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ラベンダーヒルの原風景を歩く ②

〜ラベンダーヒルの館は、この家だった〜

「こっち、行ってみますね」

そう言って、
犬の散歩をしていた女性と別れたあと、
私は昔住んでいた家の方へ向かった。

しばらく歩くと、
見覚えのある物置きが目に入った。

色は塗り替えられていたけれど、
その形は、
子どもの頃に見ていたままだった。

40年以上、
今も使われているんだ。

そのことにまず驚いた。

そして、
家を目の前にした時だった。

私は、
しばらくその場から動けなかった。

胸の奥から、
急に涙が込み上げてきた。

まさか。

私が描いていた
“ラベンダーヒルの館”が、
この家だったなんて。

ラベンダーヒルという世界を、
AIを使いながら描いていく中で、

幼少期の景色や、
昔見ていた空気感が、
どこか繋がっていることは感じていた。

でも、
館だけは違っていた。

あれは、
今の私の理想や憧れから
生まれたものだと思っていた。

けれど、
どうやらそれだけではなかった。

もちろん、
40年以上の時を経ているし、
実際の広さも違う。

でも、
そこにあった佇まいは、
間違いなく、
私が描いていた館そのものだった。

しかも、
今住んでいらっしゃる方は、
あの頃の雰囲気を、
ほとんど変えずに暮らして下さっていた。

アンテナまで、
そのままだった。

さすがに、
今はもう私の家ではないので、
写真を撮ることは控えた。

でも、
胸の中で、
何度も「ありがとう」と思った。

ここには、
確かに幸せだった時間があった。

母と父と暮らした日々。

生活の記憶。

安心して眠っていた空気。

それらが、
一気に蘇るような時間だった。

歩きながら、
そして帰りの車の中でも、
私はずっと思っていた。

この、
言葉にならない感覚を忘れたくない、と。

忘れてはいけない、
に近かったのかもしれない。

でも、
こうして文章を書いている今も、
きっと私は、
あの日感じたものを、
全部は持ち帰れていない。

入れ忘れている感情や、
景色や、
空気が、
もうすでにある気がしている。

だから私は、
光や煌めき、
記憶や感性に結びつく景色を、
作品として日常に置いているのだと思う。

そして私は、
今ここへ来られたことにも、
深い意味を感じていた。

もし今の自分が、
苦しさの中にいたら、
きっと今日の景色は、
こんなふうには見えなかったと思う。

過去に感謝できるのは、
今が幸せだから。

今の暮らしがあり、
支えてくれる人たちがいて、
穏やかな日々がある。

だから私は、
この場所へ、
ありがとうと言いに来れた気がした。

変わらず住み続けているご近所さん。

新しくなった家々。

鉄棒だけの小さな公園。

友達と遊んだ記憶。

わくわくしながら歩いた裏道。

ひとつひとつを辿りながら、
私は、
何度も思っていた。

なんて幸せなんだろう。

もっと歩いていたいくらいだった。

けれど時間もあり、
私は車へ戻り、
そのあと祖父母のお墓へ向かった。

そこには、
まるでラベンダーヒルの桜の木のような、
大きな木が立っていた。

この日は、
私にとって、
かけがえのない時間になった。

家が今も残っていること。

あの景色へ、
今も辿り着けたこと。

それは、
当たり前ではなく、
奇跡のようなことだったと思う。

深く、
感謝したい。

そして、
あれから一週間ほど経った今日。

私は、
干した布団をしまいながら、
ふと思い出していた。

あの頃、
母が病室で窓の外を見ながら、

「洗濯物を干したいなぁ」

と呟いたことを。

日常の中にある幸せを願った、
その静かな時間を。

今、
私は生きている。


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