【残唐五代史演義伝】第六回 鄭畋、朱温と大いに戦う
朱温軍が迫るのを見た鄭畋は、怒りに満ちた声で叫んだ。
「反賊どもめ、今すぐ軍を退け!命を惜しむなら尻尾を巻いて逃げ出すがいい!」
朱温は激怒し、槍を手に馬を駆けた。
「黙れ、小賢しい走狗が!貴様の首を取ってやる!」
両雄の馬が交錯し、一騎討ちの火蓋が切られた。
鄭畋の月斧が風を裂き、朱温の長槍が雷のように唸った。
左右へ、前後へ、互いに猛攻を加え、槍と斧が火花を散らす。
戦場の中央で、壮絶な死闘が繰り広げられた。
一合、二合、三合……やがて百合にも及ぶ激戦となったが、決着はつかぬまま、日が西に傾いていった。
ついに軍旗が掲げられ、銅鑼が打ち鳴らされた。撤退の合図だった。
両軍はそれぞれ陣へ引き上げた。
鄭畋が陣に戻ると、僖宗が迎えた。
「鄭将軍、戦の様子はどうだったか?」
鄭畋は悔しそうに答えた。
「臣は朱温と百合以上戦いましたが、勝敗は決せず。しかし、明日は必ずや敵を討ち取ってみせます!」
僖宗は頷き、言った。
「今宵はしばし休息し、明日また戦を論じよう」
一方、朱温は自陣に戻ると、怒りに震えていた。
「この俺が、一介の老将と勝負をつけられぬとは!」
怒りのままに酒をあおり、手にした盃を地面に叩きつけた。
「明日こそ、僖宗を討ち取り、その首を我が主へ献上する!
必ず、必ず!」
だが、その言葉が終わらぬうちに、屏風の向こうから一人の美女が静かに歩み出た。
「お待ちください、将軍」
朱温は目を凝らした。
「誰だ?」
「妾《わらわ》は……玉鑾英でございます」
これを聞くと、朱温の目が細まった。
「ほう……それで、何の用だ?」
玉鑾英は静かに一歩前へ進み、深く目を見つめて言った。
「将軍、どうかお考え直しください。僖宗は妾の兄でございます。
すでに天下はあなた方の手に落ちたというのに、なぜ、なおも兄を捕らえねばなりませんか?」
朱温は冷笑した。
「女が政治に口を挟むとは笑止千万!貴様に何が分かる!
僖宗など、ただの草創の暗君にすぎぬ。
それに比べ、大斉こそが真命の天子だ!天下は徳ある者の手に渡るもの、自古よりそう決まっている。
草を刈るなら、根まで断たねばならぬ。僖宗を生かせば、後々の災いとなろう!」
玉鑾英は静かに、しかしはっきりと言った。
「将軍の言葉こそ理にかなっておりません。
唐の天下は高祖から伝わり、すでに十七代、百数十年続いております。それを“草創”と呼ぶとは、あまりにも無知なこと。
それに比べ、黄巣など、ただの匹夫ではありませんか。
賊の首領ごときが、どうして天命を受けた真の皇帝と呼べましょうか。
将軍はご存じないのですか?——天に従う者は栄え、逆らう者は滅びるのです。
もし将軍が道を改め、賊を捨て、唐に帰順するならば、必ず後世に名を残すことでしょう。どうか、よくお考えください」
朱温はしばし沈黙した。
その顔には、深い迷いが浮かんでいた。
やがて、ゆっくりと顔を上げると、力強く宣言した。
「汝の言、もっともなり!もはや決めた!
賊を捨て、唐に帰順し、正義の道を歩む!」
そして、すぐに配下を呼び、命じた。
「旗を収めよ!すぐに唐への降伏を準備する!」
翌日、鄭畋は再び陣を整え、朱温軍を迎え撃つべく戦場に向かった。
しかし、そのとき彼の目に映ったのは、意外な光景だった。
朱温は鎧を脱ぎ、武器も持たず、ただ降伏の旗を掲げて立っていた。
「唐将よ、矢を放つな!我は唐へ帰順するために参じた!」
朱温の突然の降伏に、鄭畋は眉をひそめた。
(この男、もとは黄巣の部将。賊の一味をどうして信用できようか?)
鄭畋はひとまず朱温を捕らえ、僖宗のもとへ連行した。
「陛下、この者は元より盗賊の徒です。そのような者を受け入れるべきではありませぬ」
しかし、宦官の田令孜は異を唱えた。
「いまは人材が不足しております。戦乱の世にあっては、降伏した者も受け入れねばなりません」
僖宗はしばらく考え、ついに決断した。
「よし、召し出せ」
宮殿の階を登ってくる朱温の姿は、異様だった。
長身で異形の風貌を持ち、その荒々しい容貌に、僖宗は内心驚きを隠せなかった。
「汝は何者か?」
朱温は深く頭を垂れ、恭しく答えた。
「臣は黄巣の部将、姓は朱、名は温。
もとは逆賊に仕えておりましたが、天命に背くことはできず、今こうして帰順いたしました。
天子様を追撃するよう命じられておりましたが、天命はすでに決したと悟り、唐に忠誠を尽くそうとするものです」
僖宗はひとまず納得し、告げた。
「もし真に忠誠を誓うならば、社稷のため大いなる幸いとなろう」
このとき、朱温はもう一つ奏上した。
「臣はかつて宮中を掃討した折、御妹玉鑾英様が身を投げようとしたのを見つけ、救い出しました。
現在、彼女は臣のもとにございます。陛下におかれましては、どうかご賢察ください」
僖宗はこの言葉に驚き、しばし言葉を失った。
そして、自らの妹が朱温のもとにあることに、何とも言えぬ屈辱を感じた。
帝としての威厳が失われたように感じたのだった。
しかし、田令孜が進み出て進言した。
「陛下、朱温には大功があります。
よって、御妹を彼に娶らせるのがよろしいかと存じます」
僖宗はしばし沈黙したのち、
「よし、望み通りにせよ」
と決断した。
さらに、僖宗は朱温を汴梁節度使に任じ、玉帯を賜ることとした。
しかし、一つだけ問題があった。
「こやつの名が悪い。“朱温”では、どうにも不吉ではないか」
そこで、僖宗は彼に新しい名を与えた。
「これより、汝の名は『朱全忠』とせよ」
これは、『人の中心に立ち、すべての忠義を尽くす』という意味を込めたものであった。
鄭畋は僖宗を護衛し、西祁州に無事入城した。
その日のうちに宮廷を整え、僖宗は新たに「中和」元年と改元した。
群臣たちは玉座の前に集まり、新たな年号のもとで安泰を祈り、「万歳」と唱えた。
しかし、儀式が終わると、僖宗は突如として天を仰ぎ、大粒の涙を流し始めた。
鄭畋は驚き、急ぎ進み出て膝をつき、尋ねた。
「今日、無事に城へ入り、陛下は再び帝位につかれました。これは慶事にございます。
なにゆえ、悲しみの涙を流されるのですか?」
僖宗は涙を拭いもせず、悲痛な声で答えた。
「朕は高祖・李淵さまのことを思い、悲しみを抑えられぬのだ!」
鄭畋はさらに尋ねた。
「高祖が崩御されたのは、はるか昔のこと。なぜ今、そのことをお嘆きになるのですか?」
僖宗は嘆息し、言葉を続けた。
「思えば、高祖・太宗の時代、東を征き、西を討ち、南北を平定し、血を流しながらも天下を一統した。
その偉業によって、唐は十七代にわたり繁栄してきた。
しかし今、黄巣の逆賊どもがこの帝国を蹂躙し、我が皇統は地に落ち、社稷は滅亡の危機に瀕している。
朕は、このまま地下の高祖に顔向けできるだろうか……」
そう言い終えると、僖宗は再び涙を流した。
鄭畋はしばらく黙考した後、静かに口を開いた。
「陛下、天下を失うことは、天命の巡りによるものでございます。
実は、西祁州の街では、このような童謡が広まっております」
庚子年來日月枯 唐朝天下有如無
(庚子の年、日も月も光を失い、唐の天下はあってなきがごとくに揺らいでいた)
山中果木重重結 巣臼鴉飛犯帝都
(山には果実が重なり実るも、鴉の群れが巣を占拠し、帝都を侵してきた)
世上逆流三尺血 蜀中両見駐鸞輿
(世は乱れ、血が三尺を流れ、蜀には二度も皇帝の車駕が逃れてきた)
若要太平無士馬 除是陰山碧眼鶘
(もし戦なき太平を望むなら、それは陰山の碧眼鶘がもたらすほかない)
このことについて、このような詩も伝えられている。
畋論童謠慰帝情 應知劫数報分明
(鄭畋は童謡に託して帝の心を慰めた──だがそこには、劫の数がはっきりと示されていた)
敬天法祖加修省 異日還堪致太平
(天を敬い、祖先の法を守り、己を深く省みるなら、いつの日か再び太平の世を取り戻せるだろう)
この童謡には、まさに天運の変化が示されている、と鄭畋は語った。
「庚子の年に日と月が枯れる」とは、何を意味するか。
乾符二年は庚子年にあたる。そして年号を広明元年と改めたが、「明」という字は「日」と「月」から成り立つ。
その年、唐は天下を失った。これはまさに「日月が枯れた」ことにほかならない。
「唐王朝の天下はあるようで、ないようなもの」とは何を指すか。
今、黄巣が帝位を簒奪したが、それが唐の中興につながるかどうかは未だ不明だ。
まさに「あるようで、ないようなもの」だと言えよう。
「山中に果実が幾重にも結ばれる」とは何を示すか。
「果」という字に三本の線を加えると「巣」という字になる。
これは黄巣の勢力がますます拡大することを象徴している。
「鴉の群れが巣を占拠し、帝都を侵す」とは、黄巣が長安に入り、帝位を奪ったことに他ならない。
「世の中が逆流し、多くの血が流れる」とは、黄巣の乱以来、賊に従う者が生き、抗う者が死ぬ悲惨な現実を指している。
「蜀に二度皇帝の車駕が駐まる」とは、かつて安禄山の乱の際、玄宗が蜀に逃れ、今また僖宗が蜀へ避難しようとしている現実を示している。
そして最後の句、
「平和をもたらすには兵馬が必要で、陰山の碧眼鶘がいなくてはならない」
ここにいう「碧眼鶘」とは誰か。
それこそが、後に唐を支える英雄、李鴉児こと李克用に他ならない。
僖宗は驚き、尋ねた。
「李克用とは何者なのか?」
鄭畋は答えた。
「この者は王侯の子であり、帝室の血を引く者。陛下がご存じないはずはございません」
しかし、僖宗は首を振った。
「朕は実際には知らぬ。詳しく話してくれ」
鄭畋は語り始めた。
「この者の父の名は国昌であり、かつて朝廷に大功を立てたため、『李』の姓を賜りました。
その子が李克用でございます。
彼は騎射を得意とし、勇猛無双の兵馬使に任じられておりました。
しかし、かつて宮中の宴席で詔勅により監督役を務めていたとき、皇帝の義兄弟である段文初が乱暴狼藉を働きました。
李克用と段文初は口論となり、罵り合った末、激怒した李克用は段文初の歯を一撃で二本折り、さらに銅の錘で打ち殺してしまったのです。
朝廷はこの報に驚き、李克用を処刑しようとしましたが、多くの重臣たちの必死の嘆願により、死罪は免れました。
代わりに、北方の直北沙陀へ流罪とされたのです。
李克用は沙陀に到着するや、軍を訓練し、周辺の異民族の兵士を招集して、四十万を超える大軍を擁するようになりました。
その中には、『五百家驍勇兵』と呼ばれる精鋭たちや、『十二太保』と称される屈強な将軍たちもおり、彼の軍は無敵の強さを誇っています。
李克用の容貌は異様であり、左目が大きく、右目が小さく、瞳は黄色、瞳孔は緑がかっておりました。
そのため、人々は彼を『独眼竜』と呼び、彼自身は『碧眼鶘』を名乗っています。
戦場では、彼の軍勢は『鴉兵』と呼ばれ、黒衣の鉄甲兵三万三千三百三十人からなり、最強無比と恐れられています。
黄巣の名は『巣』であり、李克用の軍勢は『鴉』です。
鴉の群れが巣に押し寄せれば、その巣は必ず破れるでしょう。
黄巣を討つには、李克用を召し寄せるしかございません」
僖宗は大いに喜び、群臣に尋ねた。
「誰か使者となり、李克用を迎えに行く者はおらぬか?」
すると、廷臣の中から一人が進み出て申し上げた。
「臣は才能は乏しい身ですが、ぜひ直北へ赴き、李克用を説得し、黄巣を討伐したいと存じます」
その男は、吏部尚書・程敬思であった。
僖宗は尋ねた。
「卿ならば適任であるな。
しかし、異民族と我らは言葉も風習も異なる。ましてや、李克用は心に恨みを抱いておろう。果たして、すぐに帰順するだろうか?」
程敬思は答えた。
「臣は幼き頃より異民族の言葉に通じております。
また、李克用とは一度面識もございます。
陛下が彼の死罪を赦し、高位に高位に任じ、臣が言葉を尽くして説得すれば、必ずや彼は軍を率いて帰順することでしょう」
僖宗はさらに尋ねた。
「どのような官職を与えるべきか?」
程敬思は答えた。
「まず高位に任じ、彼に武勇を発揮できる場を与えるべきです。それにより、李克用も安心して動くでしょう」
僖宗は頷き、即座に詔を発した。
「朕は李克用を『忻代石嵐破巣兵馬大元帥』および『雁門関都招討』に任ずる!」
さらに、使者の任務を果たすために、黄金・白銀を満載した十台の車、金の勅命札五百枚、空白の詔勅五百通、龍紋の衣一式、玉帯一条を用意した。
また、護衛として八名の猛将と五百名の官軍を随行させ、詔勅と財宝を携えて即日出発するよう命じた。
さらに、別途手配として、全国の二十八鎮の諸侯にも召集をかけ、河中府に集結させた。
李克用の軍勢が到着次第、これらの諸侯たちと共に黄巣討伐へ出陣する計画であった。
二十八鎮の諸侯とは、函国公袁容、晋国公王鐸、荆州の王元、涇原の程宗楚、秦州の仇公遇、
寰州の童弘真、同台の岳彦真、華州の韓鑑、曹州の曹順、
兗州の周順、鄆州の赫連鐸、河中府の王重榮、
幽州の馬三鉄、定州の王景宗、汴梁の朱全忠、徐州の支様、
景州の周太初、平州の王用之、寿州の張仲仁、萊州の馬君武、
陳州の劉従吉、孟州の朱合爽、朔州の唐大弘、
邠州の朱文、鄜州の楊思恭、青州の王敬武、乾州の王守存、覃州の邵升昌である。
明代の学者・李卓吾はこう語る。
黄巣が長安を手に入れたとしても、李克用が飛来すれば、長安を守りきることはできまい。
