長編小説「3色だんごの子連れ旅」 2-12
ブルードラゴンのハープの妹、マリンバは、猫のようにつり上がった目でレンを睨み、怒鳴った。
「助けてと頼んだつもりはないわっ! わたしに触らないでちょうだい!」
「……わかった、離すよ」
苦笑しつつ、レンはマリンバから手を離した。
どのみちレンの体重は相当量なので、マリンバに掴まっていたら彼女はうまく飛べなくなるはずだ。それにしてもダーク・ウィッチとやらは食に貪欲で、隙あらば何でも取り込もうとするので厄介だ、とレンは思う。
——あの腹の口さえどうにかすればいいんだが……
着地とともに地面が陥没した。
レンは腰に手を当てて考える。見れば、ダーク・ウィッチもマリンバとおなじく宙に浮いていた。
——あいつ、空中飛行できんのか
ダーク・ウィッチは言っていた。
『そうだ。我は世界の最強を追い求める至高な存在。より高みを目指すためにあらゆる命を糧にし、能力を引き出す力を得ているのだ。スライムとて価値がある。その柔軟性、弾力性は戦闘時において非常に優れた能力となるのだ。ヒュドラは美味だった。人智を越えた強さを食すことで、我はまた一歩、至高の存在に近づくことができたのだからな……!』
つまり、いままで体に取り込んだものの能力がダーク・ウィッチは使える、ということになる。レンの数々の猛攻にすら耐えてきたその、タイミングの良さも、もしかしたら過去にたべたというホワイトドラゴンの加護『幸運』なのかもしれない。
——飛行モンスターなんてゴマンといるからな。だが飛べるかどうかで戦いに不利が生じることは、おれの場合はあまり関係がないが……
「くっ……! わたしをたべようだなんて、おこがましいにもほどがあるッ! 次代の贄になっているわたしを甘く見るなッ! 貴様のその気色悪い体ごと氷漬けにして、二度と食事にありつけなくさせてやるッ!」
マリンバが白い細腕でぴしっとダーク・ウィッチを指さして吠えた。
ノースリーブで腿までのタイトなワンピースは露出が多い服である。そして、発言も一言多かった。
「ほう……。次代の贄ということは、貴女の魔力も相当……」
ダーク・ウィッチが目深にかぶったフードから唯一見えている口で、ぺろりと舌なめずりをした。
それを見たマリンバは戦慄する。しまったと思ったが遅かった。
ダーク・ウィッチの腹部がぞわぞわと動いた。
そして、男の足先から空中に巨大な魔法陣が描かれた。
シャン、シャン、シャン、シャンッ
天秤を模した杖の先端。秤に乗せられるのは、正義か、不義……いや、他人の正義。すべての存在は己の内にそれぞれの正義があり、こだわりがある。それらは他人とは決しておなじにはならない。
食事という行為も然り。
摂取という意味も然り。
生命を取り込むことに、満足するラインはひとそれぞれ。
たった小さなパンひとつでも満ち足りる人もいれば、たべてもたべてもまだ欲しがるミントのような大食漢の人もいる。ミントは人ではないが。
生き物が本能で理解しているはずの、生命をつなぐ必要最低量をはるかに越える量をオーバーしてもなお欲するのは、欲が深いからなのか。
マリンバとダーク・ウィッチの戦いの音を聴きながらレンは目を伏せる。
食うか、食われるか。
この戦いはどうしてこうなったのか。
なぜ、争わなければならないのか。
お互い、食には、困っていないはずなのに。
生きることに、困ってはいないはずなのに。
——どうか、どうか、皆が心穏やかになりますように
ハープの願いを叶えてやりたい。レンは目を閉じて拳を握りしめる。
ひとりでも、心穏やかになる人が増えるようにと、見えた先から誰かを助けてきた。手を差し伸べてきた。自分にできることを、できる範囲でやってきた。
けれど、なくならない。
争いは、いつもどこかにある。
——どうして争わなければならないのだろうか
——どうして強さを求めようとするのだろうか
レンには分からなかった。
圧倒的な強さを持つレンには、どうしても、理解できなかった。
「…………強くなった先のことは、強くならないと分からないのか……」
レンは再び大きく跳躍した。
向かったのは、マリンバの背中。
マリンバの足首に先ほどとおなじようにツタがからみつき、腿には蛇が巻き付いていた。うまく飛べずにバッサバッサと羽ばたく音だけが虚しく神殿内に響き渡る。
ダーク・ウィッチの腹の大口がいままさにのみ込もうとした瞬間、レンが足を振り上げた。
「食われたいのか」
そのまま斜めに蹴り上げた。口のなかびっしりと埋まっている歯列を薙ぎ払い、それから黒く大きな顎を膝蹴りした。
「…………グゥゥウッ……!」
ダーク・ウィッチが苦しそうに呻いた。顎を膝蹴り、続いて顎の根本を低く蹴り、口がだらりと垂れ下がったところに上からかかと落としをぶち込んだ。
「うっ……! くっ……!」
「どこか怪我でもしたんなら、後で自分で治癒でもしろ。お前は治癒魔法が得意だとハープから聞いている。奴に食われる前にとっとと逃げろ」
苦悶の表情のマリンバに、レンは淡々と告げた。
マリンバの目が見開かれる。
「……なぜ、ねえさんから……。あなた、まさか……!」
レンの瞳が再び赤く光り出した。
重みで徐々に落下しつつあるマリンバを乱暴に追いやり、レンは空中でダーク・ウィッチとの戦いを再開する。
トレイは遠くからそれを見ていた。
(さっきよりもスピードがさらに上がっている……!)
もはや視認できるような戦いではなかった。バチバチと衝突する閃光と、レンの両瞳から燃えているネオンサインのような赤い線と、ゆっくりと降下していっているダーク・ウィッチの姿。
レンがこれほど攻撃をやめないということは、相手の力も相当なものなのだろうが、話し合いでは解決できないと判断したのだろうとトレイは思う。
戦うことが好きではないレン。強いけど、平和を望むレン。
トレイは哀しい気もちでいっぱいだった。
振り向くと、レンのことを見ているミントの顔も沈んでいた。
「レン……負けちゃやだよぉ……」
ミントが小さくつぶやく。
そうだね、と祈りを込めて、トレイはミントの手を強く握り返した。
ダーク・ウィッチは苦戦を強いられていた。
これほどまでに強い相手とは戦ったことがなかった。
世界の広さと、己の弱さに打ちのめされる。
しかし、ダーク・ウィッチは諦めなかった。
食に貪欲に。
力は正義だ。
ダーク・ウィッチは、上の口も腹の口も、にたりと口角を上げた。
——いまこいつ、笑った
冷静に蹴りを繰り出しながら、レンは思った。
最後の一発をどこで出そうか思案しながら。
だが、胸糞悪い微笑みを見て決心する。この存在は更生などしないと。
そもそもダーク・ウィッチは『己を高めるために好き勝手に相手の命を取り込むこと』を悪いことであると認識すらしていない。
物事の善し悪しをレンの価値観だけで判断していいかどうかは慎重になる必要があるが、それでも物事には適量というものがあるだろう。
塩加減を間違えれば、うまい素材も食えなくなる。
過剰な栄養は、身を滅ぼす。
自分に必要な量を、必要なだけ。
足るを知る。
レンの持論だった。
そして有言実行、レンは歯を食いしばって全神経を集中させた。
「足るを知れ……ッ! ダーク・ウィッチ……!」
薙ぎ払った大きな口のなかの牙が再び生えだしてきた。その、尋常ではない回復力も、いつか取り込んだ生き物の能力なのだろう。
レンはダーク・ウィッチの首もとを掴んで顔面に膝蹴りを食らわせた。
鈍い音がしたが、シャン、シャンという杖を振る音は続いている。
大岩がレンのほうへ降ってきて、それをガントレットで受け止めて、わずかに残った理性でハープのいる氷柱とは反対側へと払っていく。
レンが長い足で大きく蹴り上げた。
「ぐっ…………ふふふふふ……ッ!」
不敵に笑うダーク・ウィッチは、レンの渾身の一発を、魔法陣を出現させて受け止めることに成功した。攻撃箇所を予測して防御の陣を敷く。
男はにやりと笑った。
「ふ、ふ、ふ、貴公の攻撃パターンは既に読み取った……! 防御のための魔力が足りなければ贄を削ってたべればよいのだ……! ここにはいくらでも恵みの加護がある! 貴公の体力、はたしていつまでもつのか……」
清らかな魔力を伴った水で傷を癒やしていたマリンバは唇を噛んだ。
贄を閉じ込めている氷柱に亀裂はあるものの、ハープの魔力はいまだ衰えを見せていない。魔法使いにとって魔力がなくなることは危機的状況であるが、つまりは魔力さえあればいくらでも戦うことが可能となる。
「そうかよ」
レンは表情を変えなかった。
そのまま、ダーク・ウィッチの顎にフックを引っかけるように半円を描いて頑強な拳を撃ち抜いた。
いままでの蹴りは、すべてがフェイントだった。
渾身の一撃は、蹴りではなく、ナックルダスターを仕込んだその拳。
レッドドラゴンの全体重を注ぎ込んだ、強烈な一撃。
ダーク・ウィッチの脳天が揺れた。
神殿そのものがぐらりと揺れた。
トレイはミントの手を繋いだまま、辺りを見回した。
コン、ゴワン、と背にある栗の木の盆に何かが当たっている音がする。
「え……。え? えっ?」
ハープが見えている壁面の全体に、一瞬でヒビが入った。
「あぁっ! 氷の壁が! あれじゃあ、こなこなになっちゃう!」
ミントが壁を指さして叫んだ。
さっきまで一部だけだった亀裂が、あっという間に全体に広がって。
そして崩れる。すこしどころではない。
ぼろぼろと、がらがらと、止まることなく崩れていく。
「……ッ! ハープッ! ハープッ!!」
「ねえさんッ! いやぁぁあ! ハープねえさんッ!」
レンとマリンバが絶叫する。
崩れていく。
かろうじてハープをうっすらと描いていた色たちがなくなっていく。
閉じ込められた水の泡や粒もなくなっていく。
いつの間にかトレイは泣いていた。
(どうしてだろう。あの氷のなかのハープさんのことを、ぼくは知らないはずなのに。なんでこんなに苦しいんだろう。……レンが、あんなに泣いている。叫んでいる。いやだ……。崩れてしまう。ハープさんがいなくなってしまう……!)
「レン……! ハープさん……!」
ぼたぼたと泣きながら、レンは涙を拭くことなくただ立っていた。
ハープの氷柱の上部はもうほとんど崩れていた。
そして忍び寄る黒い影。
(影が、見える)
泣きながら、トレイは必死に頭を動かす。
どうして動くものがあるんだろう、と訝しむ。
崩れる影、舞い散っていく魔力の結晶。
それとは相容れぬほどぞっとする、影。
(逃げないと……!)
ハッと気づいて、トレイは駆け出した。
ミントの手を引っ張りながら、影から逃げた。
逃げなくてはいけない。
(レンは、いま、それどころじゃないから)
逃げなくてはいけない。
(ほくは……レンの足枷になりたくない…………!)
「うわぁぁん! トレイィ!」
ミントが転んだ。
白いローブがはたして何を守り、どこまで守れるのか、トレイには分からない。頑張るしかない、その気もちでトレイはミントをかばう。
ミントを抱きしめたトレイに
影が忍び寄る。
(つづく)
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