【残唐五代史演義伝】第三十八回 王彦章、知恵を以って高思継を討つ
その日、急報が入った。王彦章がまたしても戦いを挑んできたとのことである。李晋王は、高思継を伴って高台へと登り、王彦章の布陣を見渡した。
「見よ、あの天蓋の下に、槍を横たえて馬上に立つ者こそ、王彦章だ」
晋王が指さした先を高思継は目を凝らして見た。すると、刺繍入りの戦袍をまとい、金色の鎧を身につけた武者が、まさに威風堂々と陣頭に立っていた。あたりには凄まじい殺気がみなぎっていた。
高思継は晋王に向かい、力強く告げた。
「拙者、不才ながら一命を賭して出陣つかまつる!」
そう言うや、思継はすぐに甲冑を着け、槍を手にして馬にまたがり、まっすぐに王彦章の陣へと躍り出た。
王彦章もまた迎撃の構えを取り、互いに馬を進めて一騎打ちとなった。
まさに、好敵手が相まみえ、名工が木を削るがごとし。激しい戦いが幕を開けた。
両陣から鳴り響く太鼓は天を震わせ、地を揺らす銅鑼はまるで雷鳴のよう。
兵も馬も、命を惜しまず軍の前線で雄を競い、刀槍は火花を散らして鍛えられている。
戦場の荒れ模様は、まるで如来の集会の下で哪咤が五方の旗を揺り動かすかのよう。気勢と影がぶつかり合う様は、四州の大聖が水の魔神を打ち倒すかのようだ。
刃がすれ合い、まるで白い満月をこすり合わせるようにきらめき、甲冑がぶつかり合い、まるで銀山に向かって矢を放つかのよう。
戦い合う二人は、まるで凹面に現れた混血の龍のよう。その姿はまるで、巴山に住む白額の虎同士が睨み合うかのよう。
二人はこの日、激しく斬り結び、三百合以上を戦い抜いた。日は西に傾き、晋王が金を鳴らして軍を収めさせると、両軍はそれぞれ陣へと引き揚げた。
さて、王彦章が本陣へ戻ると、左右に向かってこう語った。
「高思継は刀の扱いに熟練しており、まことに我が好敵手と言える。あやうく命を落とすところであった。だが、明日は必殺の『回馬槍』をもって挑めば、必ず勝てる」
翌日、王彦章は馬に乗り、軍を率いて再び出陣した。高思継もまた軍を引いて対陣する。両将が陣頭に進み出ると、王彦章は言った。
「本日は決着をつけよう。退くことはせぬ!」
言い終えるや、両騎が火花を散らし、再び戦いを始めた。五十合を越えたあたりで、王彦章は勝ち目が見えぬと見るや、馬首を返して逃げる素振りを見せた。
高思継はこれを見て、
「怯んだか!」
と誤解し、懸命に追いかけた。
だが、それこそ王彦章の策であった。振り返ったその刹那、王彦章は馬を反転させ、『回馬槍』を繰り出す。
高思継は馬を制する間もなく、胸元を貫かれて即死した。
王彦章は高思継の首級を手にし、敵兵は一斉に四散して逃走した。
唐の陣営に悲報が届いた。
「高思継様が王彦章の『回馬槍』に討たれました!」
これを聞いた晋王は、驚愕のあまり大声で叫び、
「……悔しきこと、これほどとは……!」
と言い終えるや、口から血を吐き、ふらつくようにその場に倒れた。
周囲が駆け寄って介抱するも、すでに意識を失っていた。
このような詩がある。
為国頻召将 時危不可撑
(国のため何度も将を呼び寄せるも、時勢が危うく支えきれない)
勇南亡去後 思継復招魂
(李存孝亡き後、高思継がまたその魂を呼び戻そうとする)
忠義心空赤 衰残志可矜
(忠義の心は空しく熱く、衰え残る志は憐れむべきもの)
一気能噴血 誰将社稷平
(一息で血を吐くほどの怒り、それでも誰が国を平らげられるのか)
そもそも晋王は、一つには頭の腫れが再発しており、二つには二百場に及ぶ敗戦への憤りが溜まっており、三つにはすでに年齢八十四に達していたことが、命を縮める理由であった。
後世史官が詩を残してこれを証した。
唐室衰微不可扶 天教温賊篡良図
(唐の王室は衰え、もう支えきれない。天が温賊に、天下を奪う好機を与えてしまった)
君仇未報身先死 到此英雄豈丈夫
(君主の仇を討てぬまま、先に自ら命を落とした。ここに至って、英雄といえど男児の面目は立たぬだろう)
陣中には晋王死亡との報が伝わり、将兵らは哀悼の声を上げた。これを受けて、諸王子たちは葬儀の段取りについて相談を始めた。
潞州王李杰が口を開いた。
「今、王彦章が晋王の死を知れば、必ず大軍を率いて再び攻め来るであろう。誰がこれに対抗できようか?
速やかに晋王の遺体を棺に納め、蕭妃様・劉妃様の両妃に命じて、三千の兵馬を率いさせ、ひそかに夜を徹して賓州へと護送し、そこで弔うのが上策であろう」
諸王子ら、これに同意した。
また彼らは再び協議して言う。
「晋王亡き今、その兵権を潞州王様に暫く託してはどうか」
李杰はこれを固辞した。
「我に何の才があって、このような大任を担うことができようか」
しかし皆が声を揃えて言った。
「長幼の序列に照らせば、他に誰がふさわしいか?
あなた様以外にはいないでしょう」
この日、李杰は李嗣源に向かって問うた。
「水賊・王彦章は日夜戦を挑んでおり、唐軍はもはや抗しきれぬ。
これを討って昭宗様の仇を報いる策はないものか。どこかに精兵の手配ができぬか?」
李嗣源は答えた。
「私とて、連日の奔走に疲れ果て、もはや調兵どころか、さながら命を刈る冥府の使いのようなもの。各地から招いた将士らは、ことごとくこの賊の手にかかり命を落としました。
ですが、北へ向かい、大潼の李友金の許に赴き、彼の軍勢を借り受けることができれば、必ずや敵を打ち破ることができましょう」
李杰は大いに喜び、李嗣源を直ちに派遣した。
李嗣源は甲冑を整え、馬にまたがり、北へと進軍した。
道すがら、三々五々に逃げ惑う民の姿が絶えなかった。あちこちで子を抱え、手を引く母、家族と散り散りになる者、声を上げて泣き叫ぶ者が入り乱れ、まさに人の世の地獄と化していた。
兵に殺された家々の門先には、弔いのしるしとして木札が吊るされており、一方には『晋』、一方には「『梁』と記されていた。
ある軍勢が村に入って略奪を始めたが、村人はその兵が晋の軍だと聞くや、木札の晋の面を表にし、
「ここは晋王の領民です、どうか略奪なさらぬよう」
と哀願する。すると兵は自国の民と見るや通り過ぎた。
しかし、続いて梁の軍勢が来ると、村人は木札をひっくり返し、梁の面を表にして
「われらは梁王の民です」
と装う。これを見た梁兵もまた手を引いて去っていった。
やがて軍が入り乱れるようになると、どちらがどちらとも見分け難くなり、兵たちには梁であれ晋であれ、関わりなく略奪せよと命じ、ついに村々は容赦なく焼かれ、奪われ、荒れ果てていった。
かくして民は、朝は梁に属し、暮れには晋に属すといった有様となった。
この惨状を目にした李嗣源は、馬上にて大きく嘆息し、こう語った。
「梁と晋との争いのために、兵は地に塗れ、民は塗炭の苦を受ける。天下は乱れに乱れ、生き残る者は十に一つもない。
これを見て心痛まぬ者があろうか」
李嗣源は馬の手綱を引き締め、星夜を徹して直北・大潼城へと急行し、叔父である李友金のもとに参じ、告急の書を呈して言上した。
『王彦章は我が父の軍を屠り、二百余戦において敗北を重ねました。ついには高思継を回馬槍で討ち取り、父王は怒りのあまり血を吐いて倒れました。
いまや我らは鶏宝山を守るも、敵勢は間近に迫り、危急存亡の秋にございます。どうか大将をお借りし、ご援軍を賜りますよう』
李友金はこれを聞き、声を上げて慟哭しながら言った。
「無念じゃ!皇兄が非命に斃れ、いまだ唐室に報仇も叶わぬとは!」
そして左右を見回し、諸将に尋ねた。
「誰か、兵を率い鶏宝山へ馳せ参じ、唐を援ける者はおらぬか?」
言い終わらぬうちに、一人の将が声高らかに進み出て申し出た。
「臣、才は拙きながら、願わくは一軍を率い、王彦章の首級を斬りて唐室に報じとうございます」
李友金がその面を見やると、その者は身の丈七尺に満たぬほどの少年で、年の頃十四、五。肌は白く、額に整えた髪を結んでいた。
北平の出で、姓は史、名は建唐。李友金の麾下にあり、幼くして智略に富み、才覚人に勝る将であった。
李友金はこれを聞いて大いに喜び、史建唐を総兵官に任じ、兵二万を授け、さらに八人の健将を副将に配し、李嗣源とともに夜を徹して出立させた。
かくて両将は風を巻き、鶏宝山へと馳せたのであった。
さて、史建唐が軍を率いて進んでいたところ、前方より報馬が駆け来たり、
「唐の本営は、この先遠からぬ地にございます」
と伝えた。
史建唐は急ぎ八将を呼び出し、二万の兵馬を指揮して、別に一つの小営を設けた。
李嗣源は史建唐を引き連れ、潞州王李杰のもとへ参上し、来意をつぶさに訴えた。
潞州王はこれを聞き、眉をひそめて言った。
「汝が風塵をものともせず遠路来た、その志は喜ばしいことじゃ。
されど、幾多の勇将すでにこの地で命を落とした。今、たった一人の童子に何ができよう?
出陣させれば、王彦章に笑われるばかりじゃ」
史建唐、進み出て拝し、言上した。
「大王、どうか小将を侮られませぬよう。将たる者は謀略をもって勝つのであって、勇のみではございません。
わが父は名将、九世にわたる将門の家に生まれたこの身、たかが一介の水夫あがりの王彦章など、恐るるに足りませぬ!」
まさに言葉を交わしている最中、王彦章がまたしても唐陣に攻めかかった。
史建唐、叩頭してなおも言った。
「小将、願わくは出陣し、王彦章の首を斬り、帳下に献じとうございます!」
ついに潞州王はこれを許した。
史建唐はすぐさま本営に戻ると、八将に命じて言った。
「汝らは六千の兵を率い、陣の左右に伏せよ。余は三千の兵を取り、中央より敵陣に突撃する。
もし我が敗走すれば、左右より即時に援けよ。もし水賊が敗れたならば、両側から彼の退路を断ち切るのだ。
逃げる者、あるいは怯む者あらば、この剣がその報いとなるぞ!」
八将は命を受け、それぞれ甲を披き馬に乗り、兵を率いて陣を布いた。
王彦章は陣前に馬を立て、唐軍の布陣を見て感嘆し、自ら言った。
「梁と晋、兵を交えることすでに二年余、いまだ強敵とは出会わなかった。
だが、何者かは知らぬが、この布陣は天地人三才の陣といえる見事なものだ。
敵が勝てば当然、我が勝っても、実は彼の勝ちよ」
言葉も終わらぬうちに、白羅の旗の下より一人の少年将が進み出た。
髪を額の上で結い年の頃は十四、五歳。頬は桃のように紅く背丈も四、五尺ほどと小柄であった。
頭には銀の兜を戴き、身には銀葉の鎧を纏う。手には梨花槍、駆るは玉の如き駿馬。
まるで哪吒太子でもなければ、白粉を塗った美しき若武者振りである。
王彦章は背が高く体も大きく、顔は金剛のようにいかめしく、ふてぶてしいさまはまるで猪八戒のようであった。
王彦章は史建唐の姿を見て大笑し、言った。
「この陣形にしては、ずいぶん過剰だな。出てきたのは子供か!
小僧、名を何という?」
史建唐が答える。
「私は白袍・史敬思の子、直北大潼城の総司令官、史建唐です。あなたは誰です?」
王彦章は応えて言った。
「我こそは鉄槍・王彦章である!」
その言葉が終わるや否や、史建唐は槍を手に取り、王彦章へと突進する。王彦章もすぐさま槍を構えて迎え撃つ。
そのとき、陣営の内外に轟くような光景が広がった。
雷鳴のような砲声と殺気立った叫び声が天まで響き渡り、金属音が震え戦鼓が一斉に打ち鳴らされた。
陣の前後には虎狼のごとき兵士たちが控え、四方の哨戒兵と五つの軍営が整然と陣を布いている。
旗印はきらめき、黒旗は風にたなびき、槍も刀も雪のように白く重なり密集する。
剣や戟は霜のように鋭く列をなす。騎馬軍はまるで蛟龍が水を割って飛び出すかのようであった。
歩兵は猛虎が林を突き破るがごとく突撃し、砂塵が舞い上がりまるで濃い霧の壁のようだ。
旗の隙間からひとりの若武者がきらめくように飛び出す。馬腹を叩き、戈を振るい、急き立てられるように突進する
まるで泰山が崩れ落ちるような勢い。海水が激しく逆巻くような荒々しさであった。
両将が戦場で刃を交える、まさに白熱の戦いがここに始まった。
二人の激戦はすでに二百合を超えていた。史建唐は武器を鉄鞭を取りに取り換え
「これでも喰らえ!」
と一喝して打ち放った。
王彦章はかわす暇もなく一撃を受け、鞍にすがって血を吐き、馬を返して逃走した。
史建唐はその背を追って、馬を飛ばして追撃する。
しかし王彦章は本陣には戻らず、左手の道へと逸れて逃げた。だが思いもよらず、左翼より四人の将が飛び出し叫んだ。
「水賊め!どこへ行くか!」
声と共に槍衾が陣中に突き立てられた。王彦章は魂も失せたように、馬を右へと回して逃げる。
ところが右手の側からも四人の将が兵を率いて現れ、大音声を上げる。
「逆賊、逃がすものか!」
王彦章が振り返ると、史建唐自身がすでに後ろに迫っていた。王彦章は剣を振るって血路を切り開き、南方の陣より命からがら逃げ延びた。
史建唐は怒りに震え、
「誰だ、この賊を逃したのは!」
と怒号を上げる。兵たちは答えた。
「八健将がひとり張夷将軍でございます」
史建唐は激怒し、即座に刀手を呼び、
「張夷を捕らえ、斬首に処せ!」
と命じた。そして軍中に通達を下す。
「今後、手柄を怠った者は張夷と同じく処断するものとす!」
残る七将はこれを見て、戦慄し、心を引き締めた。
史建唐はすぐさま使者を唐軍本営に遣わし、勝利を報告した。潞州王はこれを聞いて
「まさかこの若者が逆賊・王彦章に勝つとは!」
と感嘆し、王子らとともに迎え出て史建唐を出迎えた。
すぐさま酒宴を催して勝利を祝し、将士には重く賞を賜った――この後のことはまた別に譲ろう。
明代の学者・李卓吾は語る。
高思継は命を取りとめてから何十年も生き延びたのに、あろうことかまた晋の招きに応じてしまい、結局は王彦章の手にかかって命を落とした。
この頃は、民は生き地獄のような苦しみを味わい、朝は梁に、夕べには晋に仕えるという有様で、落ち着いて暮らせる場所などまったくなかった。まったく、なんとも痛ましいことだ。
