長編小説「3色だんごの子連れ旅」 2-10
レンは、うごめいている黒いローブを纏った男に問う。
「……お前は、ダーク・ウィッチか?」
レンが足技で叩きつけた石床は陥没し、クモの巣のような亀裂が入っていた。その中央ですこし動きはじめた男は、やがてむくりと起き上がった。
それを遠くから見ていたトレイはひゅっと息を呑んだ。
(顔が、ない……!)
口はある。顔の下半分に、にやりと笑った口がひとつ。
だが目や眉や鼻などの他のパーツがなかった。いままで深く被っていたフードが外れたその顔は、口だけの、人間ではない存在を示していた。
男はさっとフードを再びかぶり、口を開く。
「ふふふ……食事をしていて怒られたのはこれがはじめてだ。だが今日ここにこれて良かった。我を怒ってくれるような者と出会い、贄の味はとても美味であり、おまけにおもしろいローブを着た者とも出会うことができた」
男はゆっくりと……ではなく、急にすっくと立ち上がり、杖をふるった。
杖から再び炎が吹き出した。
レンへと高速で噴射されたが、レンは避けなかった。
「……ほぅ」
男が息をもらした。
炎が揺らめくなか、ゆっくりとレンは男のほうへと歩いていった。
髪が燃えることも、肌が焼けることもない。
赤鹿のレザーアーマーは火炎耐性の魔力を付加していると以前、兵や町民にこたえていたこともあったが、実際はそうではない。レンはレッドドラゴンゆえ、火というものがまるで効いていない、それだけだった。
すっと腰を落としたレンは、トレイが瞬きをして次に目を開けたとき、男を蹴っていた。
ハープがいる氷柱ではなく逆方向に男は蹴られた。
しかし蹴られた場所に魔法陣が見えたので、トレイは男が魔法でレンの蹴りを防いだのだと分かった。
男は床を低い位置で吹っ飛びながらも杖をかざす。
杖から再び電撃のような光線が発射された。
それを両腕に付けたガントレットで受け止め、なぎ払うレン。
レンと男が同時に地を蹴った。
中央で、衝突する。
杖から現れる岩や鋭い鍾乳石のようなもの、そのひとつひとつをレンは拳と足で受け止めながら、粉砕していった。驚異的なスピードでお互い攻撃と防御を繰り返す。
レンが粉砕しているのは氷柱を傷つけないようにとの配慮だろう。
トレイはハッとした。
いつの間にか、レンの両瞳は燃えたぎる炎のように光り、スピネルのような赤がジグザグとレンの軌跡を描いていた。
そのあまりにも速すぎる二人の戦いには、たとえ子供であろうが人間であろうが、とても入り込む隙はなかった。
トレイはミントを抱きしめながら、唇を噛みしめる。
自分にできることといえば、邪魔にならないように端っこで待機していることだった。そしてミントと一緒にいること。
鷹並みの視力を持つトレイは、レンを見続けた。
万が一こちらに危険が迫れば、瞬時に判断して動かねばならない。
(レンの邪魔になってはならない)
トレイは大きく息を吸った。
「怒ってほしいならもっと怒ってやろうか、ダーク・ウィッチ」
レンは目を光らせながら言った。
男は否定しない。つまり、本人ということなのだろう。
「いやいや、我は別にマゾヒストではない。あまりにも我が強大な存在故、もはや我を止める者など誰もいないと思っていただけだ。まぁ、貴公のようなすべての物質を破壊できる男も、はじめて出会ったので少々驚いてはいるのだがね」
「食って、どうする」
「おや、食事の内容が気に入らんかね。たべて、糧にする。たべたら、己の力となる。これは世の道理ではないのかな」
「だからって、ヒュドラやスライム、しまいにゃ贄の柱なんて食ってどうするんだ。それになぜ口が顔と腹に二つもあるんだ」
レンの連続蹴りを男は杖から出現させる電撃や岩などで防いだ。両者とも、ものすごいスピードで技を繰り出しつつ、合間に会話も交わしていた。
「お前の杖から出る光線や炎、それはヒュドラの力なのか?」
右足は前に九十度折り曲げ、左足は膝をついてレンは深くしゃがみ込む。
「そうだ。我は世界の最強を追い求める至高な存在。より高みを目指すためにあらゆる命を糧にし、能力を吸収する力を得ているのだ。スライムとて価値がある。その柔軟性、弾力性は戦闘時において非常に優れた能力となるのだ。ヒュドラは美味だった。人智を越えた強さを食すことで、我はまた一歩、至高の存在に近づくことができたのだからな……!」
話が終わると同時にレンは駆け出した。
その男の横っ腹に向かって、足を振る。
「過剰な栄養は身を滅ぼす。……足るを、知れ……っ!!」
一瞬、レンの両瞳が激しく閃光した。
横回し蹴りを杖を垂直にして防いだ男は、防ぎきることができなかったのか体を横に倒すようにして吹っ飛んだ。
「…………がぁあッ!」
男はまだ杖を手放さない。うずくまったまま杖を地面に突き立てると、ぶん……と鈍い音とともに男の周囲に魔法陣が浮かびあがった。レンはとどめとばかりに男の頭部にかかと落としを浴びせるべく、大きく跳躍した。
「その腰に、差している短剣を、貴公はなぜ使わん……! 我を侮辱しているのか……ッ!」
男の腹から再び大きな口がうなりを上げて氷柱に食らいついた。
ガリン、ボリン、と音を立ててハープの柱の一部が削り取られた。
「……てめぇっ!」
レンの足が男の頭部に届く寸前、ハープ……贄の魔力のおかげなのか、魔法陣に水流が巻き付き、レンの攻撃をきっちりと防いだ。
すぐに反撃が開始される。それをレンは軽々と避けた。
トレイは戦いの状況をずっと凝視していた。
たべたものの能力を吸収する、と黒いローブの男は言っていた。先ほどハープの氷柱を、たったわずかではあるもののたべた瞬間、男は水流の力を得て使うことができていた。
(一体、どうしたらいいのだろうか)
レンたちがダーク・ウィッチに会うために旅を続けてきたのは、彼に『これ以上誰かを傷つけないでほしい』とお願いするためだった。傷つけるから、たべられてしまうから、それを恐れてグリーンドラゴンは姿を消してしまったのだ。ダーク・ウィッチが不必要に際限なくたべ続ける限り、グリーンドラゴンは二度と現れないし、ミントは家族と会えない。
「貴公! 我と戦え! 本気で戦え! その腰にある短剣は飾りなどではないはずだッ! 貴公はまだ本気になっていないのだろうッ!?」
「ごちゃごちゃ、うるせぇ——ッ!」
レンはいままでずっと腰に差していた短剣をするりと抜いた。
それをダーク・ウィッチの眼前に掲げ、言い放つ。
「これはッ! 肉をさばく用の短剣だッ! 野菜と果物用は別にあるッ!」
トレイは目を見開いた。
黒いローブの男は、目がないので見開かない。
「なぜ…………二種類ある…………」
(ダーク・ウィッチがツッコんだ……!)
トレイは驚愕した。
レンがさばくときにしかその短剣を使用していないのは知っていた。
宿に置いてあるのでいまここには持っていないが、キッチンナイフがレンがいつも背負っている巨大なリュックサックのなかには入っているはずだ。
「生の肉を切った刃物で、野菜や果物を切ったら衛生面でNGだろうがッ! 子供らに食わせる飯を! すこしでも安全にするのは! 当然だろうがぁ——ッ!」
怒鳴りながらレンは短剣を鞘にしまい、より力を込めて蹴った。と、一度目のそれはフェイントで、蹴った足を軸にして飛び上がり、反対側の足で二度目を蹴った。
二発目も男は防いだが、ついに男の杖はふっ飛ばされ、氷柱の近くへと転がっていった。
トレイは、はたしてダーク・ウィッチは納得したのだろうかとハラハラしながら会話を聞いていた。
「あれ、ミント……」
抱きかかえていたはずのミントがいない!
トレイがあわてて後ろを振り向くと、そこには口を茶色く染めたミントが、目をまんまるにしてトレイを見上げていた。
「ミ゙、ミ゙ントォ……!」
トレイはうめく。ミントの手はぐっちゃぐちゃに汚れており、辺りはほんのりと甘い匂いに包まれていた。
貯古齢糖。
杖を失ったダーク・ウィッチにレンは躊躇なく追撃をする——……。
(つづく)
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