見出し画像

大きな肯定の中で(マガジン7)


サラは、ポーズに詳しいとか、体の仕組みを理解してるとか、インストラクションが流れるようだとか、そういうティーチャーではなかった。

ポーズをこうしなさいと言われることはほとんどなかった。

サラのあと、そのまま他の先生に変わった時には、私も含めて、みんなポーズをたくさん注意されて驚いた。サラの時には、全く注意されなかったのでそのままだったから。

サラのクラスは、先生が生徒を矯正するというのとは、明らかに違っていた。

ひたすら、私たちを励ます。支える。応援する。


他のクラスメートとサラのクラスについて話した時、ある人はこう言った。

「私ね、他のヨガクラスに行ったけどあまり好きになれなかったわ。

だけどサラのクラスは一回で大好きになったの。

だって、いつもポジティブに応援してくれるでしょ。

それで、頑張ろうって思うの」


サラのクラスでは、ポーズができなくても、苦しくて続けられなくても、それでも応援された。

ポーズが取れない人がいる時に、サラは、よく言った。


'Do not worry about what you CANNOT do today. 

Do what you CAN do today.'

今日できないことを気にする必要はないの。今日、できることをするのよ。


長いマントラを唱える時には、

「間違ってもいい、そんなことは問題じゃないの」

It's OK. 

と言った。マントラすら、「間違っても大丈夫」


いつも、穏やかにそう言った。


それがサラのクラスだった。


**

ティーチャートレーニングに行って初めて知ったのだが、実は、クンダリーニヨガというのは、最初から最後までやることがきっちり決められている。手の位置、呼吸の方法、ポーズをとる時間まで指示があって、勝手に変えてはいけない。

マントラに至っては、「神聖な音」だから、当然変更していいわけはない。

サラがそれを知らなかったはずがない。運動としてヨガをする人もいるが、彼女は、明らかに自らの精神の向上のために行なっていた。同じクリヤを何百日と続けたり、スウェーデンに住みながらも、早朝に冷水を浴びて体を清めてヨガをすることを自分に課したと聞いた。

その彼女が、私たちに、ポーズの注意もほとんどしなかったし、マントラすら、「間違ってもOKよ」と言っていたのだ。

彼女にとって、クンダリーニヨガは、神聖なものだったのに。

**

彼女のいう It's OK.は、私たち生徒に浸透していた。ヨガをするのが初めての人が多かったから、そういうものだと信じていた。

間違ってもいいし、できなくてもいい。できない自分も、構わないと思った。周りと比べることもなかった。下手で恥ずかしいとか、どう思われるとか、早くできるようにならなくちゃとか、そんな焦りもなかった。

Do what you can do today.


サラが見守り、応援してくれたから、大きな肯定で支えてくれたから。今日できることを、その場でやるだけの時間だった。

いつも大きな肯定の中にいた。

**

ティーチャーになって1年がすぎたある日、私の生徒が、感想をくれた。

「(エイミー先生のヨガの)いい所は、先生が身体を触らない、先生からのポーズが間違っているなどの注意もなく、いつも暖かく見守っていて周囲の目を気にする事なくできる事です」


あ、と声がでた。

サラだ、と思った。


サラの教えてくれたことは、時間を超えて、個人を超えて、場所を超えて、繋がっていた。


ヨーロッパにすむ彼女とは、もう直接会うことはないかもしれない。


だけど、ある一時期、私は、本当に、サラの生徒だった。


だから、今、ここでティーチャーになっている。



クンダリーニヨガの体験をしたい方はサイトからお申込みください

8話は、ティーチャートレーニングの初日は、思ったよりもつらい…↓







いいなと思ったら応援しよう!

青海エイミー/作家『ジミー』『夜をめくる星』、PURA PURA BOOKS ありがとうございます。