【残唐五代史演義伝】第二十二回 李存孝、王彦章を降す
さて、大唐護国勇南公・李存孝は李晋王と別れた後、軍を率いて河北を巡視して廻った。通過する土地で民衆に一切迷惑をかけることなく、百姓たちはその行軍を喜んで迎えた。
しばらくして壽章県の淤泥河に差し掛かると、そこには一人の人物がいた。
姓は王、名は彦章。
身の丈は一丈(約2.3メートル)、蓬髪裸足の風体で、手には重さ百二十斤(約72キロ)の鉄棒・渾鉄篙を振るい、二十余人の仲間を引き連れて舟を駆り、道行く者を襲って生計を立てていた。
この日、李存孝の軍馬が近づくと、王彦章は喜び勇んで言った。
「世間では李存孝が無敵の猛者だと言われている。今日こそその腕前を見てやろう」
そうして、部下を率いて李存孝の行く手を遮った。
小卒が急ぎ報告すると、李存孝は前に進み出て、王彦章に向かい尋ねた。
「お前は何者だ?何のつもりで我が道を阻むのだ?」
王彦章は答えた。
「我こそ渾鉄篙無敵大王・王彦章だ!
お前こそ何者だ?通行料を差し出せば通してやる」
李存孝は冷笑しながら名乗った。
「我は大唐護国勇南公・李存孝である。誰もが知っている名だぞ」
王彦章は嘲笑し、さらに言葉を続けた。
「ほう、李存孝が勇猛無敵とはどれほどのものか!早く通行料を置いて去れ!」
李存孝は渾鉄篙を指差しながら尋ねた。
「その鉄竿の重さはいかほどだ?」
王彦章は自信満々に答えた。
「百二十斤(約72キロ)だ」
李存孝はこれを聞き、軽く笑った。
「たったそれだけの重さか。そんな程度で通行料を渡す必要はない」
王彦章は激怒し、両手で渾鉄篙を振り上げ、李存孝の頭上に打ち下ろそうとした。
しかし李存孝は片手で竿を掴むと、王彦章がどれほど力を込めても奪えず、まるでトンボが石柱を動かそうとしているかのような有様だった。
李存孝は片手で王彦章をひょいと引き寄せ、渾鉄篙ごと彼を淤泥河へ投げ込んだ。
その距離、百十歩(約150メートル)。
李存孝はそのまま悠然と軍を率いて河北を渡って行った。
さて、王彦章は淤泥河の水中から顔を出し、岸に這い上がると再び馬に跨り、李存孝を追いかけた。
報告を受けた李存孝は笑いながら言った。
「あの水賊、なかなかの人物だな。もう一度手合わせして、彼の本領を試してやろう」
馬の手綱を返し、王彦章と対峙する。
王彦章は一馬先んじて槍を突き出してきたが、李存孝はそれを渾鉄㮶で軽く弾き返した。
槍と㮶が交差した瞬間、槍は桶箍のように曲がり、王彦章は歯を食いしばり必死で支えようとしたが、ついに耐え切れなかった。
李存孝は槍先を王彦章の胸元に向け、静かに言った。
「本来ならお前を打ち倒すべきだが、その胆力を見込んで命を助けてやろう」
王彦章は慌てて馬を返し、数里逃げたところで泣き崩れた。
彼は仲間に向かって叫んだ。
「おれは九死に一生を得た。もし李存孝殿が十年生き延びるならば、おれはその十年、世に姿を現さぬだろう。
李存孝殿が死なぬ限り、おれが名を挙げる時は訪れぬのだ!」
こうして王彦章は仲間を解散させ、壽章県へ戻り、隠棲して名前を変え、再び人前から姿を消した。
さて、李晋王は河南を巡視し、大軍を率いて汴梁城の泥脱崗に到着した。
晋王はそこで兵に命じて陣営を張り、李存孝の軍が到着するのを待つこととした。
一方、汴梁節度使の朱温は堂上に座していたところ、急報が入った。
「北門外の泥脱崗に、今朝、李晋王が到着し、そこで陣を張りました!」
これを聞いた朱温は激怒し、叫んだ。
「馬を引け!軍器を持て!この機に李克用の老賊を討ち、かつて鴉館楼で帯を奪われた屈辱を晴らしてやるのだ!」
そのとき、弟の朱義が前に進み出て諫めた。
「兄上!あの李存孝の恐ろしさをご存じないのですか?彼が怒れば、五鳳楼まで一直線に攻め込んできますぞ。
もし李存孝を怒らせたら、汴梁城に殺到してきます。そのときは後悔しても遅いのですぞ!」
朱温は躊躇し、どうすべきか思案していた。
すると、しばらくして再び報告があった。
「李存孝は現在、晋王の陣営にはいないようです」
朱温はこの報告を聞き、にわかに計略を定めた。
書状を一通したため、朱義に持たせ、李晋王へ届けさせた。
その内容は宴への招待状であり、宴席に晋王を誘い出すというものであった。
朱温は計略を練り、晋王が宴に到着した折、両脇に壮士を伏せ置き、酒席で金杯を叩く音を合図に舞剣を装って晋王を殺害しようと目論んだのであった。
朱義は書状を持って泥脱崗へ向かい、晋王に拝謁して叩頭し、言上した。
「汴梁節度使・朱温が書状を奉り、臣を差し遣わしました」
書状を差し出すと、晋王はそれを開き、内容を読んだ。そこには次のように記されていた。
『欽差鎮守汴梁城節度使・朱温、謹んで百拝し、大唐恩主たる大王麾下に申し上げます。
臣は、かつて鴉館楼において、満足いただけるおもてなしをすることができず、大いなる過ちを犯しました。
その不徳ゆえ、再び大王の御前に参じることも恐れ多く、そのまま故郷に引き下がりました。
願わくは大王におかれましては、臣の如き器量の小さき者を見捨て置き、罪を問われぬことを深く感謝するばかりでございます。
近頃、賊首はすでに討伐され、帝駕は再び都に戻られました。
これにより、天下の士馬は安息を得、黎民も再び太平の日を仰ぐことができました。
これもひとえに、大王が天下無双の功績を立てられたおかげにございます。
それにもかかわらず、臣はその功績をお祝いする手立ても持ち得ず、誠に恐縮至極にございます。
それなのに、思いがけず大王が臣の封域(汴梁)に御駕を進められましたことは、何たる光栄でしょう。
しかし臣はその到来を知らず、道左にて拝迎することもできませんでした。
つきましては、近日中にささやかな宴席を設け、拭塵の礼をもって大王をお迎えいたしたく存じます。
どうかしばし恩寵を垂れ、臣の願いをお受けくださいませ。
この朱温、謹んで申し上げます』
晋王は書状を読み終え、喜びを抑えきれず、すぐに翌日宴席に赴くことを承諾した。
朱義が軍営を出ると、心の中で密かに呟いた。
「老いぼれめ、もし来れば、来る道はあっても帰る道はないぞ!」
晋王は周徳威に向かい、
「一隊の兵を率いて私を護衛し、宴席に赴くように」
と命じた。
しかし周徳威は諫言して言った。
「古より、仇敵が会う場に良い宴はありません。臣が一つ昔話を語りますので、大王どうかお聞きください。
昔、秦穆公が天下の諸侯を招き、臨潼県で宝物比べを行いました。
その当時、呉王には三人の子がおりました。正宮の子を姫光、側室の子を姫僚と慶忌と申しました。
呉王は病にかかったので、姫光に命じて臨潼へ赴き宝物比べを行わせましたが、姫光が帰国する前に呉王は崩御しました。
文武百官は姫僚を扶けて王位につけました。
姫光は帰国後、兄弟でありながら王位を奪還しようと考えました。
しかし姫僚も姫光を警戒し、毎日犀革の鎧を着用し、弓や刀で傷つくことのない防備を固め、三千人の郎官、さらに五百騎の猛将を従えていました。
このとき、姫光は孫武を師とし、伍子胥を将としました。
二人は計略を練り、焼き魚を用いた『炙魚の宴』を計画しました。
多くの家臣が宴に行ってはいけないと姫僚に忠告しましたが、姫僚は聞き入れませんでした。
宴席が始まると、専諸という姫光の臣下が、左手に木剣、右手に焼き魚を持って現れました。
姫僚は怒り、護衛に叫びました。
『この者を急ぎ捕らえよ!剣を持って殿上に上がるとは何事だ!』
それに対して専諸は答えました。
『臣は剣を持参したわけではありません。これは魚を切るために木剣に銀箔を貼ったものです!』
そう言いながら焼き魚を切るふりをし、腹から取り出した魚腸剣で姫僚を一突きし、鎧ごと刺し貫いて殺害しました。
そして君臣は姫光を王位につけたのです」
周徳威は語り終え、晋王にこう諫めた。
「このような話があるのです。今日、大王が宴席に赴くのは、この故事と何ら異なりません!」
このような詩がある。
唐室衰微各鎮強 朱温設計害賢良
(唐室は衰え、諸侯たちは各地で力を振るった。朱温は密かに賢良を害しようとした)
臨行不聴忠言諫 醉後君臣受禍殃
(出発に際して忠臣たちの諫めを聞かず、酒宴の後、君臣共に大きな禍に巻き込まれることとなった)
明代の学者・李卓吾は語る。
もし李存孝が死ななければ、王彦章は一生その名を表に出せなかったであろう。
悲しいことだ。
朱温の策略による宴席への招待に対し、周徳威が姫光の故事を引き合いにして諫言したのは、疑いを抱いたからである。
しかし李克用はその忠告を聞き入れず、結局のところ、その本質はただの酒好きに過ぎなかったのだ。
