ヨガの楽しさ、は分からないままで(マガジン3)
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次のクラスから始めたけれど、通い続けることの意味も、私にとっては分からないものでした。
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レッスンでは、言われた通りに体を動かしているだけ。マントラや瞑想も行うクンダリーニヨガだけど、そもそもヨガが初めてなので、こういうことが普通なのかもよくわからない。腕を60度上げろと言われればあげ、下げろと言われば下げる。鼻から息を吸えと言われればそうして、口から吐けと言えばそうする。
クンダリーニヨガでいう「瞑想状態」も、できている気がしない。わかったように目を閉じてみるけど、いろんなことが頭に浮かんできてしまって、気がつくと今日の夕ご飯なにしようかとか、余計なことばかり考えている。
それなのに、みんなは終わった後「楽しかった」「スッキリした」と言っている。
みんな、「何が」楽しいの?
レッスン以外での楽しみとして、人間関係が広がったりするかというと、そんなこともなく。
生徒は、Dさんの夫以外は、Dさんの友人でお互い同士も友達。40代のイギリス人とドイツ人女性は、子どもの学校が一緒らしく顔見知り。それに時々、Dさんの親しい友人らしいフランス人の家族が参加することも。
当時の私は、英語でのコミュニケーションが(今よりもさらに)あまりできなかったし、終わるとおしゃべりをしているみんなを尻目に、自分だけいつもササッと帰るだけ。
「ここはアウェイだな」なんて思うことも、よくあった。
ただ、マレーシアに移住して以来、私は「アウェイ」な寂しさには慣れきっていたから、やめる理由にはならなかったかもしれない。
いつも一人だったし、日本人の友達もいなかったし、外国に住むというのは、そういうものだと思ってたから。
誰からも話しかけられなくても、日常だったから、このヨガクラスに限ったことではないけれど。
やめる理由は、いくらでもある
1)そもそもヨガがやりたかった訳でない 2)居心地もよくない
3)レッスンが楽しい訳でない 4)喋る人もいない
5)痩せたい、友達を作りたい、柔軟性を高めたいなどの目的もない
でも、このヨガクラスにいる「意味」は、本当に何もなかった。何やってるか分からないし。誰も私がいなくても気にしない。
ねえ、私、ここで何をしてるの。

「分からないからやろう」と思って、2ヶ月になろうとしていました。
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※著者の青海エイミーは、現在(2025年)、クンダリーニヨガをオンラインで教えながら、作家としても活動しています。(『ジミー』でデビュー、『夜をめくる星』が3冊目)
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とうとう、初めてヨガの「経験」をした時のこと、その不思議な感覚については、次の話です ↓
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