甘いぞ、食べてみろ――父と大根の記憶
「やあ、母さんは神様だ」「若い頃の田中絹代に似てる、たいしたもんだ」
義理の伯父は伯母(父の姉)のことをそう評すことがありました
父は「あねっこ」と呼んでいました
父にとっては母代わりの伯母ですから
私にとっては信頼できる伯母という揺るぎない存在であり
容貌の美醜は意識したことがありません
ただ30代で亡くなった祖母(父の母)は
明治期に没落した士族の娘と伝え聞いており
伯母の姿勢に影響があるかもしれません
この義理の伯父が、1961年に東京に出てきた私達に
「二年参りに行こう」と、二年参りを教えてくれました
私の中学1年の英語の先生が村の神主で
地鎮祭などが必要になるとお仕事されていました
大根料理
1961年以降、東京の下町の子ですから
屋台のおでんの大根はソウルフードです
三杯酢で人参となますにする
厚揚げと大根の煮物
これは父の味を継承しています
肉が苦手な私は厚揚げは好物なので
厚揚げというと大根と煮ることが多いです
油揚げと大根の千切りの味噌汁も好きです
天ぷらに大根おろしは欠かせませんし
子どもたちには、新鮮なしらすを手に入れて
大根おろしと一緒に食べさせました
口に入るものはだいたい父が生産者
田畑の面積は少ないのですが
父は旧制の専門学校で農業も学んでおり
土作りに詳しく腐葉土と堆肥を活用し
無農薬で育てていました
「窒素、リン酸、カリ(カリウム)」などと
村の方と立ち話する姿も記憶しています
おろぬきだいこん
大根を2畝ほどかけて100本程度育てると
途中におろぬく(間引く)大根が出ます
竈の鉄鍋(囲炉裏の自在鉤にかけるタイプ)で
ザクザク切ったものを油で炒め
さっとお醤油をかけて食べたりします
4,5回おろぬくので、人間では食べきれませんし
青いものは牛が喜ぶので
15cmくらいの長さを目安に切って
牛に消費を助けて貰いました
「甘いぞ、食べてみろ」
年越しや正月に向けて
部屋にはみかん、いもきり(干しいも)の一斗缶
箱入りの沢山のリンゴなど
食べ物を父がたくさん用意してくれます
そして漆のお重に
お料理を詰めていきます
なますでも作っていたのでしょう
6歳頃の私が父のそばをちょろちょろし
料理する様を眺めたりしています
父は自分の育てた青首大根の
どこが甘いか知っていますので
薄く切って与えてくれました
甘く、みずみずしく、シャリシャリとした食感です
今でも大根というと父の大根が目に浮かびます
おしらせ
このnoteから生まれた本です。機会がございましたら、サンプルを眺めてやって下さい。古く、今に繋がる何かがあります。

