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長編小説「3色だんごの子連れ旅」 2-15

 さあさあと降り続く雨。
 何日も、何日も、優しい雨は降り続く。

 世界のどこかのにえが役目を全うすると、世界中で雨が降る。

 それは追悼のしずくとも呼ばれており、遠いむかしから人々の間で語り継がれてきた。何日も霧のような雨天が続くときは、より一層、目の前の恵みに感謝を捧げましょう、と。

「ママ、お空が泣いてるよ」

 ある少年が窓から顔を出して言った。
 隣でおなじように空を見上げていた母親はそっと告げる。

「そうね。空も泣いているわね。やさしく、あたたかい、涙をこぼしてる」

 空を覆っている雲の隙間がいくつもの穴を開ければ光がたくさん現れて。
 鈍色の重たい曇天を彩る、いくつもの虹。
 あちらにも、こちらにも、虹。
 人々は空を見上げて感謝をする。

 そして気づく。
 贄は命なのだと。

 いまある恵みの有難さに
 改めて気づく。


   ***


「トレイ、入るわよ。調子はどう?」

 ざっくばらんな物言いで、マリンバが宿の客室に入ってきた。
 今日も首から腿までのタイトな濃紺ワンピース姿。歩くたびに魅力的な太ももが動くので、町ではマリンバが通り過ぎるたびに幾人もの男性が目を奪われた。

 ベッドの上で横たわっていたトレイは微笑んでこたえた。

「はい。痛みもないですし、ごはんもしっかりたべています。ほんとうに、たくさん治療してお見舞いにも来ていただき、ありがとうございます!」

 トレイの隣でぴょこんとミントが飛び跳ねた。

「トレイね、ミントよりはすくないけど、お肉もたくさんたべれるようになったんだよぅ!」

 この小さいミントのほうが食欲旺盛である、という事実にマリンバはもう驚かない。とにかくやたらとたべるのだ、このミントという少女は。
 トレイはゆっくりだが出された食事はきちんとたべるらしい。いまも、トレイのベッドの傍らには、たべ終えた食器がきちんと重ねて置かれていた。レンがあとで食器を下げに行くのだとか。

 マリンバはトレイに近づき、手で前髪を持ち上げた。

「う〜ん……。傷痕は残るかもなぁ……。せっかくかわいい顔してんのに」
「かわいい? ぼくがですか?」

 初めて言われた言葉にトレイは目をまんまるにする。

「そうよっ! 銀色の瞳はくりっとしてて、鼻も」
 マリンバは細い指でトレイの鼻筋をつつつと撫でる。
「頬も」
 マリンバはむにっとトレイの頬をつまむ。
「口も、めっちゃかわいい」
 マリンバは無理やりトレイの口角を持ち上げる。

「……視力はどうなの?」

 わざと気楽な口調で、でもいまほんとうに確認したいことを、マリンバは尋ねた。ダーク・ウィッチによる攻撃……それは毒を含んだ極めて危険なもので、子供には強すぎる深手をトレイは負った。

 トレイは目を伏せた。

「…………片目だけ、見えますので」

 そう言って微笑んだ。

 マリンバとミントは押し黙った。
 鷹並みの視力が半分失われたことに衝撃を受ける。

「……そう」
「……ミント、トレイを守るからねっ」

 わしゃわしゃとトレイの柔らかな髪をマリンバは撫で、ミントは胸を張って宣言した。ベッドの端っこで紙を折って遊んでいたミントは、ずりずりとトレイの近くまで寄っていき、ぺったりとくっついた。

 レンだけが、いまここには不在だった。

 マリンバが「レンは?」と尋ねると「神殿にいます」とトレイは小さくこたえた。

 贄の氷柱が倒壊してから神殿は立ち入り禁止区域となっていた。
 しかし、レンには関係がないことなのだろう。
 マリンバは別れの挨拶としてトレイの額にキスを落とし、退出した。

 去り際に、背を向けて一言残す。

「……目、ちゃんと治せなくて、ごめん」

 ぱたんとドアが閉じられた。


   ***


 雨に打たれながら、レンは瓦礫の前に佇んでいた。
 天井も崩れてしまったため、建物はほぼ野ざらし状態だった。
 レンのミルキーピンク色の前髪から、ぽたりと粒が滴り落ちる。

 ジャリ、ジャリ、と音がして、マリンバが現れた。
 レンは微動だにせず、マリンバが隣に立つのを待った。

「トレイの件、ありがとな」

 振り向きもせずレンが言った。
 背の高い無表情の男、マリンバは見上げないとレンの顔が分からない。

「……うん。やるだけのことはやったわ。でも」

——でも、トレイの視力は片側だけになってしまった……

「でも?」
「……左目が、見えないみたい」
「……そうか」

 レンが肩を落とすのが気配で分かった。長寿であるレッドドラゴンにとっては、人間の命なんて儚いものだ。トレイという子供と過ごす時間だって、レンのなかではほんの一瞬に過ぎない。

「ありがとう。だが、マリンバがいてくれて良かった」

 レンが空を見上げて言った。

——なんてこと言うの。あなたは……

 マリンバはふいに泣きそうになる。姉のハープの欠片の前で、姉の恋人のレンと言葉を交わし、あまつさえ心が揺れ動きそうになっている。

「ハープねえさんの御前よ」

「そうだな」
 レンはあっさりしたものだった。
 マリンバは複雑な心境だった。ぎゅっと胸の前で両手を握りしめる。ハープが贄の役目を終えたいま、次代の贄はマリンバだった。

「……わたしは、ハープねえさんより、魔力がないの。治癒とか攻撃魔法はできるけど、それでも……」

 マリンバは唇を噛み締めて泣くまいと必死だった。それでも、不思議と隣のレン——レッドドラゴンの頂点に立つほどのカムイ・オーグルナーブは穏やかな気配で雨に打たれており、マリンバは自然と感情を吐露していた。

「トレイの目は治せなかった。頑張ったけど、できなかった……! もうすぐ贄になる。儀式がはじまる。ねえさんのようになんて、わたしは……!」

 レンはふとマリンバのほうを向いた。

「何もお前がハープのようにならなくちゃいけないわけじゃねえだろ」

 自分を見下ろす真っ直ぐなレッドスピネルの瞳。マリンバは息を呑む。

「ハープとお前は別物だ。人間たちだって、それを分かってくれている」
「……そうかしら。人間たちは、贄ができるだけ長く持てばいいって思っているんじゃないのかな……」
「そう思う人もいるだろう。だが、そうではない、お前自身を見る人も、必ずいるはずだ」

 マリンバは訝しむ。ブルードラゴンは人間の住処からは遠い場所で暮らしていて、マリンバのことを知っている人は誰もいないはずだ。

「すくなくとも、トレイはお前をきちんと見るだろう」

 そう言って、レンはわずかに微笑んだ。

「あとお前、贄になりたくねぇんだな」

 ぐさり、と胸を抉られた。レンの一言にマリンバは言い返す。

「そんなことないっ!」

 雨はやまない。
 レンは穏やかな瞳のまま、ずっとマリンバを見つめている。
 息が苦しい、とマリンバは思った。
 贄になりたくない、などと思っている自分でいたくなかった。

「わたしは……わたしは……!」

 やがて、マリンバはしゃくりあげはじめた。
 姉といえど数十年は歳が離れているハープは、マリンバにとって物心ついたときからずっと憧れの存在だった。姉には、恋人もいて、羨むほどの魔力を携えており、美しく、清らかな心を持っていた。

『迷いがあるなら、髪を切ったらいいわ』

 髪の長さは魔力の高さに比例するらしい。ハープは一度も髪を切らず、いつか必ず訪れる贄のときまで豊かな髪の手入れを怠らなかった。でも、マリンバは勧められたのだ。髪を短くすれば、贄にはならなくなるかもしれない、と。そうすれば、好きなように生きられるから、と。

 ハープはマリンバの肩で切りそろえた髪をさらりと撫で、目を細めた。

『自分らしく、生きていってね』

 姉妹でそっと抱きしめ合った、あの夜。
 今日のように贄が亡くなって、追悼の雫が降り続いていた夜。

 もう、百年も前のことだった。

「……おれは、お前の意志を尊重する。とはいえ、何の力も持ってはいないがな。だが気もちを聞くことはできる」

 レンが腰をかがめて目線をマリンバに合わせた。
 涙でぐちゃぐちゃの瞳は、燃えるようなレンの瞳を映しだした。

「贄が、怖い」

 マリンバは勇気を振り絞って言った。
 ずっと心の奥底にひそんでいた、ほんとうの気もち。

「ハープねえさんは、贄になりたくないなんて言うわたしをどう思うかしら。ねえさんみたいになれないのに、あなたやトレイやミントが分かってくれていたって、わたしじゃ力不足なのに」

 言葉はどんどん溢れてくる。

「ねえさんやそれより前の贄たちが築き上げてきた歴史を、わたしのわがままで困らせたら、ねえさんはどう思うかしら」

 髪を切ったらいいと言われて切ったけど、ほんとうはハープはそんな自分勝手なマリンバをどう思っていたのだろうか。そういう、ありとあらゆる疑念や妄想を、雨に打たれ泣きながら、マリンバはレンに叫んでいた。

 レンは静かに言った。

「もう一度言う。お前とハープは別物だ。お前がいま言っているハープの言葉たちは、ハープの言葉を借りてお前の心のなかの別人が言っているに過ぎん」

 レンは事実をひとつずつ噛み締めて、口にする。

「…………ハープはもういない。……だから……」

 それは泣きそうな表情で。

「…………だから、マリンバの気もちを、そのままブルードラゴン族に伝える必要があるんだとおれは思う」

 贄という存在の必要性。
 ひとりの犠牲で、残りの一族が崇め称えられること。
 ずっと続いていたから、ということは存続する理由にはならない。

「誰かが言わなくては何もはじまらないんだ……!」

 レンは苦しかった。旅を続けてきて、贄と出会うことも多々あった。
 すべての贄になるドラゴンが、納得して命を捧げているわけではない。
 その表情、その気もち、すべてを見ておきながら、己に何かを変える力はなかった。

 どんなに腕力や脚力や体力を持っていても、無力だった。

——どうか、どうか、皆が心穏やかになりますように

 ハープの願い。レンの願い。
 それは人間だけではなく、ドラゴンだって含まれている。


 この世界はあまりにも残酷だ。


(つづく)


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