映画感想文『スクラップ・ヘブン』 オダジョー、偉くなったねえ

“正義の味方”を夢見て警察官になったシンゴ(加瀬亮)は、無機質なオフィスでのデスクワークにうんざりする日々。ある日、シンゴはバスジャックに遭遇する。乗り合わせていたのは、テツ(オダギリジョー)とサングラスをかけた女、サキ(栗山千明)。テツの言葉をきっかけに、社会に絶望した人々の願いを叶える“復讐代行”というゲームをはじめるテツとシンゴ。それは一見、鬱屈を解放するためのささやかな反抗だった。しかし、その行為は次第に現実を侵食し、彼ら自身が社会の闇へと呑み込まれていく。
※ごく個人的な感想です。ネタバレあったらごめんなさい。
『国宝』李相日の20年前の作品
『国宝』(2025年)大ヒットの影響か恩恵か、李相日の初期作品のリバイバル上映。
ちなみに私は今回が初鑑賞。ま、『国宝』も観ていませんけどね。
『フラガール』(06年)と『悪人』(10年)は好きなんです。
その後の『許されざる者』(13年)も『怒り』(16年)も好きじゃない。
思い返せば、その前の『69 sixty nine』(04年)も肌に合いませんでしたし。
そんなこんなで李相日を観なくなったんですけどね。
今回、この初期作品を観て解りました。
私にとって、李相日作品は、どういうわけだか他人事に感じるんです。
おそらく『フラガール』と『悪人』は、蒼井優先生と深津絵里が「私の物語」に引き寄せてくれたんだと勝手に思ってるんですけどね。
本作なんか、主人公たちより、柄本明や光石研の「大人側」に感情移入しちゃうんですよ。
黒沢清『アカルイミライ』(03年)の場合は、主人公のオダジョー側の視点で、「大人」である笹野高史は嫌だなあと観ていたんですけどねえ。
てゆーか、オダジョー、『アカルイミライ』の時は導かれる側だったじゃん。わずか2~3年で偉くなったねえ。
上の世代に対する若者(被害者)の怒り映画
なんとなく似た感じがして黒沢清『アカルイミライ』を引き合いに出しましたが、「上の世代に対する若者の怒り」を描いた作品として、共通するものがあると思うんです。
そう考えると、李相日は「疎外された者」と、その「怒り」を好んでテーマにしているような気がします。『国宝』は知りませんけどね。
それとこの映画、「被害者」という設定の人物で固めているように見えます。
オダジョーの父親は地下鉄サリン事件の被害者ですし、栗山千明も「私がちゃんと産んでやれなかった」と母親に言わせることで、ある種の被害者ポジションに置きます。バスジャック犯の田中哲司も、上司に罪を着せられた被害者です。
あー、そうか。
ゼロ年代は「失われた何年」と言われる時代で、若者は上の世代への恨みや諦め→「被害者」という意識が(あるいは無意識下で)あったのかもしれませんね。
本作を撮った時、李相日は31歳頃ですからね。
若者として、皮膚感覚で「リアル」に感じていたかもしれません。

復讐するは我にあり
作中、オダジョーが「復讐するは我にあり」ってトイレの落書きをします。
復讐の募集告知ですが、小説あるいは今村昌平『復讐するは我にあり』(1979年)から取っているはずです。
今村昌平は日本映画学校(現・日本映画大学)の創設者ですからね。
そして、李相日はそこの卒業生。
師匠に敬意を表したのかもしれませんね。
ま、そんなこんなで、20年後の今「想像力を働かせる」といろいろ面白いものが見えてきますけど、結論を言うと、やっぱり肌に合わない(苦笑)
むしろ、『復讐するは我にあり』をリバイバル上映してくれないかな。
(2026.04.29 アップリンク吉祥寺にて鑑賞 ★★★☆☆)

