私の幼年期の終わり
漆黒の闇は怖い。それは本能のようなものでしょう
19時頃、父がおそらく翌日の家族の弁当の準備をしていて
足りないものがあると、上のきょうだいと交代で
村の雑貨屋までお使いに行きました
懐中電灯は無く、提灯はあっても壊れていたでしょう
小学校の校門程度の距離ですし
1950年代の農村ですし、危なければ父が許しませんから
安全ではあるのです
そして小学1年生の私には怖いと家族が
気がついていなかったのです
自分の番なら仕方ないと思い言いませんでしたから
家の裏には防風林があり、その向こうは水田が広がり
遠くに鎮守の杜があります
家の表には川と呼んでいる生活用水が流れています
暗くても道幅はあるし川のせせらぎが聞こえます
落ちる心配はありません
川の向こうは生け垣と果樹園があります
なぜ暗いかというと栗の大木がお隣にあり
満天の星空が遮られているからなのです
この栗の大木の影を抜けると星明かりや月明かりで
土の道路が白く見えます
遠くの辻には街灯もあります
ソーセージ(魚肉)
さつま揚げ
コウナゴの佃煮
かりんとう(もんめ単位のはかりうり)※子どもを喜ばせるので
野菜も米も大麦も大豆も父が育てているので
雑貨屋のお使いは上記が中心でした
かりんとうは白い紙袋に入れてもらいます
わら半紙とパン
ビニールと個包装の時代では無いので
骨結核で学校に行けない期間は
コッペパンを先生に言い使って
近所の子が届けてくれました
未使用の清潔なわら半紙でそっと包んで
汚さずに運んでくれました
学級通信のような保護者宛のプリントも
一緒に届けてくれます
小学4年の手術近くの頃は
カカト近くが患部なので体重をかけられないし
振動も痛みを起こすので
膝から下を手で持って移動させる状態でした
そのため、届けてくれてもすぐ行けません
だから寝床から返事をして
友達に障子を開けてもらい
「ここに置いておくね」と声をかけてもらうこともありました
(じつは、このコッペパンは、きょうだいが学校から帰ると
食べてもらうことがありました。物がない時代で
お腹を減らして帰ってくるのが分かるからです)
口頭試問
小学2,3,4年の3年間登校できず(徐々にでなくなり)
小学4年の終わりに手術を受けています
記憶では1度だけなので
おそらく3年生から4年生に進級させて
大丈夫なのか
女性の担任と隣のクラスの女性の先生が
二人いるところで
担任の質問に答えた記憶があります
情景しか覚えておらず
世間話の雰囲気ではなく
教科の理解度の確認に思えます
話すのは担任で隣のクラスの先生は
立ち会って下さっているのでしょう
無事に進級出来ました
答えに詰まることはないし
先生達が怖いとも感じません
威圧的な質問や詰問ではないです
なぜ答えられるか
分からない点はきょうだいに質問しますし父もいます
それに日中は縁側の向こうの民家や防風林と
自分の家の庇の間を流れる青空や雲を眺めるのに飽きると
テレビもラジオも無いですから
お友達に借りた子ども向けの雑誌か
教科書を読むしか無かったので
教科書に書いてあることなら答えられたのです
原因が分からず徐々に歩けなくなっていく時期
暗闇やお化けより怖いものがあることを知りました
それは、少し早い、子ども時代の終わりでもあります
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