父の乱心
「お父さんのことは心配いらないから」
末娘ではありますけれど、都会的というかドライな
距離感を好む娘でしたので
父と雑談はしますし喧嘩もしませんけれど
踏み込んでくると感じると黙る娘でした
ある日、父の姉である伯母がそう言って
私の縁談を進めるよう助けてくれたことがあります
「どうするんだ」
父の仕事を手伝い、身支度をして都内で勤務し
夕方帰宅し夕食を済ませ、そろそろお銭湯に行こう
というタイミングで、時々父にこう言われました
大学を出て仕事をしこれから仕事が面白くなるのに
何を言っているのかと私は思います
ただ、当時は24歳を過ぎると売れ残りと
呼ばれた時代でした
20代後半に結婚しているので
父としては急き立てたくもなるのでしょう
ご縁もありますし、私にきかれてもと
父には言えませんし
メロン事件
職場に教材の監修で出入りしていた夫と知り合い
プロポーズされ父に紹介することになりました
次の休みに来るからと説明します
夫が百貨店の袋を下げて
桐の箱におさめたメロンを持って
挨拶に来ました
母がいないので伯母が来てくれています
父がいつの間にかいません
伯母も私も用事をしており
まさか父が家を抜け出して
挨拶から逃げるとは思いもしませんでした
「いないものは仕方ない」と思っただけで
とくに動じない娘でした
伯母がその場はおさめてくれ
夫が帰った後に
父もいつの間にか帰って来ており
伯母が父にも話をつけてくれたらしく
「お父さんのことは心配いらないから」
と言われました
父とのやり取りは知りません
1961年と父の高熱
時代は遡ります
東京に出てきて過酷な農作業を離れ
ホッとしたのか父が熱を出しました
中学2年の私は
おかゆを炊いて、父の額のタオルを
替えてやるくらいしか出来ません
伯母が近所に暮らしていたので
弟である父を見に来てくれ
「長年、体を鞭打って働いてきたから、
熱も出るのだろう。休めば治るから心配するな」と
慰められた覚えはあります
確かに父は休んだら回復しました
いざという時、頼りになる伯母なのです
その頃の上野の西洋美術館
父のネクタイはシルクです
背広とワイシャツと帽子
1961年の私は制服のセーラー服と
ジャンバースカートでした
あの頃は、寝間着、街着、外出着と
分ける文化がありました
制服ではなく外出着としての
私服の方もいました
「次の日曜日、父さんは西洋美術館に行くけれど来るか」と
父が声をかけてくれることがありました
まだ長野から出てきたばかりで土地勘が無いので
着いていきます
父は若い頃、都内でも働いており道を知っています
絵を見て気に入った画集があれば買い
帰宅して見せてくれる
そんな静かな時間を過ごしました
東京に慣れれば自分で行けますから
父と行く機会は減りました
顔合わせで私も抜け出す
義母の口に合うものを夫と相談し
あの頃、お豆腐の美味しいお店があったので
予約し義理の両親と夫と
私と父の5人で食事をしました
手土産を忘れました
そっと抜け出し
近くで手土産になるものを必死に探しました
考えてみると、父は夫と初対面であり
メロン持って行って留守だったことを
どう取り繕ったのか
あの場にいなかったから知らないのです
父からも、夫からも、あの場にいなかった
伯母からも何も言われていませんし
父もなんとかしたのでしょう
