長編小説「3色だんごの子連れ旅」 1-7
少年の名前が決まった。
「お前は、いまから『トレイ』だ」
午睡から起きたミントは、隣に座っているトレイをしげしげと眺め、それから元気よく「トレェー!」と叫んだ。トレイと名付けられた少年は自分を指さし、小首をかしげる。
「ぼくの、名前が、トレイ……?」
「そうだ。名前がねぇとこの先ツラいからな。盆を持ってるからトレイだ」
胸のまえで腕を組み、レンがキリッとして言った。
窓の外は夕焼けで、日暮れを知らせる鳥たちが哀愁漂う声でどこかへと飛んでいった。外から宿の部屋に入り込む心地よい風。とろとろと、やわらかく、レンたちを包んでくれている。
すこしでも腹を満たしてほしいので、レンはリンゴをミントに渡す。この数日間でミントの好物はリンゴになった。しゃくっと美味しそうな音をたててミントがかじりつく。
レンはちらりと歯型を確認した。
——間違いない。こいつは、人間じゃねぇ
人間の歯並びではありえない牙のあとを見て、レンは察した。
とはいえ、まずは目の前のトレイをどうにかしてからだ。
「この先っていうのは、明日話すのでもいいけどよ、トレイを町に送り届けようと思っている」
「町って……あの、ぼくが追いかけてきた『頑張亭』のある町ですか?」
「そうだ」
「えぇっ! い、いいんですか? また戻ることになっちゃう……」
トレイの言う通りだった。
レンはトレイが出発した町、そして次の町へ移動したあと、大草原を横断しつつミントをピックアップして、いまこの町へとやって来たのだ。それをトレイのいた町へ戻るというのは、正真正銘「出戻り」というやつである。
「じゃあ、今度はフォレストバードのタクシーなしで、トレイは自力で店まで戻れるっていう自信があるんだな?」
レンも真っ赤なリンゴをかじりながら言う。
レンの歯型は、ミントのそれと似ていた。
「ううううう……」
「なんだ、いやか?」
レンが尋ねると、トレイはぶんぶんと首を横に振りその場で土下座した。
「ありがとうございますっ! すごく安心して帰ることができますっ!」
***
大草原に、再びやって来た。
今度は誰も助けねぇぞ、と心に誓いながら、レンは大きなリュックサックを背負い(旅に必要な道具、水や食料などもしっかりと買い足してある)、片手でミントの小さな手を掴みながら、気もちゆっくりと歩きはじめた。
テコテコテコテコ……
——一体いつ着くんだろうか
レンとミントの隣には、栗の木のお盆を携えたトレイ。
優しいナチュラルカラーで丸みのあるフォルムは、乗せた食器を映えさせ、豊かな食卓を彩ること請け合いだ。
だがここは大草原。
トレイの持つ盆は、なんの役にも立たないのだった。
テッテコテッテコテッテコテッテコ……
——小走りにしたら、ミントのやつ、汗かいてきたな
ちょっと遠くまで来ると、ちょうどいいところに低い木が生えていたので、休憩をとることにした。木で造られた小ぶりの椀(ミント専用の茶器)に水を注いでやると、ミントは美味しそうにのみ干した。
——一体いつ着くんだ、これ
視力がすこぶる良いトレイに聞いてみた。
「トレイ、おれたちがさっき出発した町は、まだ見えるのか?」
「はい。見えますよ」
——見えるのか。先は、長ぇぞ……
レンはがっくりと肩を降ろした。ミントとトレイだけが楽しそうに何かをずっとしゃべっていた。
ひとり旅なら一日で横断できる距離を、今度ばかりは子供二人に無理させるわけにはいかない。体力が意外とあるミント、息はあがっていないようだが、休憩と背中を拭いてやることは時々挟む必要がありそうだ。
「あせもになるなよ」
守りの加護がある特殊なローブは、あせもも防いでくれるのだろうか? 健康状態、歯磨き、しっかりと栄養のある食事、良質な睡眠、レンのやることは終わらない。最終的にレンは背負っている荷物の上にミントを乗せ、トレイを小脇に抱えて、走っていた。
頑張亭に向かって、頑張るレン。
レンはほんとうに頑張った。
だが。
走ったけれど、
頑張ったけれど、
「…………間に合わなかった、のか」
レンとミント、トレイは立ち尽くしていた。
***
「こんなことって……」
真っ青な顔でトレイがつぶやいた。
レンがすこし前に立ち寄った、トレイが働いている町。名前もなかったあのころ……経験もないけれど、やる気だけはあるのでホールスタッフとして雇ってもらえた大切な職場が、いまや瓦礫の山と化していた。
近くを通った町民がいたので尋ねると、数日前にオークの大群がやって来て、戦いの最中、頑張亭が火の海となり——全焼してしまったとのこと。残念ながら店主を含むご家族が命を失ってしまった。
たった数日。
テコテコ歩いていたとき、もしかすると……と考えてしまう。
レンは顔を伏せた。トレイに合わせる顔がない、と思った。
静かに霧のような雨が降ってきた。しとしとと降る雨粒は、燃えた残骸をしっとりと湿らせ、助からなかったトレイの大切な人の骸を包み込む。
「また、家族をなくしてしまいました…………」
その言葉に、レンはそっと隣のトレイを見下ろした。視点が定まらず表情が消えた少年。これから先、一歩を踏み出そうとした足もとが、急にぽっかりと、穴が空いたようになってしまったときのような顔。
——また、とはどういうことだろうか
レンは雨に打たれながら思う。だが口は動かなかった。何も言うことができず、遠いむかしの記憶がふっと蘇る。
レンはむかし、別の町でも、おなじように家が全焼して家族を失ってしまった幼い子供を見たことがあった。トレイよりは小さかったのかもしれない。父親、母親、弟を失ってしまった。たったひとり取り残されて、呆然としていた子供の面影と、現実のトレイの顔が重なった。
レンは手を伸ばし、トレイの頭をわしゃわしゃとなでた。
それしか分からなかった。ごめん、とも、これからどうする、とも、言えなくて、ただなでることしかできなかった——……。
(つづく)
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