映画『ハッシュ!』 田辺誠一とか高橋和也とかキャストが絶妙(ネタバレ感想文)

私が橋口亮輔を見初めた映画。ひゃあ!2001年ですか。20年以上も昔。
公開当時以来の再鑑賞で、好きな映画でしたが、年齢を経たせいなのか時代が進んだせいなのか、今観た方が「深い」。
橋口亮輔39歳の作品で、ゲイではあったけどまだ鬱は発症していない頃じゃないかな?その要素は既に見受けられますけどね。
以前も書きましたが、これは悪口ではなく、橋口作品を読み解く一つの「個性」だと思っています。
今観るからですが、やっぱり映画が「若い」。
たぶん橋口監督の中で、自分の「個性(作家性)」を全面に押し出しつつも、一番「エンタメ」要素も盛り込めたバランスの良い作品なのではないかと勝手に思っています。
改めて観るとキャストが絶妙なんですよね。
田辺誠一とか高橋和也とか、絶妙にソレっぽい。
片岡礼子も光石研も秋野陽子も冨士眞奈美もつぐみも、みんなそれぞれ絶妙にソレっぽい。
中でも秋野陽子は出色!
たまに田舎にいる、都会的風体の美人妻。私の周囲にもいる。地元と親戚で二人は知ってる(笑)。
田舎に相応しくない美人というだけで無条件に好奇と嫉みの目で見られる。しかも年上女房。さぞかし義母には嫌われたでしょうよ。だからといって、「自分は苦労したから若者は自由に生きなさい」と言える器量はない。器量好しだけど。
20余年前に観た時、この秋野陽子のキャラクター造形の深さに気付かなかったなあ。素晴らしいビールの飲みっぷり。
「橋口亮輔は繊細だ」と私は言っているんですが、「注意深く生きてたんですけどね」という田辺誠一の台詞に表れていると思うんです。
また、高橋和也の「俺は手術なんかしないよ」っていう母親に対する台詞も、理解したふりをしているけど本当はゲイとニューハーフの区別すらついていない母親(の姿を借りた世間)に対するささやかな抵抗だと思うのです。
そして、『お母さんが一緒』(2024年)でも書きましたが、ヤサグレ片岡礼子様の名台詞。
「あたし、一度でも誰かにギュッと抱きしめられていたら、こんな風にならなかったと思う」
この田辺誠一、高橋和也、片岡礼子の3人は社会のはみ出し者、世の中になじめない監督自身を投影させた、一種のアウトローなんだと思うんです。
で、このアウトローたちの「自分の居場所探し」「希望探し」の物語。
これが、この映画が「若い」と感じる理由の一つ。
本当は子供をつくる気なんかないのかもしれない。
子供を持つこと自体に幸せを見出しているわけでもない。
だからスポイトなんて言ってるんだし、ストーリー上子供が産まれることもない。
子供を持つ「可能性」、子供を持つことで自分が変われるかもしれない「可能性」。そこに生きる希望を見出している。
これは、そういう「希望探し」の物語なんだと思います。
そういった意味では、「今観た方が深い」と書きましたが、この映画は2001年頃の空気感を的確に捉えていたような気もします。
「自分探し」ブームでしたしね。
21世紀になったら何か変わるかもしれないと、バブル崩壊後の低迷する日本全体が「希望探し」をしていたような空気感がありました。
少し前の1999年9月9日発売ですが、
「日本の未来は(Wow×4) 世界がうらやむ(Yeah×4)」
という歌詞が大ヒットしたのは、日本国中が「希望探し」をしていた象徴(低迷の裏返し)だったのかもしれないと、今になって思います。
それで、時を経て、この片岡礼子様が産んだ子供が笑いのカイブツになるんだ。ああ、すいません『笑いのカイブツ』(2023年)の母親役のことを言っています。
(2024.12.07 目黒シネマにて再鑑賞 ★★★★★)

