ガレー船をつくる【第1話】 きっかけはイタリア・ルネサンス
【ヴェロネーゼの《レパントの海戦の寓意》から、イマイの「ローマの軍船」へ】
学生時代には美術史を専攻したのだが、正直に言ってあまり熱心な学生ではなかった。成績もひどかった。
それでも安土桃山の障壁画や天平の彫刻などを見て回るようになったのは、妻(何十年前は美術史の同級生)の影響だ。そんな彼女の長年の願いであるイタリア・ルネサンスの旅へのお供で、フィレンツェとヴェネツィアの美術館・教会を5日間かけて巡ることになった。
とはいえ、イタリア・ルネサンスについては恥ずかしいほどの門外漢。見たい絵がとくにあるわけじゃない。せっかくだから1枚くらいは「この絵が見たかった!」と展示してある絵の目の前で叫びたいと考え、それなりに調べて選んだのがパオロ・ヴェロネーゼの《レパントの海戦の寓意》だった。
ヴェネツィアのアカデミア美術館にある。
ただ現地では、ヴェロネーゼの大作にして代表作の《レヴィ家の饗宴》の脇につつましやかに展示されていたものだから、妻が気づかなかったら、あやうく見逃すところだった。あぶない、あぶない。

この絵は、1571年にギリシアのレパント沖で、神聖同盟艦隊(ヴェネツィアやスペインなどの連合艦隊)がオスマン帝国艦隊を破ったことを称えるために、戦後すぐにヴェロネーゼが描き(実際には本人ではなく工房の作品のようだ)、ムラーノ島の教会に奉納されたということだ。

画面は上下に大きく分かれ、上側の雲の上では、多くの聖人たちが聖母マリアを囲み、神聖同盟軍に救いの手を差し伸べようと祈念し、下側の海上では、史実そのままに両軍のガレー船が激しく戦っている。オスマン帝国軍の上空には暗雲が垂れ込め、神聖同盟軍側は雲の合間から光が射し込んでいるのは、神の威光ということなのだろう。
題名が「レパントの海戦」ではなく「レパントの海戦の寓意」となっているのは、雲の上の聖人たちが擬人化された寓意像だからだそうだ。マリアの前で跪いている女性がヴェネツィアを表し、他の聖人もスペイン王国や教皇庁などを意味しているらしい。
それはともかく。レパントの海戦は、両軍合わせて600隻弱のガレー船が激突し、ガレー船の戦いとしては最大であるとともに、最後の戦いである。ヴェネツィア海軍が繰り出したガレアス船(ガレアッツァ)が活躍して、海戦が白兵戦から砲撃戦に移行していく前触れとなったことでも注目度が高い。
ヴェネツィア人にとってレパントの海戦は、日本人における日本海海戦、英国人におけるトラファルガーの海戦のようなものなのだろう。旅行前に、この戦いを描いた絵として知っていたのは《レパントの海戦の寓意》だけだったのだが、ヴェネツィアには思いのほか多くの絵があった。
ドゥカーレ宮殿の投票の間には、大迫力のアンドレア・ヴィチェンティーノの《レパントの海戦》が飾られていたし、謁見の間(ん? 控えの間だったかな)にもヴェロネーゼの《レパントの海戦の勝利を感謝するヴェニエル総督》がある。
ティントレットも描いたが、宮殿内に飾られた直後に火災で失われてしまったということだ(それでヴィチェンティーノがあらためて描いたということらしい)。
ちなみに、ティツィアーノもスペイン王からの依頼で描いていて、まさにヴェネツィア派を代表する画家たちが腕を競ったテーマということになる。

それからアルセナーレ(ヴェネチィア国立造船所)内の博物館にもレパントの海戦を扱った絵や模型が並んでいたし、残念ながら見ることはできなかったがコッレール博物館にも展示があるようだ。
そんなこんなで「ガレー船」熱が一気に高まり、なんとしても模型をつくりたくなってしまったというわけだ(科特隊基地も並行してつくっているんだけどね)。
で、レパントの海戦のガレー船をつくる気まんまんだったのが、「ローマの軍船」になってしまった理由はおいおい書いていくつもり。
【第2話】もうひとつのきっかけは… につづく
