持って行って休み時間に二人で読んでいたことがあったのですが、それを友だちから「貸して」と言われると、梨沙さんはその場で貸して上げていました。その漫画本はシリーズ連載の本で、何冊か続きがあって、まだ読み切れていない筈なのに、梨沙さんはその時平気で貸して上げていました。また二人とも同じアイドルの追っかけをしていたのですが、コンサートで買ってきたグッズなども、周りの友だちから「頂戴」と言われた際に、簡単に上げていました」
弁護人「それは梨沙さんが本心から喜んで、貸したり、譲っていたということではないということですね」
証人⑦「ええ。顔では笑っていましたが、やはり断ると何をされるかわからないので、そうしていたのだと思います」
弁護人「梨沙さんは自分がかつて両親から虐待に遭っていたということを、証人に話したことはありますか」
証人⑦「たった一度だけでした。あれは学校が休みの日で、施設にあった自転車で友達二、三人で施設の近くをサイクリングして帰って来た時だったと思います。自転車置き場で、ふっと梨沙さんが私に、「以前私、親に虐待されたことがあったんだ」と言ったことがあったんです。私の場合は母親が早くに亡くなって、育ててくれていた父親が私が小学校五年生になった時に家から居なくなってしまって、それで施設に引き取られて来ていたのですが、梨沙さんがどうして施設に来ていたのかは、それまで私は知らなかったのですが、その時に理由が分かったような気がしたんです。施設にいる周りの子は、皆あまり自分の過去のことは言わないので、その時の梨沙さんの言葉は、よく覚えていました。その日のサイクリングは天気も良くていつになく楽しかったので、ふっと梨沙さんもそんな気になったのかと、後で思いました。それ以来、私に取っては梨沙さんが一番の友だちになりました」
弁護人「梨沙さんが施設を出てからも連絡を取っていましたか」
証人⑦「いえ、大学生と暮らすということを知ってからは、あまり連絡を取ることもなくなりました」
弁護人「今の梨沙さんをどう思いますか」
証人⑦「やはり、高校に入って、大学生と付き合うようになってから、梨沙さんは変わったのだと思います。元々人に何か嫌とは言えない梨沙さんでしたので、それだけ大学生の影響を強く受けたのだと思います」
弁護人「終わります」
裁判長「検察官、反対尋問を。本日は最後に被告人質問を控えていますので、反対尋問の時間はなるべく考慮してください」
検察官「証人も今は施設を出られて自活されていると思いますが、梨沙さん、つまり被告人が一人で子育てをしていた頃に、被告人からお金の無心をされたことはありませんでしたか」
証人⑦「ありません。先ほどの質問にも答えた通り、施設を出てからの梨沙さんとは殆んど連絡を取ることはなくなっていましたので、時折施設の人から梨沙さんの噂を聞くことはありましたが、こちらから梨沙さんに連絡を取ることはありませんでした」
検察官「終わります」
―――・―――・―――
裁判官「最後の証人尋問に移ります――。〈宣誓問答〉。
今回も弁護側請求の情状証人ですから、主尋問は弁護人からどうぞ」
弁護人「被告が横浜市内に移って就職した、ファミリーレストランの元同僚の方ですね。
同僚として見た場合の、被告人の勤務の様子を教えてください」
証人⑧「勤務態度は良好でした。無断で休んだり、遅刻することもなく、ウェイレスとしても客とトラブルになるといったこともなく、愛想としてはどうなのかと思ったこともありましたが、とにかくきちんとテーブルサービスすることが一番なので、何の問題もなかったと思います」
弁護人「被告がシングルマザーで子育てをしているということは、聞いていましたか」
証人⑧「はい。最初の顔合せの時に、店長からそう紹介されました。私より二つ三つ若いのに、一人で子育てをしていて、偉いなあ、と思いました。店に託児所は併設されていませんでしたから、おそらく公立か、私立の託児所を利用されているんだと思っていました」
弁護人「そうすると預ける料金も馬鹿になりませんね。被告の生活の様子はいかがでしたか。わかる範囲で結構です」
証人⑧「決して楽ではなかったのでは、と思います。店の給料が特別高いということもなく、小さい子どもさんを抱えていたので、店のシフト時間を延ばす、といったこともできなかったようでした」
弁護人「終わります」
裁判長「検察官、反対尋問をどうぞ」
検察官「被告人は平成三十一年十二月に『デイリー』を退職していますが、辞める理由を聞いていましたか」
証人⑧「特に聞いていません。やっぱり今の給料では生活が苦しいのかなあ、とは思って
いました」
検察官「終わります」
裁判長「これで本日予定の全ての証人の尋問は終わりました。
審理の最後に被告人質問を行います。被告人は前に出て、証人席に」
被告人「・・・・・・」
裁判長「では検察官から質問を」
検察官「まず、率直に真奈さんを死に追いやってしまった今の心境を伺います」
被告人「・・・・・・可哀想なことをしてしまった、申しわけないことをしてしまったと、真奈に侘びたい気持ちで一杯です」
検察官「なぜあのようなことをしたのですか。半年以上前から真奈さんの養育を怠っていますよね」
被告人「生活が苦しくて、それでファミリーレストランを辞めて別の仕事に就いたのですが、そちらで客に誘われ、断れなくて家を空けるようになったのです」
検察官「なぜですか。キャバクラに勤めるようになったわけですけれど、客はあくまで客で、何も自分の娘を犠牲にしてまで、尽くす必要はないでしょう」
被告人「・・・それは、客が親身になって話をしてくれますので、つい・・・」
検察官「客といい仲になりたいという、あなたの欲望がそうさせたのですよね。客には娘がいるということを伝えていたのですか」
被告人「いいえ。店長からは客には黙っていた方がいいと言われていたので、口にしませんでした」
検察官「では客が親身になって話してくれたというのは、あなたのどういうところですか。一人で子どもを育てているというところではなかったのですか」
被告人「・・・自分の生い立ちとかです」
検察官「産まれて直ぐに施設に預けられたといったことですか。虐待のことは?」
被告人「虐待のことは言っていません」
検察官「では客はさほど親身になっていたとは言えないのではないですか」
被告人「私には親身に聞こえました」
検察官「ではそうとして、断ろうとすれば断り切れたのではないですか」
被告人「断ると、店にその後来てもらえないし、他に何をされるか分からなかったので」
検察官「怖かったのですか。客は暴力団関係者だったのですか」
被告人「いいえ、皆普通の人だったと思います、服装から見ただけですけれど」
検察官「皆というのは? アフターでお付き合いしていた客は、全部で何人いたのですか?」
被告人「・・・五人ほどです」
検察官「その全員と・・・、つまり一緒に泊まったことがあるということですね」
被告人「はい」
検察官「で、そのうちより親しくなって休日を共に過ごしたり、旅行に出掛けるようになった相手が、一人いたということですね」
被告人「ええ、一緒に旅行に出掛けた相手は、一人だけです」
検察官「断りきれなくて一緒に出掛ける際、例えば幼児を一時保育所に預けるとかは、考えなかったのですか」
被告人「勤め始める時、お店で契約しているという託児所を店から紹介され、預けましたが、狭い一部屋に詰め込まれている感じで、食事もきちんと与えられていない様子でしたので、真奈ちゃんが可哀想で、止めました」
検察官「つまりそれでその後託児所は一切利用しなかった」
被告人「ええ、私立でも公立でも保育所の料金は高くて、それで前の仕事も辞めざるを得ませんでしたから」
検察官「真奈さんを一人置いて出掛ける時の気持ちは、どうだったのですか。寂しくさせてしまうということは考えなかったのですか」
被告人「それはもちろんありました」
検察官「食事に付いては? 一歳半は過ぎていたと思いますので、一日に三度の食事は幼児に取っては必須と思われますが」
被告人「仕事が変わったばかりの頃は昼は家にいましたので、上げていました。夜はコンビニで買った菓子パンなどを置いて行きました」
検察官「一日家を空けた時は? それから旅行に出掛けた際は?」
被告人「多めに置いて行きました。飲み物も、水やジュースを飲めるように、パックにストローを差して置いて行きました」
検察官「十分ではないですよね。帰った時、痩せ細っているとは感じなかったのですか」
被告人「少し赤ん坊らしいふっくらさがなくなって来たとは思っていましたが、特に痩せているというふうには感じませんでした」
検察官「最後に鹿児島に旅行に出掛けた時のことをお聞きします。この際も食事としては同じようなものを置いて行っただけなのですね。真奈さんの検死結果や、第一発見者の証言によれば、その時点で、真奈さんは相当に痩せていた、ということが推測されます。被告人は否定しますが、敢えて見ないようにしていたとも、考えられますね。この時点で十日も家を空けていれば、真奈さんの身体に異変が生じる可能性は高かった。七月の真夏に掛かる時期だったし、水分が不足するだろうことも、自明と言える。そのことを被告は出発前、どう思っていたのですか」
被告人「何とかなるだろうと、思っていました。その前の旅行の時も、特に何も起きなかったので」
検察官「前月の同じ時期の、この時は三日間ですが、奈良や神戸へ出掛けた旅行のことですね。その時のことも含め、非常に無責任な、危険な行いですね。鹿児島への十日間の旅行に出掛ける際、僅かな食料しか置いて行かなかった場合、真奈さんがそのまま死んでもしまっても構わない、と思ったのではないですか」
被告人「いいえ、そうは思いませんでした」
検察官「終わります」
裁判長「弁護人、弁護人からも質問をどうぞ」
弁護人「被告人は家を空ける場合、真奈さんにコンビニの菓子パンを置いて行ったと言いましたが、どのような菓子パンですか。具体的に挙げられますか」
被告人「蒸しパンのような、柔らかいパンです」
弁護人「それは、菓子パンを置いて出るようになったのは、真奈さんが生後一年と六ヶ月以降なので、離乳食が終わっていたからですか」
被告人「はい。子育ての本でも、一年六ヶ月以降は幼児食に切り替えていいとありましたので。しかしまだ大人が食べるような固いものは無理なので、蒸しパンのような柔らかいパンを選んでいました。具の柔らかい温めたお握りも与えてみたら食べてくれたので、それからは柔らかい菓子パンと温めたお握りも与えるようにしました」
弁護人「幼児の育児に対する配慮は十分していた、ということですね。それが何故、部屋をゴミだらけにしたり、僅かな食事しか与えないようになって行ったのでしょうかね。被告人自身は、その頃のことを、どう思っているのですか。正直に答えてください」
被告人「・・・あの頃の自分のことは、実はよく覚えていないのです。今思い出そうとしても、何だか雲が掛かったようで、細かい点までははっきりしないのです。何で自分があのような大それたことをしてしまったのか」
弁護人「しかし、今の検察官の質問には滑らかに答えていますよね。供述でも同じ感じだったのですね。それは何故ですか」
被告人「それは検察官の人がこうだろう、ああだろう、というので、ああ、そうだったのかも知れないと思って、そう答えていたからです」
弁護人「次回の公判で被告の今後は決定されるわけですが、それを受けて、この後どのように生きて行こうと今思っていますか。真奈さんへの弔いの意味も含めて、聞かせてください」
被告人「今は、この後どうするかは、何も決めていません・・・・・・。真奈ちゃんには取り返しの付かないことをしてしまって、自分は生きてても価値のない人間だから、早くに死にたい・・・」
弁護人「終わります」
裁判長「被告人には裁判所側からも質問がありますので、答えてください」
裁判員A「被告人は鹿児島へ十日間の旅行に出掛けていた間に、さすがにそれだけ長く真奈ちゃんを放って置けば、まずいことが起こるとは考えなかったのですか。一緒にいた相手に事情を話し、帰ろうとは考えなかったのですか」
被告人「少しは思ったような気もしますが、覚えていません。自分に子どもがいることはその人に言っていませんでしたので、言ったら別れられる、というか何されるか分かりませんでしたので、言えませんでした」
裁判員B「先ほどの検察官の質問や、今の裁判員Aさんの質問にもありましたように、十日も幼い子を放っておくことは、普通の母親には考えられないことです。梨沙さんはそのことを本当に何とも思わなかったのですか」
被告人「先ほど弁護士の先生にも言いましたように、あの頃のことは、実は良く覚えていないのです。何とかなるだろう、と思ったという以外は何も。・・・今思うと、自分でも何であのままにしていたんだろうと、後悔しています」
裁判長「以上で今回の事件の証拠調べを終了とします――。
次回最終公判では、検察側論告、弁護側最終弁論、及び被告人の最終陳述を行います。では本日はこれにて閉廷とします」
(第五章に続く)https://note.com/oyoyo_note9096/n/nb8551009fee8
