🍎ご自由にどうぞ——価値観の境界線
先日の投稿では、すべてが綺麗に収まっているように見えた。
けれど、それは表面の話にすぎなかった。
その裏には、小さな“価値観のぶつかり合い”があった。
りんごを手に取る夫の行為は肯定のしるし。
そっと見送る私の行為は、用心深さの証。
たった一つの選択が、思っていた以上に心の奥を映し出していたのかもしれない。
私はそのまま何も取らずに帰ってきた。
でも夫は、いくつかのりんごを持ち帰ってきた。
「ねえ、りんごもらってきたよ」
その瞬間、胸の奥に小さな不安が芽生えた。
誰が置いたかわからないりんごを、無防備に受け取ることはできなかった。
なんとなく、毒が混入していたら……なんて考えてしまう。
もちろん置いた人は善意のつもりだろう。
でも、世の中にはいろんな人がいる。
そう思うのは、私が少し慎重すぎるからだろうか。
夫はそんな私の心配を、軽く笑い飛ばした。
「考えすぎだよ」
その笑い方が、なぜか胸に刺さった。
そこから、言葉の粒がぶつかり合う。
「無防備すぎる」
「神経質すぎる」
「ケチくさいんじゃない?」
「いや、買ったって大した金額じゃないでしょ」
テーブルの上のりんごは、すぐには誰も手をつけなかった。
窓の外の風の音だけが、やけに冷たかった。
本当は、怖かったのは“りんご”じゃなくて、自分と違う考え方を信じきれない自分のほうだったのかもしれない。
翌朝、夫がりんごを半分に切って差し出す。
「ほら、大丈夫」
私たちは違うけれど、それぞれに正しい。
少しずつ歩み寄ること。
それが、たぶん一緒に暮らすということ。
午後、黒板のあった場所に行くも、もう何もなかった。
「大丈夫。気持ちはちゃんと届いてるよ」と夫が私の肩をさすった。
“ご自由にどうぞ”の言葉は、受け取る人の心の中で完成するのだと思う。
次に誰かの善意に出会ったとき、少しだけ素直に受け取れるかもしれない。
怖がりすぎず、でも用心深く。
でも、やっぱり——ただほど怖いものはないっていうし……。
そしていつか、私もその善意を誰かにそっと返そう。
