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【紫陽花と太陽・上】第十一話 一歩、前へ

 冷蔵庫の開く音で目が覚めた。
 小さいが水が流れる音、お皿が重なる音、トントントンという包丁の心地よい音が聞こえる。
(ここは、どこだ?)
 ゆっくりと起き上がり、辺りを見回した。和室らしい。小ぶりのお仏壇の前に布団が並べられ、隣の布団はからっぽで、反対側の布団には……布団にかろうじて腰と足が乗っかっているが、ほとんど床の上で大の字に眠っている椿つばきちゃんが目に入った。パジャマがめくれておへそが見える。
 起こさないようにそうっと彼女を布団に戻し、薄い肌掛けをかけてやった。
 かける時、自分の両手首が赤くなっているのが目に入り息を呑んだ。
 見慣れぬ部屋をそろりと這い出し、襖を開けた。

 台所はリビングの向こう側にあるようだ。襖を開けた途端、出汁とごはんの炊きあがる香りがした。
 トントントン、トントントン。
 一歩足を出すと、くしゃりと音がしたので足元を見た。ピンクで花がらの折り紙(が丸められている)を拾い上げ、もう一歩足を出すと何かを蹴っ飛ばしてしまった。慌てて蹴ったものを探すと、何かのキャラクターのストラップだった。それも拾い上げ、台所まで来た。

 遼介りょうすけがいた。
 エプロンを付けて、鍋を沸かし、大根を刻んで卵を割り……。
「うわっ! あずささん! いたの!」
 ぼうっと立っていた私に気が付き、遼介が飛び上がって驚いた。
「あー、びっくりしたぁ。……あっ、おはようございます!」
「……うん」
「おはようございます。……もしかして起こしちゃった? うるさかったかな」
 急いで首を横に振った。黒のTシャツにクリーム色の生成りのエプロンを付けた遼介は、ほっと安心した顔をした。
 遼介と台所の様子を交互に見ていたら、遼介が急にコンロの火を消した。
「あずささん」
「……ひぇっ」
 突然、遼介ががしっと私を抱きしめてきた。急に心臓がバクバク鳴り出した。
「ど、どうしたっ……」
「あずささん、うちに来てくれて、ありがとう」
(何のことだ? なぜ礼を言われなくてはならないんだ?)
 手に持っていた折り紙がくしゃっと音を立てた。
「……何持ってるの?」
「……ちょっと、蹴飛ばしてしまって」
 右手には折り紙、左手にはストラップを持った私を見て、遼介がぶっと吹き出した。
「何、これ?」
 持っていた物に触ろうと遼介が手を伸ばした。私の手首の色に気が付き、びくりと固まった。すごく悲しそうな顔をした気がしたが、それも一瞬で、再び私を抱きしめた。
「僕のうちに来てくれたから、あずささんが無事だった」
 無事じゃないのかもしれないけど、一人でどこかに行っちゃうよりはうちに来てくれてよかった、と小さな声で言った。
 遼介が私の目元にそっと触れて「目、少し腫れちゃったね」と言った。
 声が涙声になっていた。
「遼介の方が泣いてるぞ。泣く必要、ないのに」
「あー……、そうだねぇ」
「昨日の夜、今、思い出してきた」
「……うぐ」
「だから、遼介が、泣く必要は、ない」
「……僕、すぐ泣くんだ」

 遼介はひとしきり泣いたらスッキリしたようだった。
 それからトイレを借り、朝ごはんの支度を二人でやった。
 ごはん、大根と油揚げの味噌汁、卵焼き、きゅうりの甘酢和え、にんじんのサラダ。
 台所に、私ではない人がいる。不思議なことだった。

 *  *  *

 昨晩の出来事をだんだんと思い出してきた。
「少しは眠れたかな」
 遼介のお父さんが優しく話しかけてくれた。まるで眼鏡をかけた遼介みたいだ。ふわりと微笑んで、膝に乗っている椿ちゃんの頭を撫でている。
「父さん、昨日、あれからどうなったの?」
 遼介が不安そうな顔で尋ねた。
 昨夜、私は兄に暴行を受けて逃げてきたのだ。遼介のいるこの家に。そして、たまたまいた遼介のお父さんに諭されて、まずは一晩泊まるよう勧められてそのまま寝てしまったのだ。
 私の保護者は兄だ。私がどこにいるのか、友人の家にいるならその旨を保護者に連絡する……といって、それから? どうなった?
「昨日、つよしくんのご両親に来てもらった」
「えっ? あの後に?」
「もし居場所を言ったら、絶対うちに来ると思ったのよ」
「専門家の意見も聞きたかったしね」
(専門家……?)
 私がよっぽど困惑していた顔をしていたのだろう。遼介のお父さんが私に向き直った。
五十嵐いがらし剛くん、は会ったことはあるかな?」
「……は、はい」
「剛くんのご両親は実は警察官なんだ」
(そうだったのか)
 私は目を丸くした。あの口がすこぶる悪い男が、警察官の息子だったとは。
「特にお義母さんの方は生活安全課にいる方でね。詳しい相談ができると思ったんだ」
「……はい」
「結論から言うと、あずさちゃんは今日からうちで暮らすことになる」
「え……」
「えっ!」
「いや、暮らしてほしいというのが本音かな。どうしても嫌だというなら無理強いはできないけれど、それか違う方法もいくつかあるけれど、昨日出した僕らが良いと思った方法は、うちで君を引き取ること」
「……それは」
「まぁ、急に言われてもね。びっくりしてしまうだろうね」
 頭がついていかない。そんなことが本当にできるのだろうか?
「あずささん!」
「……ひぇっ」
 遼介が全体重をかけて抱きついてきた。重みで思わず後ろにのけぞってしまう。
「一緒! 一緒だって! すごいよ!」
 ガクガクと身体を揺すられながら、たった今言われたことを反芻する。


 兄のいるあの家に、本当は戻らないといけない。
 私の家はあの家だ。他に居場所はない。昔住んでいた家は引っ越しの時に手放したから、もう戻ることはできない。
 あの四角い家で、兄と、私と、困った時に百合さんに相談して、ずっとやってきた。
 それをやめる。本当に許されるのだろうか?
 戻らないと兄はどうなるのだろうか?
 あの首に手をかけた兄の恐ろしい目。私は死んだほうが良かったのだろうか? 殺すために、首を締めたのではなかったのか?
 そう考えると、戻らないといけないわけではないように思う。
 私は生きていた。
 意識が少し戻った時、兄は私の足を触ろうとしていた。……なぜ?
 それに、身体に触られるのは、私は、嫌だと思ったんだ。
 嫌だと。
 嫌だ。
 そう、確かに思ったんだ……。


「じゃああずささんは、僕たちの兄妹になるってこと? すい、あずさ、になるの?」
「いや、名前はそのままだよ。家族みたい、になるってことさ」
 遼介がお父さんと何やら話している。
「へぇー、そんなことができるのか。父さんは魔法使いみたいだねっ」
 呑気に感心している遼介の隣で桐華とうかさんが不安そうに聞いた。
「でも、居場所は結局教えない方向になったのよね」
「そうだな」
「学校には? 役所には? 手続きとかあるのよね?」
「そうだな。大丈夫、俺がやるから」
「でもお父さん、今日帰るんじゃなかったっけ」
 どんどん話が進んでいく。気が付くと遼介が私の背中をさすってくれていた。
「だいじょうぶ?」
 こくんと頷く。私は今まで何回背中をさすられたのだろう。

 そろりと自分の手を見る。
 嫌、という感情は、一体どこから湧き出てくるものなのだろう。
 どうして、遼介に背を触れられても怖くないのだろうか。安心してしまうのだろうか。
「あずさお姉ちゃん」
 椿ちゃんが私を呼んだ。
「私ね、あずさお姉ちゃんとずっといっしょがいいなぁ」
「……そうか」
「うん!」
「僕も僕も!」
 自分の気持ちを理解し、人に伝える。それが、私にはうまくできない。
 私がいるべき場所がここで良いのか分からないのだけれど。
 椿ちゃんが、遼介が、望むのならば。

 ……応えたい。

 私は震える手で遼介のエプロンの端の端をきゅっと握った。彼は驚いて私を見、ふわりと微笑んで言った。
「僕の家族になった記念日。おめでとうだね!」


 『あずささんのおやくそく』
 一、お兄さんに住んでいることを知られないようにする
 二、剛には言っていい でもクラスメイトには言わないようにする
 三、学校は、今まで通り行く
 四、縛られない

「父さん、一から三は分かったけど、四ってどういうこと?」
 遼介の家族で話し合い、私に対するおやくそく(不思議な言い回しだ)が決められた。
「本当に縄使って縛るわけじゃないからなー、遼介ー」
「う、それは分かるけど……」
「いや、絶対あんた、本当にあずさちゃんを縛ってるところを想像したでしょ」
「違う言い方の方が良かったかな」
 そう言って、遼介のお父さんは「自由ってこと」と付け加えた。
「あずさちゃんは自分の人生をしっかりと生きてほしい、ということだ」
「……よく、分からないのですが」
「ふふ、そうか。まぁ、これから末永いお付き合いになりそうだし、追々伝えていくよ」

 朝ごはんの後片付けを遼介と一緒にした。
 遼介が食器を洗い、それを私が湯で泡を流す。洗いかごに積み上げて、二人で拭く。
「二人でやると、すごい早い」
 ふふんと遼介が笑う。この家は家族が多い。父親、姉二人、妹、遼介と私。六人分の食事ともなると、食事の量も使う食器の数も私の知る今までと全然違う。
 二人で黙々とお皿を拭きながら、私はポツリと呟いた。
「こんなにたくさんの家族の」
「うん?」
「たくさんの食事を、作っているんだな。遼介は」
「うん」
「片付けも」
「……そうだね」
「一人で。ずっと。それは、とてもすごいことだ」
 遼介が目を瞠る。皿を拭いて置いて、拭いて置いて、重ねて片付けて、また拭く。
「あずささんもごはん作ったりしたんだもんね?」
「そうだな」
「いつから? お弁当はいつもあずささんが自分で作ってたよね」
 いつからだ? 過去をよぉく思い出してみる。
「十歳くらいから、か……」
「あぁ、僕も同じくらいからだ」
「百合さんから、料理の基本の手ほどきを受けながら。もう、あまり覚えていないが」
「ゆりさん?」
「私に、いろいろなことを教えてくれた人」
「あずささんのだし巻き卵、すごく美味しかったなぁ」
「……今度、作る」
「ほんと? やった! でもちゃんと料理、教わったんだね、すごい!」
 拭いて置いて、拭いて置いて、重ねて片付けて、最後に作業台を拭き上げた。

 遼介の母親は他界していると聞いた。
 前にこの家でお茶をいただいた時はカウンターに母親の写真が飾ってあった。
 しかし、今遼介は誰からも料理を教わっていないようなことを言っていた。
 母から料理を教えてほしいと思ったこともあるのだろうか?

 朝ごはんの片付けも終わって、遼介がリビングのソファにごろんと寝転がった。
 私は何をすればいいのか分からず、カウンターの近くに静かに立っていた。
 遠くで椿ちゃんのはしゃぐ声が聞こえる。
 桐華さんや梨枝りえさん、おじさんの話す声も。
 目を閉じて深呼吸をしてみた。スー、ハー、スー、ハー……。
 目を開けた。リビングの床にはたくさんの物が積み上がったり転がったりしていた。先ほど私が蹴っ飛ばしてしまった物以外にも、女の子のお人形やお菓子の箱、ペンなども落ちていた。
 気が付くと手首をさすっていた。さっきまでは気にもしなかった痛みが急に感じられた。
 寝っ転がって大きく伸びをしていた遼介が急にガバリと起き上がった。
「手、冷やそう。見せて」
「え」
 手首の赤みは昨晩兄に強い力で引きずられた時におそらく付いたものだと思う。今までにもよくあったことだから大したことではないのに。
 遼介が救急箱から湿布と包帯を取り出し、私の手を取って優しく手当をしてくれた。
「早く治るといいなぁ」
 ぐぐ、と手をかざして「治れー!」とまじないのような動作をした。
「それで治るのか?」
「えっ? いや、気休めと言うか……」
「いや、すまない。ありがとう」
「う、うん。……あずささんって、ものすごぉーく真面目だよね」

 少しずつ、人の声や音に気が付き始めた。
 見えなかった風景も目に入るようになった。
 私の周りにあった膜のようなものが、一度は濃くなったが、また薄くなる感覚がした。

 霧がかった思考がだんだんと動き始めてきた……。

 *  *  *

 夏休みが明け、新学期。気温はまだまだ高く蒸し暑い日が続いていた。
「よし、じゃあ行こうか」
「うん」
 遼介が椿ちゃんの手を繋ぎ玄関の鍵をかけた。
 私は自分と椿ちゃんの荷物を持ち、隣で待つ。
 遼介の家に住み始めてから数日が経った。毎晩、夜に飛び起きた。その度に汗で湿った背を遼介にさすってもらったり、眠れるようにとホットミルクを作ってもらったり、大変迷惑をかけてしまった。
 それでも昼間はたくさんの「やるべきこと」があって、毎日忙しかった。
「新しいリュックサック、似合ってるね」
 私が今まで使っていたあらゆるものは、兄の家に置いてきた。取りに行こうかとも考えたが、遼介や彼の家族にものすごい剣幕で止められた。
 仕方なく百合さんに連絡をして、近くの店で会って話をして(状況の説明は遼介のおじさんがしてくれた)、身の回りの全ての物を買い直した。——制服から鞄、靴、パジャマ、靴下、普段着、文房具、教科書、歯ブラシ、その他たくさんのどうしても必要な物たちを。
 荷物が多すぎるから、とタクシーで買い物に行く私を、遼介が笑いながら見送ってくれた。以前、タクシーを使った話をしたら「お嬢様」扱いされたのだ。私は遼介を軽く睨んだ。

 今、私たちは椿ちゃんを保育園に送っていくところだ。
 朝の支度がすごく楽だった、と遼介は嬉しそうに笑った。
 今日の椿ちゃんの髪は私が結ったものだ。両サイドを三つ編みにして苺のヘアゴムで結んだら、椿ちゃんはとてもとても喜んでくれた。
「いってらっしゃーい」
「いってきまーす!」
 園の玄関でしっかりと椿ちゃんを預けた。
 遼介が腕時計を見て微笑んだ。
「すごい、これなら遅刻しなくて済みそう」
「そうか」
 並んで歩く。今までも歩いたことのある風景のはずだが、今朝の空気はとても心地よい。
 園と家と学校と。
 そういえば……と、ふと思い出す。
 遼介は、ほとんど毎日学校に遅刻をしてきていた。ギリギリの時間に慌ただしく駆け込んできたことも何度かあった。それは、つまり、椿ちゃんの送迎があったからで……。
 また、この数日で、私は遼介の起床時間がとても早いことを知った。
 朝五時。彼は起きて、顔を洗い、急いで台所で準備をする。
 出発時間が早い桐華さんと梨枝さんのお弁当、自分のお弁当、そして家族の朝ごはん。
 手際が悪いから早く起きないと間に合わなくて、と遼介は言っていた。
 そして思い出す。遼介が授業中すぐに居眠りをしてしまうことを。
 それは、つまり、こういうことだったのだ。
 私は何も知らなかった。
 もっとも、遼介だって知ってほしいとは思っていない。家族にとって必要だからやっているだけだ。
「久しぶりの学校、割と遠いなぁ」
「そうなのか?」
「うん、こう……暑いと、道のりが遠い……」
「確かに、今日もすごく暑いな……」
「あー、カルピス飲みたい!」
 ふ、と私は目元が綻んだように感じた。遼介はカルピスが好きみたいだ。それも、ここ数日で初めて知った。
「あれ、あずささん、今笑った?」
 探るような視線から逃れようと、下を向いてそっぽを向く。
 私たちは、時間に追われることなくゆっくりと学校へ歩いていった。

 ◇

「百合」
「何でしょうか」
「あずさがどこにいったのか、教えろ」
「申し訳ございません。私には分かりかねます」
 俺はイライラして指で机を叩きながら、百合に問うた。目の前の百合は表情一つ変えずに即答した。少しつり上がった大きな瞳の奥を見ても、一体何を考えているのかさっぱり分からない。白く長い髪を後ろでゆるくまとめている、頭が切れ穏やかな物腰の、この老女。
鋭司えいじ様、一体何があったのでしょうか。差し出がましいことと存じますが、何かご存知なのでしたら教えていただきたいのです」
 百合から逆に問いただされた。
 俺の方が困惑していた。
 あずさが俺の元を去って、数日経った。
 どんなに痛めつけても、わざと口汚い言葉で罵っても、あいつは俺から離れることはなかった。
 あいつは一人で生きていけるような女ではない。そういう風に、俺を拾ったあの義親父が育てたのだから。従順で命じられるままに操れる、素直で愚かな女だ。
 いずれ俺のものになるはずだったのに。
 義親父はもうこの世にはいない。あの聡明で美々しい女となら俺に似て才力が豊かな子が生まれるに違いない。
 握った拳から血がにじんだ。
「何も」
 俺は百合を睨みつけた。
「そうですか。……それでは、本日のご予定を申し上げてもよろしいでしょうか」
「……言え」
「かしこまりました」
 百合が淀みなく今日の予定を話していた。俺は記憶力の良い頭に情報を叩き込みながら、目の前の光景にうんざりとした。
 掃除をする人間がいなくなったこの家は、雑然としていた。
 俺の心のように、薄汚れて、荒んで、どうしようもなく寂しい。

 あずさがいなくなった。その事実に、俺は打ちのめされていた——。

 ◇

「翠我くん! 今日、一緒に帰ろう!」
 始業式と簡単なホームルームが終わると、ひいらぎさんが僕のクラスにやってきた。
 そうだった、付き合ってるってことになってるんだっけ、と何やらため息が出た。
 今日は僕もあずささんも帰宅時間が早いので、ドラッグストアに寄ろうかという話になっていた。椿がよく熱を出すので、冷えピタ(おでこに貼る冷たい湿布みたいなシールだ)と絆創膏、歯ブラシなどを買いに行こうと思っていたのだ。
「ええと、今日は……」
 言い淀んでいると、柊さんが僕の腕を取って、廊下へと連れ出した。
「柊さん、どうしたの?」
「翠我くん、せっかく夏休みが終わったのに、私と一緒に帰りたくないの?」
 柊さんが目をうるませてじっと僕を見つめてきた。……どうしよう。困った。本当に困ってしまった。
「帰りたくないわけじゃないんだけど、僕たち、家が別方向でしょ? 一緒に帰るって言っても、すぐ別れちゃうからさ」
「それでもいいの」
「そうなんだ」
 僕は悩んだ。夏休み前に剛と話をしたことを、一生懸命思い出す。

 ……剛、付き合うって、どういうことだと思う?
 ……一緒に話したり、一緒に帰ったり? 一緒に『何か』するんじゃねぇのか
 ……好きだから、一緒にいる。好きだから、相手を思いやる。お互いに
 そういうことを、話した気がする。

 結局その時は、どうすることが付き合うことになるのか、僕も剛も答えが出なかったので、様子を見ようという話になったのだ。
 うぅむ……。僕は口元に手を置いた。
 柊さんは分かれ道のところまで一緒に帰るのでいいのだという。それなら今日はできそうだ。
「柊さん、帰るの、あずささんも一緒でいい?」
 僕が聞くと、柊さんの顔が強張った。……何かまずいこと、言ったのかな?
「……私は、二人だけで、帰りたいの……」
「そうなんだ」
「……できたら、帰り道でいっぱいお話したいんだけど……」
「話」
「……」
 また柊さんが上目遣いで僕を見た。仕方がないので、ちょっと待ってねと断りを入れ、僕は廊下から教室まで戻って行った。
「あずささん、悪いんだけど、今日は別々に帰るのでいいかな……?」
 あずささんがキョトンとして僕を見た。僕は頭をかきながらちょっと考えて、鞄から自宅の鍵を取り出し、あずささんに手渡した。
「柊さんが、今日は一緒に帰りたいっていうから、ごめん。これ、家の鍵。渡しておくね」
「あ、あぁ……」
「買い物は後で行くから待っててほしい。それか、僕が一人で買ってくるし」
「あの女性と予定があるのだろう? それなら私が買い物に行くが……」
「一人で外、歩くのは怖くない? 大丈夫?」
 僕があずささんに聞くと、彼女はサッと顔を青くして俯いた。
「……すまない。家で待っているから、後で一緒に……」
「うん」
 簡単なやり取りの後、僕はもう一度廊下にいる柊さんのところまで向かった。
「帰ろうか?」
「うん!」
 柊さんを促しつつ僕はハタと気が付いた。一人で歩くのが怖いなら、僕があずささんと一緒に帰れない今の状況は、あまり良くないのではないだろうか?
 えぇと、じゃあどうしたらいいのかな? というか、明日も明後日も、柊さんは一緒に帰ろうって言ってくるのかな?
 隣で柊さんが何か話していたが頭に全然入ってこない。
 何だかちょっと、めんどくさい。
 ……そう感じている自分に、僕は少し驚いた。


(つづく)

(第一話はこちらから)

読者のみなさまへ
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