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ヨガの「体験」。全てが、物語の中に入った、という瞬間(マガジン4)


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何がなんだかわからないまま、そのわからないことだからやろうと思い、クンダリーニヨガ クラスに通い続けていた。

だが、週二回だったクラスは、一回しか開けなくなってしまった。

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ヨガをする場所というと、お香がたいてあって、仏像やハスの花の絵画があるようなスタジオをイメージするかもしれない。

だけど、このクラスは違った。友達に頼んで貸してもらっただろうアート教室の一角は、立てかけてあるキャンバスの間を縫うようにマットを敷かなければならなかった。

ヨガ中に目を開ければ、絵筆や絵画作品、様々なものが目に飛び込んで来た。建物内の工事があったり、水音が止まらなかったり、他の部屋からの声がうるさいこともあった。

私も含め、生徒たちも、ヨガがやりたくて、自分で探してきた訳ではなかった。Dさんに誘われたから、たまたま来ただけ。だから、モチベーションはあまりない。他の用事が入れば欠席する。

みんなスタート時間の直前に入って来たし、始まる前も、ホリデーにどこに行く予定だの、子どもの学校でのことなど喋っていた。

ウォームアップなんてする人はいなかった。もっとも、私もそうなのだけれど、ヨガの全く初心者が集まると、ウォームアップと言っても何をしたらいいのかもわからないのだから。

クラスは、時にゆるくなりすぎることもあった。

クラス中、「できない!私は太すぎるのよ」という笑い声がして、その雰囲気が続き、ヨガの緊張感を保つのも難しいこともあった。

そんな様子で、みんな、だんだん、休みがちになった。緩くて、お友達感覚で、難しいクラスだったと思う。「来週からは、週1回にするわ」と、少し困ったようにDさんが言った時にも驚きはなかった。

どうして続けているのかわからないまま、私は、休みなく通い続けた。

私にとって、ここにいる意味は、なんだろうか。

「ここにいる意味」は、私が外国に暮らし始めてから、なんどもなんども痛みを伴いながら、思い返してきたこと。

日本にいるときは、慣れたものに囲まれて、慣れた世界の中にいた。だから、意味を考える必要がなかった。そこで生まれから、そこにいて。大学に進学したから、東京にいて。働き始めたから、職場にいて。

日本を出たら、その物語の中からはみ出てしまって、ふとした瞬間に、

「なにしてるんだろう」と思った。

なぜマレーシアにいるの、と質問されると、その時々で相手が受け入れやすいだろう答えをいうけれど、そのたびに、それは本当ではないんだ、と思っていた。


私は、なぜここにいて、なにしてるの。

ふとした時に、それを思った。

物語から外れて、宙に浮いて。


その日は、クンダリーニヨガ のレッスンにいつものように参加していた。相変わらずの呼吸をしながら体を左右に動かすだのといった運動を終えた。ディープリラクゼーションだからマットに横になって、とDさんが言った。

マットの上に、体を横たえる。疲れたと体を伸ばし、ふと天井を見た。

高い白い天井を見たら、ふっと「ここはどこだろう」と思った。意識では知っている場所だけれど、まるで知らない場所にいるような気がした。

この天井、どこだっけ。

そう思いながら目を瞑ると、自分の体が、床に吸い込まれ、重さを感じなくなった。

眠る直前のように、意識と、意識が消える境界をさまよった。


ふと、意識がはっきりした。気がつかないうちに、目を開けていた。

また天井が見えた。

突然、ここにいること、生きていること、そのしあわせで満たされた。


天井は、今まで見えていたものと違っていた。


これは、私がいて、そして私が見ている天井なんだ。

ここに生きている、そう思ったときに、全てが物語の中に入っていった。


全てが、調和されていて、その中に私もいる。

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これは付け足しだけれど、あとで知ったことでは、クンダリーニヨガ で多幸感を感じることは、全く珍しくない。


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このクラスは、それから少し経って、閉じることになりました。


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※ クンダリーニヨガを体験してみたい人は、60分のトライアルレッスンにご予約ください

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