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1958年頃の農村でリハビリするということ

「鈴木さんは手術したばかりだから」

先生がそう生徒に指導しなくても
例えば掃除の時間に両脇に松葉杖をついて
手術した足を床につけられない状態ですから
村の子が誰かしら代わりに机を運んでくれました
ほうきではいたり
バケツを持ってきて水ぶきするなど
出来ませんから
邪魔にならないところに避けていました
同級生から不満が出たりいじめられることも無かったです

東京からのお客様と土産の中身を知っている

1950年代の田舎のことですから
東京からくるお客様は世話になっている家にも
土産を持って挨拶をします
だから誰の家にどこから何人お客様がいらして
お土産は何か、不思議と村の人は知っていました
プライバシーがほぼない世界ですから
東京に出てホッとした気持ちもありますが
松葉杖の一年間、見守っていただいたと
感謝しています

雨合羽

現代のレインコートのように滑らかで透明だったり
手触りが良くなく、ゴムではないのですが
ゴワゴワした透明性の無いものを着ていました
ランドセルと、松葉杖をついて
その上からすっぽり被ることが出来ます
当時グレーの雨合羽は無く
青は覚えていないので赤だったかも
しれないのですが
雨の日は傘をさせないから準備が大変な
ことを記憶しています
教室に持ち込まず
下駄箱の傘立ての脇に雨合羽を
かけておくことが出来ました
雨合羽が必要なほどの雨は数回なので
一年を通してほぼ無くて済んでいます

家での過ごし方

きょうだい達に、父が話してくれて
いたのでしょう
また、3年寝付いていた妹ですから
松葉杖で歩けるようになり
庇って応援してくれたようにも思います

田植え休みや稲刈り休みがある村ですが
私は杖では手伝えないので
家で出来ることを担当しました

洗濯は、例えば父の男物の
ベージュ色で生地の目が詰まっており
藪を歩いてもびくともしない
コットンのズボンは重いし大きいので
濡れればさらに重く私では洗えません
下着や靴下、自分やきょうだいの衣服を洗って乾しました

農繁期はきょうだいも農作業を手伝います
だから父が、例えばきんぴらゴボウなどを作ってくれ
夕食と、翌日のおかずにします
普段はきょうだいがおかず、私がご飯を担当していました

あとは、力仕事をするので
村の雑貨屋で売っている鯖の味噌煮なども
缶切りでキコキコ明けてお昼に食べていました

きんぴらゴボウのようなパターン、缶詰
あとは「野沢菜がまだあるから、切っておきなさい」と
父が献立を考えてくれ仕事を割り振ってくれていました


家畜の世話は小屋の掃除は出来ませんから
餌やりが中心です
家の庭なら安全なので
松葉杖を一つついて、片方の手が開くので
父が切っておいてくれた藁を抱え
牛に与えました
ふすま(米の糠をこう呼んでいました)や
人が食べない雑穀をとっておき
藁にまぶして与えます

藁が在るということは、まだ夏ではなく
ビクを背負って牧草を刈ってくることが
出来ない季節です
だから、大根の葉などちょっとした青菜を
与えると、機嫌よく食べてくれる気がしました

犬は飲み込みますが、牛も舌で餌を巻取り
飲んでしまい、その後反芻して、ずっともぐもぐしています

学校と家でこうして暮らすうちに
手術した足で体を支えられるように回復し
主治医から杖無しでいいと言われました

振り返ると父だけでなく
村の大人や先生達が、鈴木さんの家の寝付いていた子が
手術して学校に行けるようになったと
知って見守ってくれたのでしょう
私にとっての地域共同体で守られた記憶です


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