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#7【ビットコイン思想論考】6. ビットコインとベンサム――無慈悲なプロトコルと最大幸福としてのハードフォーク(前編)

前編 無慈悲なプロトコルは、なぜ優しさなのか

本記事では前編『無慈悲なプロトコルは、なぜ優しさなのか』を公開する。タイトル後半のハードフォーク論は、完全版の後編で扱う。

要旨

前編は、ベンサム的な「何を数えるべきか」という問いを手掛かりに、ビットコインの非裁量性を読み直す。

ビットコインは人格、事情、苦痛、善意ではなく、有効な署名、有効な履歴、有効な work、規則適合性だけを count する制度である。その形式的平等は冷酷に見えるが、誰かを特別扱いする権限を制度の中心に置かないという意味では、恣意的支配を避けるための優しさでもある。

結論として、ビットコインの無慈悲さは、現実社会の制度がどれほど曖昧な count、すなわち人、損害、幸福、苦痛、救済を何らかの仕方で数える営みに支えられているかを逆照射する。


0. 社会において「数える」べきもの

ウォーレン・バフェットは、バークシャーの流動性管理について、“We never want to count on the kindness of strangers in order to meet tomorrow’s obligations.”(「明日の義務を果たすために、見知らぬ他人の親切を当てにしたくない」)と述べた[前1]。
ここで使われる count on とは、単に誰かを信じることではない。ある対象を、将来の行動計画の前提として組み込める、という意味である。

count という語には、単に「数を数える」という意味だけでなく、何かを数に入れる、有効なものとして扱う、重要なものとして認める、という含みがある。
日本語では「数える」と「重要である」は別の意味に見える。
だが count の核にあるのは、対象を、秩序ある数・項目・判断の中へ組み込むことである。

この意味で、ビットコインは徹底して「数える」制度である。

ただし、そこでは人格が数えられるのではない。国籍、地位、貧富、善意、困窮、後悔が数えられるのでもない。
数えられるのは、有効な署名、有効な履歴、有効な work、そして規則適合性である。

ここでいう work は、所有権を正当化するための労働ではなく、プロトコルが有効なものとして count する計算資源の投入である。
言い換えれば、work とは日常語でいう「仕事の大変さ」や「努力の量」ではない。ビットコインのルールが求める計算を行い、その結果が条件を満たしたときにだけ、有効な作業として扱われるのである。
その計算は、履歴をあとから書き換えにくくするための重みになる。このように、ビットコインは、誰がどれほど苦労したかではなく、ルールに合った計算結果だけを、履歴を支える根拠として数えている。

ビットコインは trustless なプロトコルだと言われる。
だが trustless とは、何も信頼しないという意味ではない。人格的な信頼を退け、その代わりに、何を有効なものとして数えるかを厳密に定める制度である。

では、一つの社会において、何が数えられるべきなのか。人間の幸福か。苦痛か。事情か。署名か。履歴か。計算資源か。

この問いが、本稿でジェレミー・ベンサムを参照する理由である。

1. 人を見ず、条件だけを数える制度

ビットコインを民主政の比喩で理解すると、しばしば「一人を一人として数える制度」のように見える。だが厳密には、そうではない。

サトシ・ナカモトが白書で示したのは、人格、地位、国籍、貧富を数える仕組みではなく、Proof-of-Work によって多数決を表現する仕組みだった。
白書は、one-IP-address-one-vote では容易に攪乱されるため、Proof-of-Work は本質的に one-CPU-one-vote だと述べる[前2]。
ここで数えられているのは人間そのものではなく、ルールに適合した work の量である。

ここでいう「一人」は、ノード数やアドレス数を指すものではない。むしろ、本稿で問題にしているのは、現実世界における人格としての一人である。

ビットコイン世界では、一つのノード、一つのアドレス、一つの署名が、必ずしも一人の人間に対応するわけではない。
単一の人物が複数のノードやアドレスを持つこともあれば、一つの運用主体の背後に複数人が関与していることもある。

したがって、ビットコインは「一人=一票」でも「一人=一ノード」でもない。ここで数えられているのは、人格としての一人ではなく、プロトコル上有効な work、署名、履歴、規則適合性である。

同じことは、マイナー以外の参加者にも当てはまる。
Bitcoin.org の FAQ は、ビットコインネットワークは誰にも所有されておらず、開発者もプロトコル変更を強制できず、互換性を保つには利用者が同じルールに従うしかないと説明する[前3]。
さらに Bitcoin Core の検証文書は、フルノードが受け取ったブロックを自分で再検証し、マイナーを信頼せずに有効性を確かめると明記する[前4]。
ビットコインの秩序は、誰が言ったかではなく、何が有効かで維持される。人格的な裁量ではなく、検証可能な条件だけが通る。

ここで、ベンサム的な「何を数えるべきか」という問いが、ビットコインに投げられる。

ベンサム的な功利主義は、幸福や苦痛を制度設計の評価対象として数えようとする思想である[前5][前6]。だがビットコインは、少なくとも基礎レイヤーにおいて、人間の幸福や苦痛を直接には数えない。数えるのは、有効な署名、有効な履歴、有効な work、規則適合性である。

つまり本稿で問題にするのは、ベンサム的な「何を数えるべきか」という問いが、ビットコインにおいてどのように変形されるかである。

2. 平等と公平の違い

ここで、平等と公平を切り分けておく必要がある。

本稿では、平等と公平を次のように区別する。
平等とは、同じ条件には同じルールを適用することであり、公平とは、出発点や事情の差を考慮して、扱いを変えることである。
全員に同じ踏み台を配る、あるいは誰にも配らないのが平等であり、身長の低い人にだけ踏み台を用意するのが公平である。
ビットコインが採用しているのは、前者に強く寄った制度である。

補助図表 平等と公平の整理

プロトコルは、ある人が初心者か熟練者か、被害者か加害者か、資産家か生活困窮者かを読まない。署名が正しいか、入力が有効か、履歴が整合しているかだけを見る。

だからビットコインは、公平の制度ではなく、形式的平等の制度である。
冷たいと言えば冷たい。しかし、その冷たさは、事情を判断する誰かを恒常的な支配者にしないための冷たさでもある。

この点で、ビットコインの形式的平等は、人間を一人ずつ同じ重みで扱う平等ではない。人格の数え方をいったん退け、誰の行為であっても、同じ形式条件を満たす限り通すという平等である。

この区別は、別論「ビットコインとレヴィナス」で扱う「この一人」としての顔ある他者との対比に関わる(注1)。つまり本稿の「一人」は、倫理的に呼びかけてくる唯一無二の他者ではなく、あくまで人数として数えられる人格単位のことである。

3. サトシの優しさは、裁量を制度から追放したところにある

通常の金融制度では、最後に誰かが事情を聞く。銀行員、カスタマーサポート、裁判所、規制当局、国家である。そこには救済の余地がある一方で、恣意の余地もある。

ビットコインが切断したのは、この二つを同時に可能にしていた人格的裁量である。
ビットコインの優しさとは、困っている人を選別して助ける優しさではなく、そもそも誰かを特別扱いできる権限を制度の中心から外す優しさだ。

前述のように、Bitcoin.org は、ビットコインネットワークには単一の所有者がおらず、開発者もプロトコル変更を提案することはできても、強制はできないと説明する[前3]。
これはしばしば無責任に見える。しかし別の見方をすれば、制度の持続可能性を個人の徳性に賭けないという設計でもある。

善人の支配より、善人でなくても同じ結果になる規則の方が、長い時間軸では安定する。サトシが目指したのは、人格的善意の常時出動ではなく、善意がなくても回る制度の設計だった。

4. 弱者救済をしないという冷酷さ

ビットコインは、弱者救済をしない。
この制度の代償は明確である。

Bitcoin.org は、秘密鍵を含むウォレット・ファイルは削除、紛失、盗難の対象になりうると説明し、同じサイトの実務注意文書は、トランザクションは最初から完全に不可逆なのではなく、確認が積み上がることで逆転が難しくなるが、決済の安全性は最終的に利用者自身が管理しなければならないと述べる[前7][前8]。

つまり、操作ミス、詐欺、秘密鍵喪失、ハッキング被害が生じても、原理的には事情を読んで巻き戻してくれる責任者はいない。

Bitcoin.org の press 向け説明でも、ビットコイン取引は irreversible で chargeback に強い一方、最も一般的な脆弱性は user error だとされる[前9]。

これは、消費者保護の観点から見れば厳しい。だが同時に、誰かの資産移転を事後的に覆す恒常的権力が制度の中心に座らないことも意味する。弱者救済をしないことと、強者が恣意的にルールを曲げにくいことは、表裏一体である。

つまり、ビットコインは責任を消す制度ではない。むしろ、責任の所在を、銀行、裁判所、カスタマーサポート、規制当局から、署名者自身と秘密鍵管理者へ移す制度である。

非裁量とは、誰も責任を負わないことではなく、誰が責任を負うのかをあらかじめ冷たく固定することである。

ただし、ここで注意すべきなのは、弱者救済をしないことと、弱者を狙い撃ちにすることは同じではない、という点である。

ビットコインは弱者に敵対する制度ではない。強者にも弱者にも同じ形式条件を課す制度である。
問題は、その同じ条件が、現実の不平等な出発点の上に置かれたとき、誰により重く作用するのかである。

5. マイニングが示す、形式的開放性と実質的参入障壁

この無慈悲さは、マイニングの設計にも表れている。

白書は one-CPU-one-vote と述べ、参加資格そのものは身分や国籍で制限しない[前2]。原理上、計算力さえあれば誰でも参加できる。だが現実には、その計算力を誰もが同じ条件で得られるわけではない。

ビットコインの開発者向け文書は、プールマイニングにおいて報酬が share of the work done に基づいて配分されると説明し、現在のマイニングが work の量にきわめて敏感な制度であることを示している[前10]。

ここでは、三つの平等を分ける必要がある。

第一に、参加資格の平等である。
これは、身分や国籍によって参加を禁じないという意味で、ビットコインにおいては相対的に維持されている。

第二に、参加能力の平等である。
これは、計算資源、電力、設備、知識を同じように持てるかという問題であり、ビットコインはこれを保障しない。

第三に、参加結果の平等である。
これは、参加した者が同じ報酬や同じ安全性を得られるかという問題であり、ここでもビットコインは平等を約束しない。

ビットコインが守るのは、主に第一の平等であって、第二・第三の平等ではない。

ここで重要なのは、ビットコインがこの格差を補正しないことだ。

高価な専用設備、安価な電力、運用ノウハウに恵まれた者は有利であり、持たざる者は不利である。
しかしプロトコルは、その事情を斟酌しない。参加資格の平等は守るが、参加能力の平等までは保障しない。

ビットコインは、参加門戸を閉ざさないが、出発点の不平等を是正もしない制度なのである。

6. 現実社会の制度を逆照射する

この非裁量性は、暗号資産の内部問題にとどまらない。

ビットコインの無慈悲さは、現実社会の制度を逆照射する。私たちはふだん、事情に応じて差をつける制度を当然のものとして受け入れている。

だが、その裁量は本当に正義なのか。たとえば累進課税のような制度もまた、平等ではなく公平の論理に立つ。では、その公平は、いつまで、どこまで、正当化され続けるのか。

ここで重要なのは、ビットコインをそのまま現実社会の完成形として採用せよということではない。むしろ逆である。

ビットコインという極端な形式的平等の制度を見ることで、私たちは初めて、現実社会がどれほど多くの裁量、再分配、情状酌量、救済に依拠しているかを見返すことができる。

ビットコインは答えではなく、現実制度の前提を剥き出しにする鏡として働く。

この点は、ベンサム以後の功利主義を考えるうえでも重要である。
たとえばジョン・スチュアート・ミル的に言えば、問題は快苦をどれだけ数量化できるかだけではない[前11][前12]。人間の自由・尊厳・自己決定や、少数者が多数者の都合によって押しつぶされないための条件もまた、制度が守るべき価値として現れる[前12][前13]。

言い換えれば、ベンサム的に見れば、問題は何を幸福や苦痛として count するかであり、さらにミル的に言えば、そこには単なる数量だけでなく、自由や尊厳の質をどう扱うかという問題も加わる。

ビットコインは、そのような質を考慮せず、プロトコルに従うだけである。

人間の自由、尊厳、自己決定を直接に読む制度ではない。しかし逆説的に、そのことが、ある種の自由を支える場合もある。
なぜなら、誰かの事情を読んで救済する権限は、同時に、誰かの事情を理由に排除し、停止し、検閲する権限にもなりうるからである。

ビットコインは質を読まない。だが、質を読む裁量者を制度の中心に置かないことで、恣意的な介入から距離を取る。この点に、ビットコインの冷たさが、自由や自己決定を間接的に守りうるという皮肉な構造がある。

だからこそ、現実社会の制度がどれほど不確かで、同時に必要なものかが見えてくる。ビットコインは、人間の幸福の質を読む制度ではない。
しかし、だからこそ逆に、現実社会の制度がどこまで数量化できるものを数え、どこから数量化しにくい自由や尊厳を守るべきなのかを問い返す。

この「制度が何を読み、何を読まないか」という問題は、信頼の配置にも及ぶ。
コードは、いったん与えられた条件のもとでは客観的に作動する。有効な署名は通り、無効な署名は通らない。有効な履歴は受理され、無効な履歴は拒まれる。
この意味で、コードは人格的な好悪を持たない。

しかし、コードへの信頼そのものは、同じ精度では数えられない。

ある者にとっては、銀行を介した取引の方が安心である。
誤送金、詐欺、鍵の紛失、相続、本人確認、紛争処理において、誰かが介入しうることは救済の条件になる。
他方で、別の者にとっては、その介入可能性こそが不安である。中央集権的な主体に資産や権利の最終判断を委ねることは、停止、凍結、検閲、恣意的なルール変更の可能性を意味するからである。

したがって、銀行とビットコインは、同じ信頼を取り合っているのではない。異なるレイヤーの信頼を預かっている。

銀行は、保管、救済、流動性、本人確認、紛争処理への信頼を引き受ける。ビットコインは、非裁量性、検証可能性、自己保管、発行規律への信頼を引き受ける。前者は人間的な安心を与えるが、裁量者への依存を増やす。後者は裁量者を遠ざけるが、利用者自身の責任を重くする。

ここでいう信頼は、単一の数値では表せない。
どちらがより信頼できるかは、何を危険とみなすかによって変わる。救済されないことを最大の危険と見る者と、誰かに止められることを最大の危険と見る者では、同じ制度が逆の意味を持つ。

このように、救済可能性と非裁量性のどちらを重く見るかによって、正義の基準は分かれる。法やコードが必要になるのも、この対立を事前に処理するためである。
正義が一つであり、全員が同じものを正しいと感じるなら、そもそも細かな規則はそれほど必要ない。だが実際には、ある共同体にとっての正義が、別の共同体にとっての不正義になりうる。だからこそ、制度は何を通し、何を止め、何を救済し、何を救済しないのかを、あらかじめ明文化する。

信頼できるから明文化するのではない。何を信頼の対象にするのかを固定するために、明文化するのである。
そして、その明文化された規則が繰り返し運用され、例外の扱いが蓄積され、失敗と修正を経ることで、後から信認が生まれる。

信頼は、制度の出発点であると同時に、制度運用の結果でもある。ビットコインが露出させるのは、この循環である。

この信頼の移送、そして法とコードが正義を完全には回収できないという問題については、別論「不在による支配」において、デリダ的な観点から読解を試みる。
注:本論点は、公開版ではここで概略に留める。法、コード、信頼、正義の関係については、増補版用の別論「不在による支配」で詳述する予定である。

7. 結論

本稿の問いは、「無慈悲さに耐えられるか」に帰着する。

ビットコインは、何を数えるかを徹底的に限定する。人格ではなく署名を、事情ではなく履歴を、苦痛ではなく work を、善意ではなく規則適合性を数える。

その無慈悲さを見つめることで、かえって現実社会における count の不確かさが浮かび上がる。

社会は、人を数える。票を数える。損害を数える。所得を数える。幸福や苦痛さえ、政策や制度設計の対象として数えようとする。しかし、何を数え、何を数えないのか。その境界はつねに揺れている。

そして、おそらく最も厄介なのは、制度が必要としているもののすべてが、同じ精度で数えられるわけではないという点である。

署名や履歴や work は、比較的明確に数えられる。しかし、苦痛の深さ、自由の重み、尊厳の損傷、救済されなかった者の沈黙は、同じようには数えられない。
ビットコインは、この数えにくいものをあえて読まない制度である。だからこそ、それを読もうとする現実社会における制度の不確かさの輪郭が、一層鮮明に立ち上がる。
なお、この「数えられないもの」を、顔ある他者への応答としてどう考えるべきかは、別論「ビットコインとレヴィナス」で改めて扱う(注1)。

したがって本稿の結論は、ビットコインのように無慈悲であれ、ということではない。むしろ逆である。
ビットコインという極端な形式的平等の制度を見ることで、私たちは初めて、現実社会の制度がどれほど曖昧で、不確かで、それでもなお必要な count の上に成り立っているかを理解できる。

以上を踏まえると、ビットコインの優しさとは、慈悲ではなく非裁量である。個別事情を読まず、弱者を特別には救わず、出発点の格差も補正しない。その意味で、ビットコインは冷酷である。
しかし同時に、その冷酷さこそが、誰かだけを特別扱いする権限を制度の中心から追放し、条件だけが通る秩序を維持している。

ベンサム的に言えば、この制度は個別の苦痛を消すために設計されているのではなく、恣意的権力というより大きな不利益を避けるために設計されている、と読むことができる。

だがその読みは、直ちに別の問いを呼ぶ。もし明白な被害が生じたとき、私たちはなおこの無慈悲さを守るべきなのか。共同体は、いつ、どこまで、例外的救済のためにプロトコルを中断してよいのか。この問いが、そのまま後編のハードフォーク論へ接続する。

ただし、note公開版ではここでベンサム前編を閉じ、次の後書きにおいて、ここまでの公開論考全体を振り返る。

現代経済への示唆
ビットコインの非裁量性は、企業や行政のルール設計にも似た問いを投げかける。例外を認めない制度は恣意を減らすが、同時に救済の余地も狭める。逆に、個別事情を読む制度は公平に近づくが、判断者の権力を強める。

重要なのは、どちらが正しいかを即断することではなく、ルール、裁量、救済、責任の配置を意識的に設計することである。

(注1)「ビットコインとレヴィナス」章はnote公開版には含まれていない。増補版にて詳述する予定である。


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目次:
0.2 総目次――ビットコイン思想論考 全記事一覧

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ビットコイン思想論考――プロトコルが書き換えた信頼と秩序』


前編 出典・参考文献

[前1] Warren E. Buffett, “Letter to the Shareholders of Berkshire Hathaway Inc.,” Berkshire Hathaway Inc. 2008 Annual Report, 2009. URL: https://www.berkshirehathaway.com/letters/2008ltr.pdf
[前2] Satoshi Nakamoto, Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System, 2008. URL: https://bitcoin.org/bitcoin.pdf
[前3] Bitcoin.org, FAQ: “Who controls the Bitcoin network?” URL: https://bitcoin.org/en/faq
[前4] Bitcoin.org, Bitcoin Core Features: Validation. URL: https://bitcoin.org/en/bitcoin-core/features/validation
[前5] Jeremy Bentham, An Introduction to the Principles of Morals and Legislation, 1789, especially Chapters I and IV. Online Library of Liberty. URL: https://oll.libertyfund.org/titles/bentham-an-introduction-to-the-principles-of-morals-and-legislation
[前6] James E. Crimmins, “Jeremy Bentham,” Stanford Encyclopedia of Philosophy. URL: https://plato.stanford.edu/entries/bentham/
[前7] Bitcoin.org, Press: “Is Bitcoin secure?” URL: https://bitcoin.org/en/press
[前8] Bitcoin.org, Some things you need to know. URL: https://bitcoin.org/en/you-need-to-know
[前9] Bitcoin.org, Press: “Fewer risks for merchants” / “Is Bitcoin secure?” URL: https://bitcoin.org/en/press
[前10] Bitcoin Developer Guide, Mining. URL: https://developer.bitcoin.org/devguide/mining.html
[前11] John Stuart Mill, Utilitarianism, 1861, especially Chapter II. Project Gutenberg. URL: https://www.gutenberg.org/files/11224/11224-h/11224-h.htm
[前12] David O. Brink, “Mill’s Moral and Political Philosophy,” Stanford Encyclopedia of Philosophy. URL: https://plato.stanford.edu/entries/mill-moral-political/
[前13] John Stuart Mill, On Liberty, 1859, especially Chapters I and III. Project Gutenberg. URL: https://www.gutenberg.org/files/34901/34901-h/34901-h.htm

※各URL最終確認日:2026年7月3日


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