【紫陽花と太陽・中】第三話 縁田さん[2]
「どうした、遼介」
帰り道、無言でひたすら歩く僕に剛が尋ねた。
「変わった人だよね」
「あぁ、やたら声がでけぇおじさんだな」
「あはは、確かにずっとあの声量だと耳がやられるね」
僕たちはまた少し無言になり、そのうち近所のスーパーの近くまで来ていた。僕は腕時計をちらりと見やる。
「……他に、行きたいところがあるのか?」
「剛は本当にエスパーみたいだねぇ」
「あるのか」
「うん。剛、時間、もう少しいいかな。買いたいものと、やりたいことがあるんだ」
「お前が、やりたいこと?」
剛が驚いて、オウム返しに聞いてきた。
「どうしたの。やりたいことがあるって珍しいかな」
「お前が自分のしたいことを言うのは、珍しいよ」
「そうかな」
「あぁ」
僕はスーパーの文具コーナーにやって来た。そして、履歴書という物を人生で初めて買ってみた。
「バイト、してみたい」
剛が目を瞠った。今僕はどんな顔をしているのだろう。学校をサボって、バイトしたいだなんて。でもやってみたいと確かに思った。剛は反対しないだろうという確信があった。
履歴書を書くために、剛の家にお邪魔した。家に上がるのですら何年ぶりだろうか。
「何もない家だね」
「久々に家に来た感想がそれかよ」
剛の家は、ものすごくシンプルな部屋だった。小さい子がいないからか、一人っ子だからか。床にゴミが落ちていない。踏んだら痛いようなおもちゃが落ちていない。気を付けないとすぐに壊れてしまいそうな、華奢な花瓶やガラス細工の装飾品もきれいに飾ってある。
履歴書をウンウン唸りながら書いた。
経歴、という欄は現在進行系で高校一年生なので、出身中学校と入学した高校の名前を書いたらあとは白紙だ。
「そういうのは、できるだけきれいに書けよ」
頑張っているんだけど、鉛筆で下書きをするだけでも一苦労だ。後でこれにペンを入れる。すごく時間がかかるものなのだと知った。
自己PR、応募の動機は、すごく悩んだ。一番大事な項目にも関わらず書ける枠は決まっている。何を書くのか厳選しなくてはならない。
ウンウン、唸り、ウンウン、また唸る。
「そんなに唸ると、犬みてぇだな」
「わん」
剛が苦笑いしている気がするが、僕は一心に紙を見ているので実際は分からない。
「書いた」
大きく伸びをして、そのまま後ろのクッションに倒れ込んだ。
「剛先生、添削してください」
「よかろう」
剛が僕の初めての履歴書をチェックしてくれた。
一言、二言アドバイスをもらい、修正をして、履歴書ができあがった。
僕はすぐに立ち上がり、行ってくる、と剛に宣言した。
「え? 今? また行くのか、あの店に?」
行かないの? と僕は逆に剛に聞き返し、ちょっと考えてから言った。
「剛とはここで別れるよ。あとは僕一人で行くから。……ありがとう」
お礼を言った瞬間、僕のお腹が盛大に鳴った。剛がぶっと吹き出した。
「せめて飯食ってからにしたら? 面接の時にぐぅぐぅ腹の音が響いちまうぞ」
「……そうする」
立ち上がった僕は再び座り込み、リュックサックの中から本当は学校で食べるはずのお弁当を取り出した。
剛はお昼ごはんをどうするのか聞くと、カップラーメン、と呟いたので、僕は台所を借りて作ろうか? と控えめに聞いてみた。
冷凍のごはんを電子レンジで温めている間に、卵を溶き、調味料を入れておく。冷凍庫を開けた時にしらすも見えたので、こっそり拝借し、卵と一緒に混ぜた。台所のお砂糖やお塩が置いてあるところに使いかけのかつおぶしも見えたので、上にかけるために拝借した。
温かいごはん、しらす入り卵、かつおぶし、最後にもう一度お醤油をひと垂らし。
「はい、カップラーメンよりは身体に良いと思います」
どん、と剛の目の前に即席たまごかけごはんを置いた。
「すげぇな」
「そう? 包丁使ってないよ」
久しぶりに剛とお昼ごはんを一緒に食べた。
僕は持参した弁当箱の蓋をパカンと開けた。
「でけぇ弁当だな」
食べても食べてもお腹が空いてしまうので、中学三年生の途中で新しく買ったのだ。二段で容量がかなり入るタイプのお弁当。僕は白飯の段、おかずの段と机に並べ、おかずの中にだし巻き卵が入っているのを見て、つい微笑んでしまった。
「今日の」
「んぁ?」
「あ、食べてる時にごめん。今日のお弁当ね、あずささんが作ってくれたんだ」
「へぇ。いつもは遼介が作るのか?」
「いつもは二人で作ってるよ。でも今日はあずささんが休みの日だからって、僕が楽できるように作ってくれた」
「優しいな」
「うん、本当に優しいよ。これさ、だし巻き卵。僕が好きだからこんなに入れてくれた」
見ると卵焼きが四つも入っていた。
「剛、ちょっと食べてみない?」
「いいのか? てか今日俺、卵めっちゃ食ってんだけど」
「あはは、確かに。店でたまごサンドも食べてるもんね」
「でももらう。……うぉ、何だこれ、うまいな」
「美味しいよ。すごく美味しい。作るのすごく難しいんだよ」
「おかずの一つなのに手抜きしないのが、あずさらしいよな」
剛はだし巻き卵を一口では食べず、二度味わって食べていた。僕は目を細める。嬉しかった。何でだろう。何がこんなに嬉しいんだろう。
ふと、昔の出来事を思い出した。柊さんだ。
昔、柊さんと一緒にお弁当を食べたことがあったっけ。その時も、あずささんはだし巻き卵を作ってくれて、僕はとても嬉しかった。でも柊さんは興味も示さなかった。
僕は思う。自分が作ったものではなくて、あずささんが作ったものを褒めてもらえたのが嬉しかったのだと。
剛は、口は悪いが根は優しい。今日も自分の予定を全部棚上げして、履歴書を添削するまでずっと僕に付き合ってくれた。
剛は優しい。あずささんも優しい。
お腹いっぱいになったら、もう一度縁田さんのところに行こう。履歴書を出して、アルバイトをしたいですって、伝えよう。
僕は大容量のお弁当を頬張りながら、久しぶりに気持ちが高揚していた。
また学校をサボったことは秘密にして、何食わぬ顔で適当な時間に帰宅した。
僕がきちんと学校に行ったと信じて疑わないあずささんが、柔らかな笑顔でおかえりと出迎えてくれた。お弁当のお礼を心から伝え、すぐに空の弁当箱を洗う。
だし巻き卵を剛にも分けたら絶賛していた、と言いかけたが、そんなことを言えばサボったことがばれてしまう。よく考えてから話さないとすぐボロが出る。こういう時、僕は自分の頭が悪いことに辟易する。
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